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風月庵だより

猫関連の記事、老老介護の記事、仏教の学び等の記事

日本を守ろう 中国の魔の手から

2025-04-20 20:58:19 | Weblog

4月20日(日)晴れ【日本を守ろう 中国の魔の手から】

昨日も暑かったですね。今日も多少暑かったです。

さて、昨日香港を取材しているユーチューブを見ました。

Bappa ShotaさんのYouTubeです。

香港には40年以上前、一年ほど住んでいましたので、懐かしい思いで見てみました。

全く様変わりした香港でした。

特に驚いたのは、香港人の多くは貧しくなり、ホームレスも多い一方、入り込んできた中国人のお金持ちが買う不動産の値段です。10億円以上はざらにあり、120億円などという物件もありました。

円安の日本で、中国人が、一億円以上のの物件をよく購入していますし、土地もやたらに買われていますが、中国人にとって一億円などは、日本人にとっての100万円感覚なのです。

中国人に日本の不動産を買いあさられるのを、黙って見逃していてよいのでしょうか。

日本の自民党や政府系の政治家は、中国に買収されているのでしょうか。外務大臣がにこやかに中国の誰かと握手して、10年のビザの発行を許可して握手していますが、買収だけではなく、もしかしたら「ハ」の罠にかかっているのではないでしょうか。

香港を案内している香港人の青年が、「日本は大丈夫でしょうか、香港のようにならないように気を付けてください」というような心配をしていました。

自由にあふれていた40年前の香港、香港アイランドは裕福な香港人が多かったように記憶しています。何軒かお邪魔したことがありますが、大邸宅でした。

カルーンサイドは、割合にごちゃごちゃしていたように思いますが、それでも若い人に招待されてお邪魔したアパートは狭かったですが、とても親切で、楽しくお暮しでしたし、ご馳走をしてくださいました。

香港アイランドの干德道という住所だったことを思い出しました。友人のマンションに居候をさせていただいていましたが、そのマンションに住む人だけが使えるプールもありました。

イギリス統治時代の懐かしい香港ですが、もうないのですね。本当に日本も香港の二の舞にならないように。コロナウイルスのパンデミックで、多くのホテルやレストランも中国人に買われています。昨年おとずれた立山でもホテルは中国系になっていました。東京の葬儀業者「博善」も中国経営になってしまったのです。落合斎場など中国経営ですよ。東京都営の斎場は2件あるらしいですが、あまり名前も知りません。

本当に日本を守ろうという政治家に、日本の舵取りをしてもらわなくては、子孫に引き継いでいく日本が、今に中国に運営されかねません。

自民党の政治家は、中国に買収されているのではないでしょうか。

恐ろしいとしか言いようがありません。有権者が目覚めなくてはなりません。

今日は教区のご寺院で法話をさせていただきました。政治的な話は一切いたしませんが、『修証義』の解説です。現在は平和な日本で、仏弟子として生きていく指針を共に学べることに感謝あるのみです。


閑話休題 私の海外の旅

2025-04-11 18:37:22 | Weblog

4月11日(金)晴れ 【閑話休題 私の旅】

はや4月も中旬です。竹林のタケノコも出始めて、昨日初物を掘ってもらいました。

さて、ショウタさんの旅の紹介をしていて、自分の海外の旅をいくつか思い出しました。

個人的な記憶を思い出して、書き出してみます。パスポートやなにか書いたものをひっくり返せば正確に書けるかもしれませんが、記憶だけで書いてみます。故人の思い出ですので、スルーしてくださって結構です。

今、満78歳ですから、50年以上前からのことなので、YouTubeの無い時代のことです。

書き出してみたら、多少行っていました。それも一人旅が多いです。よく勇気がありましたね。我が事ながら。

冬のスイスで、ヒッチハイクで、女子刑務所に友人を訪ねたことも、思い出してみれば勇気がいたと思います。友人は、インドの空港で見知らぬ人から封筒を預かり、チューリッヒの空港で渡してくれと頼まれて、その中に麻薬が入っていましたので、9年の刑を受けました。しかしスイスの刑務所はとてもきれいでした。そこからどのように帰ったか全くが記憶がありません。これは出家してからの時期です。

