風月庵だより

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バーチャル・ラブ

2006-06-18 20:37:43 | Weblog
6月18日(日)ほとんど雨【バーチャル・ラブ】

先日テレビで面白い報道を見た。テレビ・ゲームの声優さんのイベントに多数のファンが押しかけて、大いに盛り上がっているというものであった。そのテレビ・ゲームは特に恋愛を題材としたゲームだそうで、そのゲームに出てくる素敵なキャラクターの声を担当している声優さんたちの生の姿に会えるというイベントなのだという。架空のキャラクターに対する愛情が、その声の主にも愛情を仮託するようなものなのだろうか。

このようなイベントはかなり前から流行っているようで、知らなかったのは私ばかりであろう。このような現象を萌え現象というのであろうか。恋愛テレビゲームとはどういうものか、遅ればせながら少しインターネットで調べてみた。

美少年誘惑シミュレーションゲームとか恋愛アドベンチャーとかあるようだが、それがどういうものかは分からなかった。何故わざわざインターネットでこんなことを調べてみたいと思ったかというと、先日のテレビに映った娘さんが、会社から一刻でも早くに帰ってこのゲームをするのが、なによりの楽しみだと言うのを聞いて、奇異に感じたからである。

本当の恋愛をする年齢なのに、どうしてバーチャルの世界に遊ぶほうを楽しんでいるのだろうか。それが私には疑問でもあり、奇異にも映ったのである。テレビゲームの恋愛ならば、失恋の苦しみも無いだろうし、相手に気を遣う必要もないから気楽であろうし、傷つくことも無いだろう。

私などは失敗だらけ、間違いだらけ、ちょっとかっこよく言うと傷だらけのような人生であったので、バーチャルの世界に遊ぶほうを楽しむ若者とはまるで異なる人生である。どちらが是でどちらを非と言うことはやめよう。バーチャルな恋愛に興じて、現実逃避をしているのではないかと、はじめは思ったのだが、それは短絡的かもしれないと思い直した。

一昔前の『ベルサイユのバラ』のオスカルやアンドレに多くの女性が憧れたようなノリかもしれない。宝塚ではまだベルばらの公演をしているのだろうか。一昔前などと言ってはファンに叱られるかもしれない。

私は子どもたちがテレビゲームに夢中になることは、大いに反対しているが、子どもの頃からテレビゲームで育った子供たちは、長じてもバーチャルな世界から脱出できないのではないだろうか。現実逃避ではなかろうかという見方は、短絡的ではないかと一度は思ったのだが、やはりバーチャル世界に遊ぶだけでは人間としてどうなのか心配である。

どのぐらいの比率の若者たちがバーチャルな恋愛に夢中なのかは分からないが、比率は問題ではない。一人一人だから。一人一人のことを心配している老人である。あなたの人生は比率とは関係なく、たった一度のあなたの人生だから。傷つくことを恐れずに、ゲームで養った恋のテクニックを駆使して、リアル・ラブに挑戦してみては如何。

そして失恋に泣くこともあるだろうが、その涙は何物にも代え難い、自分のもの。バーチャルとは違う。現実は予測できないことだらけの面白さがある。ゲームは全て予測されたプログラムで組まれているのではなかろうか。こんなことを書いているとは私もよほどの暇人であるが、自分の知らなかった社会現象に驚いたので、考えてみた。

多くの人が今夜はクロアチアと日本のサッカーの試合に、これから沸くだろう。予測できないどんな展開になるだろうか。生身の人間が生み出す熱いドラマが始まる。