mukan's blog

つれづれなるままに ひぐらしPCにむかいて

この一年

2023-12-30 10:11:21 | 日記
 2023年という一年は私にとってどんな年であったろう。でもコレって、何を考えているんだろうと、考えているワタシをさらに一歩退いて眺めるような気分が浮かんだ。
 年末の新聞・TVに「この一年を振り返る」という記事・企画が登場する。これらは、誰にとっての・・・という視点が隠されている。記事・企画をしている記者・ディレクターは、隠しているとは思ってもいないに違いない。「政治」や「経済」、「国際関係」、「科学」、「芸術」、「芸能」なども、公平公正、客観的に見ていると公言している。神の目のような視点と私は思っているが、実はそこには、その記者・ディレクターの無意識が隠れている。
 人は一様ではない、多様だとごく普通に言われるようになった。それは感覚や感性、性格や資質のちがいという個体の差異を指していることが多い。だが、社会的な情景に位置づけてみるときには、その個体の差異を生み出す社会的な関係に目を留めなければならない。個体の差異という生命体としての違いで言えば、ヒトとしての感性や感覚などは99.99%同じと言ってもいいくらいだ。どれをとっても、人類史の辿ってきた径庭が、微細な差異の蓄積を伴ってそれぞれのヒトに堆積し、無意識として身の裡に潜んでいる。それが社会的情景においてみると、人の感性や感覚、個性や資質の違いとして現れている。そのヒトが身を置く社会的情景こそが、モノゴトを見る視点をかたちづくる。
 客観的というのは、つねに差異を生み出す社会的根拠を意識し、見ている事象をどんな次元で見ているのかに応じたフィルターを通して差異を無化する。神の目である。それは、そうした社会的情景とそれに起因する差異を無化する視線を指している。
 公正とか公平というのは、社会的情景とそれに起因する差異が社会的情景のもたらす力関係の作用を受けていることを意識して、そのバランスを取ろうとすることだ。それは動態的であり、どんな場でどのようにバランスを取るのかによって一様ではない。つまりそれを記述する記者やディレクターの無意識も作用するから、公平公正もまた、つねにつねに批評と批判に晒されて動き回っていると言える。
 いやいや、横道へ逸れた。でも、こうして一つひとつの私の言葉を吟味してワタシの言葉で改めて概念規定することが、もう一歩進んだのも今年一年のワタシであった。どんな言葉を吟味してきたかは、このブログを読んでもらうしかないし、それを改めて、コレとコレと並べてみる趣向はもっていない。
 門前の小僧は境内には入らない。
   *
 さて今年のワタシは何をしたであろう。
(1)左手掌(デュピュイトラン拘縮)手術のリハビリにキリを付けた。
 恢復したわけではない。縮んでいた手掌は慥かに伸びたが、逆に曲がらなくなった。手術をするんではなかった。握力は極端に低下した。左指のブラインド・タイピングができなくなった。医師は済まなさそうに「その後」の診療を約束しているが、細かい神経を腑分けして行った全身麻酔の手術であったから、こうしたこともあるだろう。仕方がない、と諦めた。
(2)四国お遍路の区切り遍路・第3回目と第4回目を3月と11月に行い、88番札所まで経巡り、結願した。空っぽのワタシに出逢えた。
 「発心」したのは2005年1月、62歳の時。退職後、「体を動かすこと」を発心したのだと、いま思う。山歩きはしていたが、それが途絶えた後に「歩くことがワタシになる」とは思ってもいなかった。
 このときは5日間で切り上げている。子細の記録もない。日々、どこをお詣りした、どこに泊まったと日誌に記しているだけ。札所の間の距離を調べてみるとおおよそ120km、24km/日の歩行となる。
 第2回目遍路は2022年4月、79歳。山で遭難して一年後のリハビリであった。17日間歩いて「飽きちゃって」切り上げている。420km、25km/日のペース。
 第3回目遍路は2023年3月、80歳。19日間、580km、30km/日。「ワタシには信仰心がない」ことを確認した。このときは当初の予定日に切り上げている。
 そして11月の第4回遍路、81歳。11日間、320km、28km/日。「空っぽのワタシ」を発見したと言えようか。
(3)7月に笠ヶ岳に登った。リハビリを続けていた山歩きにどれだけ躰が耐えられるかのお試し登山。
 普通よりも1日宿泊を増やして何とか完登した。その時、84歳でなお槍ヶ岳への「裏銀座コース」を歩く予定というグループに出逢った。私は歩いていない。来年行ってみたい。だが単独行は心配というカミサンに配慮して、誰かに付き合ってもらおうと考えている。さあ、そのためには平地を歩いているだけでは適わない。春になったら丁寧に体を作って行こうかと思いが湧いている。
(4)半世紀以上続く毎月の例会がある。「ささらほうさら」の会。めちゃくちゃとかワヤになるという混沌を意味する秩父地方や山梨県などの方言である。
 コロナ禍で例会がしばらく休止していた今年1月、会の実務の中軸を担っていた方が亡くなった。それを機に、例会を4月から再開した。休止期間中も発行していた私の個人誌「ささらほうさら・無冠」が、しばらく前から会員の原稿も載せるようになり「会誌」の色合いも帯びるようになっていた。私がつれづれなるままにワタシの吟味を綴る「mukan's blog」の、ひと月分の内のいくつかを選択してアップする。それに対するメンバーのコメントが寄せられる。それがワタシに突き刺さる。そういう遣り取りが、徐々に濃密になっている感触。いい年になった。
(5)還暦で退職した頃から再会した高校の同期生の在京組が集まるseminarにする核であったマンちゃんが8月に亡くなった。享年82歳、男の平均年齢である。小学生時代からのワタシの親友。
 話は前後しているが、これを機にseminarは消滅した。同期生の集まりはその後も行われている。だがワタシにとっては、すっかり消えてしまった。ああ、こういうふうに人はこの世から消えていくものだという感触が、seminarばかりかワタシの身をとらえて溶けていくように感じられる。
   *
 そうだ、八十路の八十爺になっていくとはこういうことだと、日々のわが身を受け止めながら、今年を振り返っている。