風月庵だより

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ちょっと一言ー秋田の事件

2006-09-04 23:56:19 | Weblog

9月4日(月)晴れ【ちょっと一言-秋田の事件】

そろそろ稲刈りも始まろうというこの頃、日本中で後から後から事件が起きてしまっている。周南市の中沢歩さんの事件も、本当になぜこんなことが起きてしまったのか、というような事件である。またホリエモンが太っていようが痩せていようが、そんなことはどうでもいいことなのだが、今日は朝からそんなことを追いかけているようである。あまりにいろいろと事件が起きるので、秋田の豪憲君の事件のことはいったいどうなってしまっただろうか、と思っていた。

丁度そう思っていたら、テレビの声が豪憲君の名を言っていたので、隣室にテレビを観に行った。(母は少し耳が遠いので、テレビの音はいつも大きい。)秋田県警の杵淵本部長が初動調査のミスを認める発言をしていた。本当に彩香ちゃんのときにきちんと事件として扱っていたら、第二の豪憲君の事件は防げたのではなかろうか。

「難しい事件だったことを理解していただきたい」と本部長は言い訳をしていたが、どうして素直に過ちを認められないのだろうか。メンツや警察内部のしがらみが強いのだと推察するが、本部長としての責任逃れもあるのだろうか。たとえ自分のしたことではないとはいえ、責任をとるのを管理職というのではなかろうか。また責任をとらせるお役でもあろう。この事件に関わった人々とともに、「申し訳なかった」と豪憲君の遺影の前で、せめて手を合わせることはできないのだろうか。

今日はたまたま『永平清規』について勉強した。清規というのは禅門における修行者の規則のことである。修行者はちょっとした間違いでもしてしまったときは、「懺謝(さんじゃ)」といって各寮にお詫びに回らねばならないことになっている。謝り謝りして謙虚な心を養い、自らを清浄にしていく意味もあるだろう。一ヵ寺の住職でも平生の行いの上でなにか失錯があればやはり罰せられるということがある。

本部長はキャリア組が多いので、あまり謝らずに上に上がってきてしまったのかもしれない。過ちは過ちとして認められる粋な責任者であってほしいものである。優秀であり、我を折られた経験のないエリートが、かえって日本を駄目にする。豪憲君があなたのお孫さんだったらどうするのだろうか。


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