6月20日(火)晴れ暑し【光市母子殺害事件に思う】
1999年4月14日に起きた光市の母子殺害事件に対して、今日最高裁の判決が下された。死刑を求めた検察側の上告を認め、広島高裁の無期懲役判決を破棄し、審理を高裁に差し戻す、というものであった。
本村洋さんの妻の弥生さん(当時23歳)と長女の夕夏ちゃん(当時11カ月)が元少年Aによって、非情な殺害に遭ってしまっってから、はや7年が経つ。元少年Aの野獣のように残忍な手段にかかって、死んでいった二人の無念と、残された夫であり父である洋さんの更なる無念を察すると、無期懲役という判決は納得のいかないものであったと思う。
この事件のように明らかに犯人が特定され、犯した事件の全容が明らかにされている場合は、冤罪の過ちは決してないのであるから、厳罰が下されてしかるべきでは無かろうか。
被害者の人権が全く無視されている状態は、本村氏など犯罪被害者の会の活動やマスコミによって喚起された世論の力などにもよって、多少は少しずつ改善されているようではある。
しかし加害者の更正という美名のもとに、犯した罪に相応しい判決が下されていない事件が多いのではなかろうか。特に18歳、少年法の規制があるが、18歳と言えば立派な大人である。十分に判断のできる年齢だ。もし18歳にもなって殺人は人間として犯してはならないことだ、と判断できない人間であるとしたら、なおのこと社会復帰させることは大問題である。
勿論元少年Aの更正を私も心から願っている。更正とは自らの犯した罪の深さを知ることであろう。良心に目覚めたとき彼は真に救われるからである。更正=社会復帰ではなかろう。
無期懲役という判決は文字通りに無期懲役ではなく、減刑され社会復帰の可能性が大きいのである。この元少年が、今や25歳になっているが、知人に送った手紙に「何年かすれば社会に復帰」できることや「死んだ二人はどうせ戻ってこない」というようなニュアンスのことを書いているようである。このような状態の被告に思い通りの判決を下すことは被告の更正を促すものとはならないだろう。
このような人間が再び事件を犯す可能性は、全くないとは言えないし、犯した罪相応の罰を受けることは当然のことであろう。もしこの加害者の罪を犯した年齢が18歳に近い年齢であったと言うことを理由に、無期懲役の判決を再び下されるようなことになったら、社会に対する悪影響は想像を絶するものがあるだろう。
この元少年の弁護人は死刑廃止論者として有名な方であるが、この被告の犯した殺人さえ誤魔化そうとしていることは、この被告に対してもっとも悪いことである。本当に彼の更正を願うのならば、罪を認めさせて人間の心を取り戻させる事が大事ではなかろうか。
神谷信行弁護士という方の講演を聞いたことがあるが、この方は殺人事件を起こしたある少年の弁護を担当なさったそうだが、この少年が良心に目覚めるように心をくだかれた話しであり、感銘を受けた。単に裁判において軽い判決を勝ち取ることが、被告の更正につながるとは思えない。
しっかりと事と次第を見極めなくては、社会は崩壊してしまう。この元少年Aのような人間がどうしてできてしまったのか、この元少年Aも生まれついての犯罪者ではない筈だ。少年をとりまく環境全てが反省し、社会にそして天に謝罪しなくてはならない。
しかし元少年Aの犯した罪は消えない。人の命を奪う殺人という行為は人間として絶対に犯してはならない行為である。この裁判を通しても社会に強くこのことを伝えなくてはならないことだ。
弥生さんと夕夏ちゃんになんと言ったらよいのだろう。ご冥福を祈る言葉だけでは空しい。
子どもや少年が安易に殺人を犯すような社会の状況をなくそう、この問題にみんなで真剣に取り組もう、殺人に駆りたてるような一切のゲームを禁止しよう、子どもには暖かい手作りの食事をたべさせよう、秩序ある社会をつくろう、拝金主義の愚かしいことを社会が認識しよう、子どもたちが優しい心を持てるような環境をつくろう,子どもたちに背筋を伸ばすことを教えしっかりと判断のできる人間に育てよう、等等、、、
お二人に捧げる言葉は社会の反省の言葉、私も社会の一人の構成員である。社会悪に対して無力であることを深くお詫び致します。
7年間苦しみ抜いてきた本村さんの言葉を紹介しておきたい。「被告は18歳以上。刑法でも死刑を認めている。何とか人間の心を取り戻して死刑を受けてほしい。悔い改めてもなお、命を落とさなければ償えない罪がある。その残酷さを知って、犯罪が起こらぬようにする方法を社会は考えなければならない」。
この元少年の母は彼が中学生の時に自殺してしまったという。母の無条件の愛の手が傍にない被告の寂しかったであろう心には同情し、気の毒であると思うが、そうであるからといって犯した罪は許されるものではない。
