9月2日(土)晴れ【子供の身心を蝕む】
*(いつものテレビゲーム反対論ですので、またかと思う方はさっと読み飛ばして下さい。ちょっとくどいかもしれません。)
今朝テレビを観ていたら、北海道稚内で起きた高校一年生による、友人への母親の殺害依頼の事件について、有識者の方々が意見を述べていた。少年犯罪というと必ずといってよいほど顔を出す尾木氏は「思春期の子供のプライドを大事にしなくては駄目だ」というようなことや「家族がカプセルのようになってしまっていて外の世界にはけ口がない」というようなことを述べていた。
或る心理学者の先生は「14から16歳ぐらいの子供でも、今の子供たちは年齢よりも幼くて、判断力がないのだ」というような意見を述べていた。猪瀬直樹氏は「テレビゲームのようなゲームの影響があるんじゃないですかね」というようなことをおっしゃったと思うが、残念ながら肝腎なところで母に話しかけられたので、正確には聞き取れなかったのだが、テレビゲームの害について確かに意見を言われたと思う。
尾木氏の意見も、心理学者の方の意見も尤もなことではあると思う。しかし昔は親は子供のプライドなど気にせずに怒っていたし、判断力が子供だからといって親を殺す子供はいなかった。心の中で思う子はいたかもしれないが、実際にそんな恐ろしいことは実行しなかった。
心理的なことはプライドやら判断力の無さなどともいえようが、殺人を実行させてしまう力は何なのか。テレビゲームは非常に影響があるのではなかろうか。なぜマスコミはこのことをもっと追求しないのか。猪瀬氏の意見の後それをもっと深く追求しないのか。それはテレビゲームを売る会社がテレビ局のスポンサーだからなのではないか、と私はうがった憶測をしてしまう。とにかくマスコミの言うとおりには何事も受け取れないことが多い。
また『バトル・ロワイヤル』のような映画も本当に悪い。私はたまたま予告編を見てしまい、その映像の残酷さに目を疑うほどであったし、このような映画が作り出されることが理解できなかった。予告編だけでも観たので、あの映画は本当に悪いということが言えるのである。深作欣二監督はやくざ映画で、大人を対象とした映画を作っていればよかったのに、『仁義なき戦い』などはそれなりに評価された映画ではないのか。それなのに中学生達を対象とした学園ドラマとしてこのような映画を作り、社会に害毒を残して死んでいってしまった。このような映画を世に残したことを今頃悔やんでいられるのではあるまいか。
佐世保の御手洗怜美ちゃんをカッタ-ナイフで殺してしまった少女は、この映画に熱中していたという。映画自体はR-15(レイティングシステム-15は15歳未満入場禁止)とされたが、DVDまで取り締まることはできない。この事件の為に『バトル・ロワイヤル特別編』のDVD発売は2004年にはされなかったが、結局翌年には発売している。このような映画を制作し、多額の利益をあげている映画会社も一連の人々も大変な罪を犯していることを自覚すべきであろう。また前日にテレビでカッターナイフの殺人事件のドラマを観ていたという。映像をお茶の間に送る人々は子どもが観ているということを常に考えて作る責任があろう。
とにかく幼い子供たちの身心の形成に、あまりに悪影響を与えるテレビゲームや『バトルロワイヤル』のようなものは規制すべきだ。いや今更あちこちに出回っているDVDを回収することさえ困難なことであるが、今からでもできることはするべきであろう。最近NHKも或る番組で残酷なシーンは撮り直して放映されたことが報道されていたが、当然な事だと思う。大人なのだから。子供たちに対してもっと配慮しなくてはなるまい。
さて普通は心身のように心そして身と考えるかもしれないが、敢えて身心と書いた。身と心は切り離せないのだし、心、心というが身が有って心があるのである。身が無ければ心は無い。テレビゲームによってダメージを受けるのは幼い子供たちの脳ではないだろうか。テレビゲームによって身がやられているのだという認識を改めて持ちたい。(勿論テレビゲームだけが原因ではないのだが、一因であることは認めざるを得ないことだろう。)
とかく身より心を世の中の人は先行して考えるようだが、身のことを疎かにしては取り返しの付かないことになってしまうだろうし、根本的に人間という生物を考えたとき間違いを犯してしまうだろう。身をしっかりと保つことは心を保つことでもある。私はいつも食が大事と言うのだが、食育ということに社会が気が付いたことは救いがある。道元禅師の「身心脱落」について「つらつら日暮らし」のtenjin和尚さんが解説して下さっている。【反無宗教論ver14.0】をご参照下さい。
幾ら書いても何の役にも立たないことだろうが、罪を犯してしまう子供たちが哀れでたまらないのだ。拝金主義の犠牲になっている不幸な時代の子供たち。せっかく地球の生物として生を受けたのだから、命を全うして貰いたい。親を殺そうなどという恐ろしいことをしでかさないように、と願わずにはおれない。くどくどと役にも立たない一言の風月庵だより。きっとお読み下さる方はもっと明るい話題を、と思われるでしょうが。明日は明るい話題に致しましょう。
*(いつものテレビゲーム反対論ですので、またかと思う方はさっと読み飛ばして下さい。ちょっとくどいかもしれません。)
今朝テレビを観ていたら、北海道稚内で起きた高校一年生による、友人への母親の殺害依頼の事件について、有識者の方々が意見を述べていた。少年犯罪というと必ずといってよいほど顔を出す尾木氏は「思春期の子供のプライドを大事にしなくては駄目だ」というようなことや「家族がカプセルのようになってしまっていて外の世界にはけ口がない」というようなことを述べていた。
