mukan's blog

つれづれなるままに ひぐらしPCにむかいて

実家からの贈り物みたい

2023-12-05 15:58:05 | 日記
 宅配が届いた。甲州に住む古い友人・Tから。入っていたのは野菜。白菜、大根、菜花、柿、蜜柑、唐辛子。それに、ほうとうや甲州ワインも添えてある。いや、これはすごい。今夜、鍋でもしようかといって買い物に出たカミサンに、こんなものが入っていたとメールをする。
「うわあ!」という返信が来た。
 早速、Tに御礼のメールを書く。
   ***
Tさま/今荷物を受け取り、驚いています。まるで、実家の親から東京に出ている息子に送ってくるような品々。あなたのお気遣いが籠もっていて、うれしくも恐縮しています。ありがとうございました。/先ごろあなたが「体不調が続いている」とおっしゃっていて、そうだよ、私たちはそういう歳になったのだと相づちを打っておりました。でも、未だあなたは、このような野菜を作っておられるのですね。これはすごい。動かなくなれば動けなくなるというお手本のように心に響いてきます。/うちのカミサンの義兄が亡くなったり、私の叔父が亡くなったりと、訃報続きの今年でした。たぶんこの後は、もっと頻繁に、私やカミサンの兄弟やその連れ合い、長命な叔父や叔母の訃報に接することになりそうです。ひょっとすると私の方が先かも。/でも、そうやって、私たち自身も、一步一步彼岸に向かっているのだと痛感しています。覚悟が決まるものではありませんが、それを寂しいとか悲しいと思う心持ちは、なくなっています。そういうものだ、ある種の必然、成るべくしてなること。そう坦々と受け容れる用意を、まわりとの遣り取りが整えてくれるように感じます。/ありがとうございました。こういうかたちで、あなたの元気な気配を感じることができて、とても嬉しく思います。/奥様にもよろしくお伝え下さい。/お元気で。頑張って八十路を歩んでいきましょう。 F
 彼から返信メールが来た。
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Fさん/無事にお遍路からお帰りですね。かた時も休まず修行や思考にいそしんでおられる姿に感心しきりです。お忙しい中、早々にメールを頂き恐縮です。/突然、重いだけの物をお送りつけてビックリなさったことでしょう。申し訳ありません。出版のお祝いに何かと考えていましたが思い当たらず、ついにこんな物になってしまいました。/自分が育てた作物です。白菜は8月に種を蒔きやっと結球してくれました。柿は御所柿という品種。子供の頃に土蔵の屋根に上って取った記憶がありますから樹齢は100年超。収穫時期はもっと早いのに白菜の結球が遅れ、気をもみました。大根や菜っ葉は私が日常に食べているもので、虫の食べ残しです。ナスが取れるときはナスばかり、キュウリの取れるときはキュウリばかり、その時々の野菜ばかり食べています。これではキリギリスになってしまうと夫婦で笑っています。そんな私の生活の一端を知って頂ければ、幸いです。大根の葉など不要なものは捨てて下さい。(本当は葉の方が美味しいのですが。)/体調は相変わらずで、医者通いが増えています。かかりつけ医からは、この歳なら仕方ないこと、クオリティ・オブ・ライフ(quality of life)が大事だから、様子を見ながら過ごそうと言われています。一日一日出来ることをやろうと思っています。/桜も柿も葉を落としました。これから枝切りなど冬の仕事の始まりです。梯子や脚立から落ちないように用心しながら、やらなければと思っています。心配でもあり楽しみです。/各方面での益々のご活躍をお祈りしています。田中
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 今、さらなる返信を考えている。まず、急がない。隔週に一便ずつくらいかな、それとも月に一便くらいかな。距離感が取れないと、煩わしい。間延びが過ぎて、忘れられるくらいがちょうどいいのかも知れない。そんなことを思いながら、柿の木を剪定しようとして枝が折れて入院したという90歳を越える田舎の義兄のことを思い出している。