1999年4月14日に起きた光市の母子殺害事件に対して、今日最高裁の判決が下された。死刑を求めた検察側の上告を認め、広島高裁の無期懲役判決を破棄し、審理を高裁に差し戻す、というものであった。
本村洋さんの妻の弥生さん(当時23歳)と長女の夕夏ちゃん(当時11カ月)が元少年Aによって、非情な殺害に遭ってしまっってから、はや7年が経つ。元少年Aの野獣のように残忍な手段にかかって、死んでいった二人の無念と、残された夫であり父である洋さんの更なる無念を察すると、無期懲役という判決は納得のいかないものであったと思う。
この事件のように明らかに犯人が特定され、犯した事件の全容が明らかにされている場合は、冤罪の過ちは決してないのであるから、厳罰が下されてしかるべきでは無かろうか。
被害者の人権が全く無視されている状態は、本村氏など犯罪被害者の会の活動やマスコミによって喚起された世論の力などにもよって、多少は少しずつ改善されているようではある。
しかし加害者の更正という美名のもとに、犯した罪に相応しい判決が下されていない事件が多いのではなかろうか。特に18歳、少年法の規制があるが、18歳と言えば立派な大人である。十分に判断のできる年齢だ。もし18歳にもなって殺人は人間として犯してはならないことだ、と判断できない人間であるとしたら、なおのこと社会復帰させることは大問題である。
勿論元少年Aの更正を私も心から願っている。更正とは自らの犯した罪の深さを知ることであろう。良心に目覚めたとき彼は真に救われるからである。更正=社会復帰ではなかろう。
無期懲役という判決は文字通りに無期懲役ではなく、減刑され社会復帰の可能性が大きいのである。この元少年が、今や25歳になっているが、知人に送った手紙に「何年かすれば社会に復帰」できることや「死んだ二人はどうせ戻ってこない」というようなニュアンスのことを書いているようである。このような状態の被告に思い通りの判決を下すことは被告の更正を促すものとはならないだろう。
このような人間が再び事件を犯す可能性は、全くないとは言えないし、犯した罪相応の罰を受けることは当然のことであろう。もしこの加害者の罪を犯した年齢が18歳に近い年齢であったと言うことを理由に、無期懲役の判決を再び下されるようなことになったら、社会に対する悪影響は想像を絶するものがあるだろう。
この元少年の弁護人は死刑廃止論者として有名な方であるが、この被告の犯した殺人さえ誤魔化そうとしていることは、この被告に対してもっとも悪いことである。本当に彼の更正を願うのならば、罪を認めさせて人間の心を取り戻させる事が大事ではなかろうか。
神谷信行弁護士という方の講演を聞いたことがあるが、この方は殺人事件を起こしたある少年の弁護を担当なさったそうだが、この少年が良心に目覚めるように心をくだかれた話しであり、感銘を受けた。単に裁判において軽い判決を勝ち取ることが、被告の更正につながるとは思えない。
しっかりと事と次第を見極めなくては、社会は崩壊してしまう。この元少年Aのような人間がどうしてできてしまったのか、この元少年Aも生まれついての犯罪者ではない筈だ。少年をとりまく環境全てが反省し、社会にそして天に謝罪しなくてはならない。
しかし元少年Aの犯した罪は消えない。人の命を奪う殺人という行為は人間として絶対に犯してはならない行為である。この裁判を通しても社会に強くこのことを伝えなくてはならないことだ。
弥生さんと夕夏ちゃんになんと言ったらよいのだろう。ご冥福を祈る言葉だけでは空しい。
子どもや少年が安易に殺人を犯すような社会の状況をなくそう、この問題にみんなで真剣に取り組もう、殺人に駆りたてるような一切のゲームを禁止しよう、子どもには暖かい手作りの食事をたべさせよう、秩序ある社会をつくろう、拝金主義の愚かしいことを社会が認識しよう、子どもたちが優しい心を持てるような環境をつくろう,子どもたちに背筋を伸ばすことを教えしっかりと判断のできる人間に育てよう、等等、、、
お二人に捧げる言葉は社会の反省の言葉、私も社会の一人の構成員である。社会悪に対して無力であることを深くお詫び致します。
7年間苦しみ抜いてきた本村さんの言葉を紹介しておきたい。「被告は18歳以上。刑法でも死刑を認めている。何とか人間の心を取り戻して死刑を受けてほしい。悔い改めてもなお、命を落とさなければ償えない罪がある。その残酷さを知って、犯罪が起こらぬようにする方法を社会は考えなければならない」。
この元少年の母は彼が中学生の時に自殺してしまったという。母の無条件の愛の手が傍にない被告の寂しかったであろう心には同情し、気の毒であると思うが、そうであるからといって犯した罪は許されるものではない。