或る心理学者の先生は「14から16歳ぐらいの子供でも、今の子供たちは年齢よりも幼くて、判断力がないのだ」というような意見を述べていた。猪瀬直樹氏は「テレビゲームのようなゲームの影響があるんじゃないですかね」というようなことをおっしゃったと思うが、残念ながら肝腎なところで母に話しかけられたので、正確には聞き取れなかったのだが、テレビゲームの害について確かに意見を言われたと思う。
尾木氏の意見も、心理学者の方の意見も尤もなことではあると思う。しかし昔は親は子供のプライドなど気にせずに怒っていたし、判断力が子供だからといって親を殺す子供はいなかった。心の中で思う子はいたかもしれないが、実際にそんな恐ろしいことは実行しなかった。
心理的なことはプライドやら判断力の無さなどともいえようが、殺人を実行させてしまう力は何なのか。テレビゲームは非常に影響があるのではなかろうか。なぜマスコミはこのことをもっと追求しないのか。猪瀬氏の意見の後それをもっと深く追求しないのか。それはテレビゲームを売る会社がテレビ局のスポンサーだからなのではないか、と私はうがった憶測をしてしまう。とにかくマスコミの言うとおりには何事も受け取れないことが多い。
また『バトル・ロワイヤル』のような映画も本当に悪い。私はたまたま予告編を見てしまい、その映像の残酷さに目を疑うほどであったし、このような映画が作り出されることが理解できなかった。予告編だけでも観たので、あの映画は本当に悪いということが言えるのである。深作欣二監督はやくざ映画で、大人を対象とした映画を作っていればよかったのに、『仁義なき戦い』などはそれなりに評価された映画ではないのか。それなのに中学生達を対象とした学園ドラマとしてこのような映画を作り、社会に害毒を残して死んでいってしまった。このような映画を世に残したことを今頃悔やんでいられるのではあるまいか。
佐世保の御手洗怜美ちゃんをカッタ-ナイフで殺してしまった少女は、この映画に熱中していたという。映画自体はR-15(レイティングシステム-15は15歳未満入場禁止)とされたが、DVDまで取り締まることはできない。この事件の為に『バトル・ロワイヤル特別編』のDVD発売は2004年にはされなかったが、結局翌年には発売している。このような映画を制作し、多額の利益をあげている映画会社も一連の人々も大変な罪を犯していることを自覚すべきであろう。また前日にテレビでカッターナイフの殺人事件のドラマを観ていたという。映像をお茶の間に送る人々は子どもが観ているということを常に考えて作る責任があろう。
とにかく幼い子供たちの身心の形成に、あまりに悪影響を与えるテレビゲームや『バトルロワイヤル』のようなものは規制すべきだ。いや今更あちこちに出回っているDVDを回収することさえ困難なことであるが、今からでもできることはするべきであろう。最近NHKも或る番組で残酷なシーンは撮り直して放映されたことが報道されていたが、当然な事だと思う。大人なのだから。子供たちに対してもっと配慮しなくてはなるまい。
さて普通は心身のように心そして身と考えるかもしれないが、敢えて身心と書いた。身と心は切り離せないのだし、心、心というが身が有って心があるのである。身が無ければ心は無い。テレビゲームによってダメージを受けるのは幼い子供たちの脳ではないだろうか。テレビゲームによって身がやられているのだという認識を改めて持ちたい。(勿論テレビゲームだけが原因ではないのだが、一因であることは認めざるを得ないことだろう。)
とかく身より心を世の中の人は先行して考えるようだが、身のことを疎かにしては取り返しの付かないことになってしまうだろうし、根本的に人間という生物を考えたとき間違いを犯してしまうだろう。身をしっかりと保つことは心を保つことでもある。私はいつも食が大事と言うのだが、食育ということに社会が気が付いたことは救いがある。道元禅師の「身心脱落」について「つらつら日暮らし」のtenjin和尚さんが解説して下さっている。【反無宗教論ver14.0】をご参照下さい。
幾ら書いても何の役にも立たないことだろうが、罪を犯してしまう子供たちが哀れでたまらないのだ。拝金主義の犠牲になっている不幸な時代の子供たち。せっかく地球の生物として生を受けたのだから、命を全うして貰いたい。親を殺そうなどという恐ろしいことをしでかさないように、と願わずにはおれない。くどくどと役にも立たない一言の風月庵だより。きっとお読み下さる方はもっと明るい話題を、と思われるでしょうが。明日は明るい話題に致しましょう。
宮本啓一先生の仰るとおり、子供の「やりたいこと」「やらなくてもよいこと」を教えるのではなく「しなくてはならないこと」「してはいけないこと」を親が大人が教えなくてはならないのです。
昔、30代の頃、甥っ子のTVゲームの相手をしたことがあります。まだ目が良かった当時でさえ目と頭がが痛くなりました。
それは暴力物ではありませんでしたが、体に悪いと思い途中で止めました。
今の子供たちは、社会環境が悪すぎて可愛そうですね。
売ればよい、儲かればよいというこの馬鹿な世の中に警鐘を鳴らし続けて、墓場まで、と思います。
勿論商売でお金を儲けることを全て否定しているわけではありません。大いに儲けて社会貢献し、自分も楽しく暮らすことは素敵な事だと思います。しかしこの商売が社会の役に立っている、という基本が商売の基本だと思います。
無責任な生き方をした人間は、あの世でその報いを受けるだろう、と確信を持って言えればよいのですが。
善因善果、悪因悪果は、お釈迦様の教えですから私は自信を持っていえます。
大人としての社会的責任ということを考えていないため「売れればよし」ということになるのでしょう。