どういうわけかアメリカだけは縁がありません。もう体力的にもアメリカには行けそうもありません。書き出してみましたが、まだ数カ所かは行っていると思いますが、割合に旅をしました。

書き忘れましたが、ネパールに一か月滞在したことがありました。

この下の記事はスルーしてください。私個人の思い出として書き出してみました。インド一人旅三か月が一番印象に残っています。

私は尼僧としては多少この地球の中を少し、歩いた方かもしれませんね。

自分の為に書き出してみましたので、この記事はスルーしていただくために、ここでタケノコの写真で区切ります。

1,戒厳令下の韓国一人旅 15日間、ソウル、テグー、海印寺、釜山 (20代)

2,パリからザルツブルグ一人旅(冬、31歳頃)

3,ペナン一週間、ヨーロッパの友人たちと(10日間)

4,インド一人旅3か月 (バンコク→)ニューデリー、ボンベイ(現在ムンバイ)、ゴア(カラングート)、プーナ(イランイラク戦争の頃、34歳頃)

5,中国 九龍サイドから列車で北京、さらにバスで「万里の長城」 友人たちと(35歳頃)

6,ギリシャ ロドス島1ケ月、ヨーロッパの友人たちと(36歳頃)

7,イタリア アッシジ 10日間

8,イタリアからスイス、列車でチューリッヒへ。 チューリッヒからヒッチハイク(3時間くらい車で、2回乗り換え)で女子刑務所(土地名忘れ)に面会(冬、40代)

〇観光旅行として

1,オーストリア(グラーツ)合計3回(一回は母と)

2,フランス(オルレアン 母と)

3,中国(各地 5回、

一回母と)

4,ハワイ(オアフ島)

5,韓国旅行(母と2回)

6,バリ島(友人と)


『流れのままに旅をする』その3

2025-04-10 16:35:02 | Weblog

4月10日(木)曇、風強し【『流れのままに旅をする』その3】

今日はかなり風が吹いています。さすがに朝の6時半にご葬儀に出るのは、猫のエサやりやら、仏前のお参りやら、自分も朝ご飯を頂いて、出かけましたので、少々今頃眠気が出ています。帰ってからも来客が4人ほどありましたが、今はフリータイムです。

それで、Bappa Shota さんの『GO WITH THE FlOW』のシェアをもう少しだけしたいと思います。

あまりしすぎますと、この素敵なご本を皆さまが入手なさるのを、邪魔するといけませんので、帯だけ写真に撮りましたので、それを掲載いたします。

YouTubeは大変に奥が深いですし、興味あることが多いですが、活字もまた別な深みと面白みがあります。

また私が付箋を貼って、特に感動した個所を紹介してしまいますと、実はそれぞれ感動する箇所は違うだろうと思い、この2点から、特にピックアップして紹介することを避けました。

ただ彼が繰り返して特に使う言葉、リスペクト、幸せ、リアリティ、シェア。

この言葉を使い続けるYouTubeの彼の顔が、だんだん賢者の顔になっていくと感じています。見習いたいと思います。

皆さん、自分らしく生きられる自分を大事にしていきましょう。お互いに。他人がどう見ようか、それはかまいませんね。

「随流去」


『流れのままに旅をする』のシェア

2025-04-09 19:31:41 | Weblog

4月9日(水)晴れ【『流れのままに旅をする』のシェア】

皆さまにご一読をおすすめしましたが、なかなか本を手にとれない方もいらっしゃるでしょうから、少しだけシェアしたいと思います。

「シェア」はショウタさんの旅のなかでもたびたびに使われる言葉ですね。確かにジャングルの奥深くの人々の生活や、スエーデンの移民社会やアーミッシュの生活や、コカ・コーラまみれの村の話や、なかなか簡単には、訪れることができない国の生活を、ショウタさんがシェアしてくれることによって、知らなかった世界を知ることができることは有難いことです。