お遍路最終章(7)讃岐を歩く景観の感触

2023-12-05 07:04:54 | 日記
 お遍路最終章の行程では一番長い27.8kmを予定していた第七日。六つの札所を巡る。6時に宿を出た。四国は関東に比べておよそ30分、日の出が遅い。まだ暗く人影もない。片側二車線の街灯が照らす財田川左岸沿いの広い歩道を歩く。早朝の新聞配達の仕事に出かけるような気分だ。気温は4℃。
 ビジネスホテルのスタッフのいうコンビニでおにぎりを二つ買った。橋を渡って水量の多い川の右岸に沿う道を東へ歩く。8割ほど雲が蔽う空の切れ目が昇る朝日の光を得て明るんできている。
   7時頃、民家の屋根の上に樹木に取り囲まれた五重塔の上の方が見える。ああ、あれが本山寺だ。古文書などは残っていないし、一度消失したそうだが、鎌倉様式の建築として復元されて国宝になっていると本堂のことを記している。ベンチで朝食を済ませ、お詣りをする。
 昨日の距離を歩いて16時には宿に着いたことが今日の自信になっている。昨日より1時間早く歩き始めているのだ。ゆっくりでも十分間に合う。雲も少しずつとれ雲間から光のシャワーが降りてきているようではっとする。東の方に、頭の丸い△のおむすびを置いたような山がぽこぽこと連なっている。そうだ、讃岐富士がこうだった。瀬戸内海の小島にもまた、このようなかたちの大槌島とか小槌島というのがあって懐かしい。讃岐に入ってきた第二の徴候だ。
 いかにも歩き慣れた風情のアラフォーの若い女性の二人連れが追い越していった。ひと組の女性ペアを追い越した。ペアの方の一人はアラカンの外国人女性、もう一人はその案内をしているのか、50前後の日本人女性。案内人はさかさか歩くが外国人がゆっくりしていて、私が追い越すことになった。
 前方の山の中腹にお寺だろうか構造物が見える所にスーパーマーケットがあった。トイレを借りることにし、ついでにお昼を調達する。菓子パンを二つ買い、カルピスの440mlをパッキングして、71番札所・弥谷寺の参道入口に着いたのは10時半過ぎ。そこから山の斜面に沿って設えられた道を辿る。108段の階段があり、その由緒由来が書いてある。その中に「四苦八苦」が由来。4×9と8×9を足すと108になるというのがあって、ホントかなと思わせてオモシロイ。そもそも中国語の「苦」が「九」と音が重なる日本語の語呂合わせに見合っているのかな。むしろ掛け算得意のインド伝来なのかも知れない。でもうまい! と思った。煩悩はしかし、百八つもあるのかしら。
 一番奥の本堂に詣り、それとは離れた所の太子堂に(靴を脱いで上がり)お詣りする。その奥に奥之院・獅子之岩屋があり、弘法大師の石像が法具を持って何やら念じている風情であった。これは、灯りの具合もあってなかなか迫力があった。
 40分以上もいたろうか。山の中腹をトラバースするように踏み跡のある「へんろ道」を行く。「曼荼羅寺道」と固有名が添えられている4km余のルート。これでもかというほどにある溜池の縁を回る。お昼を過ぎた頃通りかかった国道の交差点に「お遍路休憩所」があった。人が使っている気配はなく草がぼうぼうと生えてベンチを隠すようになっている。そこでお昼にする。陽ざしは強い。風があるから体感温度は10℃を切るが、歩いている分には寒くはない。カルピスの水分補給がちょうど良かった。
 ここでちょっとgoogle-mapに頼ったため方向を間違えたが、通りかかった人に聞いて修正、13時過ぎに72番札所・曼荼羅寺に到着。そこから500mほど山へ上がった所に73番札所・出釈迦寺がある。登り口の石門を入ると、△おにぎりのような山を背に二体の大師石像が寺を護っている様子、その脇に「山あれば山を観る」と彫った大きな石碑が立てられ、なんだか私向きの言葉のように受けとった。その坂を上ると山門があり、本堂や太子堂には「秘仏大公開」「拝観料800円、18歳以下無料」と大書してあった。信仰心のある人は拝観を希望するのであろう。情けないがこちらは信仰心がない。遠慮して次の74番へと先を急ぐ。14時を回っていた。このあとは、二つ札所を数えて7km半ほど。山はない。16時に着くのは難しくない。
 ゆったりと讃岐富士に似たおにぎり山の並ぶ方へ歩を進める。74番札所は甲山寺。そうか、おにぎり山というよりは冑山か。それに由来するのが甲山寺だとすると、あの向こうのおにぎりだなと見当を付けて向かうと、まさしくそうであった。
 山を背にして静かなこの寺はうさぎを象徴として扱っている。御朱印帳とか白衣に兎の朱印を押しますよと看板までおいている。「じゅうにしんみかたにもてるいくさにはおのれとこころかぶとやまかな」と、本堂の扁額に書してもいる。そうか、十二神の卯(うさぎ)がこの寺の守護神か。
 75番札所・善通寺についた。15時18分。善通寺は空海の生誕の地。善通というのは空海の父親の名だそうだ。たくさんの参詣客が広い境内を歩いている。団体さんを率いた「旗」を持った添乗員の姿も見えるから、バスがどこかに止まっているのかも知れない。五重塔と松林と青空と綿雲が、広い境内とともに、いかにも真言宗善通寺派の本山というゆったりとした雰囲気を醸し出し、ちょっと長野の善光寺に雰囲気が似ていると思った。
 本堂と太子堂にお詣りし、納経所に御朱印を貰って、はて、宿坊ってどこだろうとお坊さんに尋ねた。別の敷地の鉄筋三階建てを指さして、あれがそうという。そうかあれか、と阪神の監督のようなことを口にしながらそちらに向かっていると、ベンチに座る二人連れから声をかけられた。
 ガイジン。東南アジアの人だろうか。若い、貧乏旅行をしている学生のようなカップル。日本語は話さない。英語もたどたどしい。でも男性が手を差し伸べて私に言っているのは、「パウンドケーキを食べないか」ということのようだ。ありがとうと頷くと、ナイフで一人分を切り取ってくれた。手が汚れているなあと思ったが、いまさら手を拭く濡れティッシュを出すわけにもいかない。「有難う」といって受けとり、その男性の脇に腰を下ろした。
 彼は、今夜どうすると聞いているようだ。
 ああ、この先の、ほらっ、この寺の宿に泊まる。
 いくら?
 う~ん、いくらか聞いていなかったけど、8000円くらいかな? あなた方は?
 いやまだ決めてない。
 そうか。ごちそうさま。
 と礼を言って、私は宿坊の方へ向かった。
 この宿は是非、宿坊に泊まろうと思って申し込み、予約を取った。朝の勤行をみてみたいと思っていた。「良く取れたね」と遍路の方には言われたが、行ってみると、がらがらのようだった。受付の人は勤行が6時から、朝食は7時からだがいいかという。これはちょっと戸惑う日程であった。
 というのは、翌日の行程が28kmほど。しかも最後に到達する札所は16時40分までにお詣りしないと山門を閉めてしまうと、予約した宿の方に聞いた。もちろん朝6時にスタートすれば今日同様に16時前に付けるだろう。だが7時食事、7時半出発となると、ぎりぎりかなと心配した。もちろん朝の勤行に出なくとも良いというが、それでは折角この宿坊に泊まった意味がない。ま、一晩考えることにして風呂に入り、洗濯機と乾燥機を回して、翌日の身支度をすることにした。受付の所で先ほどの貧乏旅行カップルと出会った。彼らもここへ泊まることにしたようだ。
 この日の行程は32.8km。ほぼ前日と同じであった。どうしてだろう。予定行程より2割程度多いとなると、35、6kmくらいになるはずであった。「へんろ道」をあまり間違えずに辿ったからであろうか。突き詰めて考えることも捨てて、ボーッと身体を休ませることにした。