彼の著書から、少し紹介させてください。

彼は少年時代は野球選手になりたかったそうですが、交通事故に遭い、その夢は断念したそうです。今度は周りによく見られたくて、筋肉を増やそうとして、筋肉を増やすためには食事をとらずに練習と筋トレをすると、筋肉がくっきりと割れて見えるようになるので、益々食事を減らすようになり、ついに摂食障害さえ起こしてしまったそうです。

それがばれそうになり、電車にとびこもうとさえ、気持ちが追い込まれてしまったそうです。お父さんに引き留められて、家に連れていかれ椅子に縛り付けられて、大声をあげて泣き崩れたショウタさんがあったそうです。そんなことがあったということは、彼のYouTubeを見ていただいているだけでは分かりませんね。

夢を失い半ば自暴自棄になっていたショウタさんは、親戚の人の「おマエみたいのは、いっぺん海外に行ったらええねん」という声に背中を押されて、オーストラリアに出たのが、スタートだったそうです。

お陰様で、彼のYouTubeを楽しむことを、私もさえていただいているのか、と本を読んで初めて知りました。

これだけのシェアで今日は失礼します。

明日、なんと朝の7時からのご葬儀です。曰くがありますが、やむを得ません。

故人にピタリだろうと私が思える戒名も付けさせて頂け、引導法語(贈る言葉であり送る言葉です)も書きあがりましたので、住職としての私の勤めに尽くさせていただきます。

簡単なシェアで、今日は失礼いたします。

 


Bappa Shota『流れのままに旅をする』を読んで

2025-04-06 20:04:04 | Weblog

4月6日(日)【Bappa  Shota『流れのままに旅をする』を読んで】

私はこのところ、先祖供養のためのお塔婆書きとその準備に時間を使っています。

そして、一休みするときは、Bappa ShotaさんのYouTubeにはまっています。

彼の著書『流れのままに旅をする』も一気に読みました。

とても自分には行けそうもない世界を、YouTubeで見せてくれます。

そして、彼は多くの土地を旅して、持っていた固定概念のようなものや、いわゆる常識が全く違う世界の国々、何が良いか悪いか、何が是か非か、正解も不正解も取っ払われる彼の経験を通して、私自身も自分の中の垣根が取っ払われる思いをしています。

いつも本師が「なにが是か非かわからんぞ」と私に言い続けられた言葉を思い出します。

すでにご訪問の皆様も、彼のYouTubeは見ていることでしょうが。

本の内容もご紹介するよりも是非、皆様にご一読をおすすめします。

YouTubeの中で、彼がたびたびに使う言葉「リスペクト」

この言葉は大事ですね。かれがどこに行っても受け入れられるのは、他をリスペクトすることと、人々がお互いにリスペクトしあって生きていることへの共感、そして、いつの間にか是非の壁が取り払われている彼の姿勢だと思います。

そして「幸せですか」とよく人々に質問しています。過酷に見える社会に生きていても、「幸せです」と答える人々の幸せの姿を学ばせてもらうことができます。

素晴らしいYouTubeです。何を食べても「美味しい」と言っていますね。

 

 

 


閑話休題 30年間履き続けたズボン

2025-04-03 12:12:25 | Weblog

4月3日(木)雨【閑話休題 30年間履き続けたズボン】

今日も雨です。このところ雨続きです。暑さ寒さも彼岸まで、と言いますが、春のお彼岸は過ぎましたが寒いです。さて、なぜ閑話休題かというと、このブログを書き続けていて7069日ですが、いつも、なにかしらご訪問くださる皆様にシェアしたい気持ちで書いています。

ただあまり多くのご訪問を頂かないことは、このごろ分かりました。有る方のブログに伺いますと、いいね、が500人以上もあります。どうしたら多くの方にシェアできるのか、そのような方法があるのか、知りたいところです。

さて、そんなで、今日は特にシェアしたいということもありませんが、自分が30年以上履いている作務衣のズボンを紹介します。ツギハギだらけですが、とても気に入っていて、普段はこれを履いています。お出かけの時の、ツギの当たっていない作務衣もありますが。

ハッピーちゃんにどれが一番良いかと、聞いたら、軍配は一番左のズボンだそうです。


フェイク情報にご注意

2025-03-29 21:40:59 | Weblog

3月29日(土)雨【フェイク情報にご注意】

今日は寒かったです。暑くて汗をかいた日もあり、また急に寒かったりで、体調管理が大変です。

さて、最近お聞きした話ですが、本当ですか、といぶかしく思った情報があります。拉致被害者の横田めぐみさんについてのことです。

彼女は、自ら進んで北朝鮮の有力者として活躍しているというのです。本当ですか?

よく聞いてみますと、北朝鮮の崔善姫外務大臣は、横田めぐみさんだというのです。本当ですか?

この件については、すでにNHKで間違っているということが放映されたそうですが、信じている人もいるそうです。だから拉致問題はすでにキリがついているのである、と北朝鮮側がそう言っているのは「真実」だというのです。

「真実」????

そこで、私は、自分のパソコンにマイクロソフトとグーグルが入っているので、これを同時に使って、崔善姫なる人の顔と、めぐみさんの大人になった顔と、比べてみました。全く違います。目も違います、眉も違います、鼻も違います、とにかく全く別の顔です。誕生日がめぐみさんと同じだそうです。

どうしてこのようなフェイク情報が、まことしやかに流されるのでしょうか。この情報のソースはユーチューブでしょうか。ユーチューブはいろいろですから、見る方がよくよく注意しなくてはいけませんね。

それと見ようとしなくても、あまりに度々上皇后の美智子様に関して、貶めるような記事があるので驚いています。どうして宮内庁が野放しにしているのでしょうか。バンしなくてもよいユーチューブがバンされるのに、これほどひどい人格を否定するような誹謗中傷が、映像と共に供給されますと、美智子様のお若いころのことを知らない若者たちは、鵜吞みにしてしまうかもしれません。

誰も告発しないのでしょうか。聞くところによりますと、この情報を流している人はジャ-ナリストの〇原〇一郎という人だと言いますが、これは本当かどうか分かりません。しかし、インターネットを管理しているところでは分かっているはずです。

しかるべき處か、しかるべき人が、このユーチューブのショート(?表現がわかりません)をなんとかするべきでしょう。日本のかつて皇后陛下であった人に対して、誠に失礼な情報を野放しにしていることはあまりにおかしいです。

ガセネタという表現がありますが、ガセネタほど浸透しやすい話はありません。面白半分に扱ってよい情報と大事な情報と区別しなくていけませんし、鵜呑みにしてしまう人も多いのですから、あまりにひどい情報は「バン」した方がよいのでは?????しかし、消すべきでない情報も消されてしまっては困りますね。

受け手の私たちも、物事をよく見抜ける目を持っていなくてはということになりますね。

猫の世界には全く関係の無い人間界の愚かなることの数々です。


博士は何故選挙に出るのか 天才についての大事な締め その7

2025-03-26 11:31:50 | Weblog

3月26日(水)晴れ、黄砂【博士は何故選挙に出るのか 天才についての大事な締め その7】

いい加減にドクター・中松の記事は終わりにしたいのだが、これを書かずには終われないでしょう。

私は博士が何回も選挙に出ていたことは知りませんでした。前の都知事選には出られたそうですね。これまでになんと17回も選挙に立候補しているそうです。100歳になる時も都知事選に立候補するそうです。

何故?

これは発明とは関係ないでしょう?

 大日本帝国海軍のドイツ駐在武官だった藤村義朗中佐の遺言を守るためだ。(中略)百歳脳を支える大切な要    
素の一つである「義と仁」を守るために出ているのだ。

ドイツが負けた後すぐに藤村中佐は「日本が終戦するなら今しかない」と考えたそうで、日本の軍司令部に海軍大将を、終戦の話し合いの為に派遣してくれ、と頼んだそうですが、当寺の海軍はまだ戦争に勝つつもりで取り合わず、結局、日本は終戦協定の好機を逸してしまったのです。

終戦後、その中佐がたまたま博士の家の三軒隣にお住まいになり交流がはじまったのだそうです。やがて中佐が病で死の床に就いた時、

 「今の日本ではダメだ。だから、是非君が総理になって、この国を立て直してほしい」

と。「義の心」を持った人の願い、世の中をよくするために「政治を発明」する必要があるとお考えなのです。

この発明は、いまだ未完成ですね。

私思うに、現代の選挙運動には、SNSとか、電波を使ったり、そして、恐縮ながら、素敵なファッションをすこしトーンダウンなさり、普通の背広でなさるとか、一般的に受け入れやすい衣裳をお考えになることも次の都知事選では是非お考えいただきたいと思います。

清廉潔白、都民のための政治、「人民の人民による政治」、強いては国民の為の政治、日本は本当に危ない、と片隅でいつも思っています。将来の子どもたちの為に、日本民族を守らなくては、ならないでしょう。

昨年は、78万人(780000)も中国の人が入ってきているのです。一年間でですよ。ビザも10年ビザを発行したりしています。政治家の人たちは中国人なのでしょうか。賄賂でも貰っているのでしょうか。

中国が攻めてきたとき、自分だけは逃げたいと思っているのでしょうか。中国人が多く住んでいれば、ミサイルや爆弾は落とされないとでも思っているのでしょうか。

ハワイがどうしてアメリカにくみこまれてしまったか、皆さん、ご存じでしょうか。ポリネシア人の王国があったのですが、アメリカ大陸からの移民を許してしまい、じわじわと奪われてしまったのです。

オーストラリアも、アボリジニなどが住んでいたところに、白人が押し寄せてきて、アボリジニたちはいつの間にか先住民と言われるようになってしまったのです。

皆さん、このままでは、日本人は今に、「先住民」と言われるようになってしまいますよ。

あまりに優しい日本人、あまりにお人よしの日本人、日本国の指導権を失わないようにするのが、現代人の責任です。

ところで、博士は書いています。

 日本は無条件降伏したと連合軍は言っていますが、それは大間違いで『「国体護持」を認めるならば』という条件をつけて終戦にしたので、無条件降伏でも敗戦でもありません。

この辺のことは、私には全くわかりませんが、自給率100%であった日本の食料を、農薬まみれのメリケン粉(子供の頃、そう聞いていました)を大量に日本に買わせて、パン食や小麦をつかった食べ物になじませ、減反政策を取らせて主食だったお米を作ることを徐々に減らさせて、かつ大量に乳製品を買わせて、カゼインなどの毒素を体内に発生させ発ガンさせて、日本人のガンの増加に拍車をかけているアメリカの政策にも目を向けなくてはなりません。多くの抗がん剤もアメリカから入ってきています。

大人たちが、本来日本を、自国を、守るべき若者たちに、浮ついたダンスや歌やゲームに夢中にさせているようにみえます。このままでは、君たちの日本は危ないのだ、と気が付かせなくてはならないでしょう。

あまりに長くなりました。最後までお読みくださった方はいらっしゃらないかもしれませんね。

この辺で、失礼いたします。ドクター・中松に関してのブログはこれで不十分ながら、キリにさせていただきます。

博士、次の都知事選、百歳の立候補、祈っています!

 

 


天才の発明品 ドクター中松 その6

2025-03-24 22:24:01 | Weblog

3月24日(月)曇り【天才の発明品 ドクター中松 その6】

そろそろ博士については、一区切りにしたいのですが、昨日書いていて、あまりに眠くなってしまい、「また」と書いてしまいましたので、少し博士の発明品を紹介します。

*話はちょっと違いますが、博士が、麦ごはんを夜お食べになる、なぜならば塩の排泄によい、と書いてありましたので。とにかく腎臓を壊してしまいますと、治すのはかなり大変です。透析などとんでもない、ということで、今夜麦ごはんを炊いてみました。ものすごく美味しかったです。白米一合に押し麦一合で、土鍋で炊いてみました。これはおすすめしたいです。博士は麦だけかもしれません。

博士の発明品

〇カラオケ!

〇育毛剤「増加しと毛(まかしとけ)」:これは12000円くらいで買えます。

〇映画スクリーンを横長の画面に(ハリウッドに売り込むシネマスコープ)

〇テレビの画面を横長に

〇自動パチンコ

〇ソーラーパネル

〇オスプレイ

〇地震に強い家

〇有刺鉄線

〇ファックス

〇小型人工心臓

〇熱エンジン

〇バーチャル・イメージ・システム

〇エコキュート

〇電子楽器

〇CO2のでないエンジン、次世代自動車

〇水素の燃料電池

〇水で走る自動車

他3500以上の発明

すごいですね。まだまだいくらでもあります。

しかし、数人の人に、ドクター・中松のことを知っていますか、と聞きますと、「あのへんなおじさん」とほとんどの人が言います。発明の数々を知りますと、実に驚きます。たしか航空会社のANAの創設にも関わったのではないでしょうか。

博士の著書『私は死んでる暇がない』を枕に寝ているルナ。

 

 


ドクター・中松その5,天才はいかにしてなったか

2025-03-23 20:33:33 | Weblog

3月23日(日)晴れ、暑い【ドクター・中松その5,天才はいかにしてなったか】

このタイトルのことについて書きたいが、あまりにいろいろとあります。

だれでも教育によって博士のようになれるものではないと思いますから、書いても参考にはなりませんね。

『頭の良い子を育てる環境・運動・食事』という博士の本がありますので、興味の有る方は参考になさってください。

元々優れた頭脳を持ってこの世にお生まれになった、と思います。しかし、何かを成し遂げるのに、努力を惜しまない。模型飛行機づくりに夢中になって、どうしたら重心がずれない飛行機がつくれるか、毎日執拗に考え抜き、ひらめきを得て、ついに作り上げたのは、なんと、5歳のときです。多摩川べりで開かれているマニアたちの大会の難しいランクのグル-プで、大人たちに交じって5歳の少年が模型飛行機を飛ばしていたのです。

これがはじめの話ですが、とにかく諦めない、なにか必要があって作成を始めたら、出来上がるまで諦めない。そうして、多くの発明を成し遂げていらっしゃるのです。それも根本に、人のお役に立ちたい、それがあります。「発明は愛」です、とおっしゃっています。とにかく何事を成し遂げるにも惜しまぬ努力あり、です。

ヴァイオリンニストの吉村妃鞠さんや、ピアにストの辻井伸行さんにしても、たゆまぬ努力があっての演奏会における素晴らしい演奏です。もともとの才能はもちろんあるでしょうが、その上に不屈の精神、たゆまぬ鍛練、努力、精進、それができるのがまことの天才なのですね。

しかし、博士も『頭の良い子を育てる環境・運動・食事』で書かれていますが、胎教から心して子どもを育てたら、頭の良い子は育てられるようです。

博士は子供のころから一度も「勉強しなさい」とは親に言われなかったそうです。いう必要もなかったのでしょう。因みに私も一度も勉強しなさい、と言われたことはありません、が、天才にはなれませんでした。

とにかく博士のお母さんが、並大抵のお母さんではありませんでしたね。はじめ通っていた小学校が青山から世田谷区の学芸大学に移転するとなると、千駄ヶ谷に住んでいたのに、学校の近くに引っ越し、博士の為に「勉強部屋」「工作室」「寝室」の3部屋を作って、工作室では好きなだけ工作をし、勉強部屋と寝室はいつもきれいにしているようにと躾けられたそうです。

なんでも博士が望むことをさせてくださった。これはすごいことですが、親もそうしたいほど、義郎少年が並外れた頭脳を持っていることを親は実感していたのでしょう。

ということで、一般的にはあまり参考にはなりません。

あまりだらだらと博士の紹介を続けるのをやめましょう。

なぜ選挙にいつもたつのか。それも書きたいですが。ドラマがあります。長くなりますのでやめます。

 

3500以上もの発明をなさったうちの、いくつかの発明を列挙しておきます。(変なおじさんではなく世界の発明王です)

石油ポンプ(醤油チュルチュル)

ドローン

フロッピーディスク(IBMにライセンスを売る。日本の会社はその時価値が分からなかった)

地震シェルター

此処であまりに眠くなりましたので、続きはまた。