mukan's blog

つれづれなるままに ひぐらしPCにむかいて

年の瀬、正月の準備

2023-12-27 16:04:54 | 日記
 孫が大きくなったこともあり、子どもたちも仕事の中枢を担う歳となって、正月に実家に帰ってくることもなくなった。この正月3日間は大学生と進学先の決まった孫二人とスキー場で過ごすこととなった。こちらはもうスキーはしない。スキー場の近場で鳥を探してスノーシューで歩くくらい。カミサンは御節の用意をする必要がないので、よろこんでいる。
 車にガソリンを入れる。年末で混んでいるかと思ったらガラガラ。まだ現役は仕事なんだね。このところ車に乗らなくなった。山へ行かない。もっぱら歩く。そう考えてみると、月に一回くらいの遠出か、大量の買い物の運び屋、カミサンのボランティアの送迎くらいだから、ひと月300キロも走らない。ガソリン支払いに使っているだけのカード会社に年会費を支払っているのは、馬鹿馬鹿しい。これはやめなければならない。
 買い物に行く。往復7km余。行きはカミサンとおしゃべりしながら遠回りをして草木を眺め、帰りは、買い物をするカミサンと別れて、別ルートで汗を掻くぐらいの早さで緩急を付けて、さかさかと歩く。昨日の、脚の神経に意識を呼び覚ますってやつだ。これは、いつだったか誰か健康科学の研究者がインターバル速歩と言ったか。それによって筋力を付けなくちゃあ、ただ漫然と歩いているだけでは、ダメよと言っていたのを、脚の神経という観点から言い換えたようなことだ。筋力を付けるというのも、脚の筋肉の意識を呼び覚ます刺激を与えるというのと、同じことだ。
 漫然とというのは、生活習慣にして無意識に落とし込むことと、アタマでは表現する。だが、一度無意識になってしまうと、経年劣化という緩慢な筋力の低下や神経の鈍化は、気づかれぬうちに歳と共に進行してしまう。意識させることによって、身の現状況を微細に感知して隅々にセンサーが作動する。
 例えば、飲酒。毎晩夕食前、ある時刻になるとお酒を飲んでいた。夜トイレが近くなる。試しに一晩飲むのをやめた。変わりがない。忘年会で飲み過ぎた夜は1時間半だった間隔が、一晩やめると3時間になった。二晩やめた。4時間半になった。三晩やめてみた。6時間続けて眠った。やめてみると、定時になってもさほど飲みたいと思わない。う~ん、どうしようか。カミサンは体の調子が悪いのかと心配する。いやいや、身の程を知ろうとおもってね、とはぐらかす。今日、高知県三原村からどぶろくが届いた。飲まないのをやめることにした。
 網戸を洗う。風呂場にもっていって、風呂用の洗剤を使って汚れを落とす。南側よりも西側の網戸の汚れがひどい。舗装してない駐車場があるからかなあ。北側がそれ程でないのは、団地の建物があるからかも知れない。腕を上げ下げしていると、肩が凝る。へえ、シャワーの首をもって水をかけるだけの動作で、疲れを感じる。筋肉が弱ってるんだね。
 ガラス窓を拭く。先ず内側を全部やり、後に外側にかかろうと取りかかったが、内側ですっかり草臥れてしまった。外側は明日に回す。昔は、といっても六十代くらいは毎年、これに加えて障子の張り替えをした。五十代では襖の張り替えもやった。経師屋のようにはうまくできないが、でもそこそこさっぱりしたと感じられる程度の出来具合であった。今は障子も、2、3年に一回。今年は手を付けない。襖は以ての外。
 こうして1日が終わる。やわになったものだ。八十爺は身の程を思い知らされてばかりだ。

神経に意識化させる

2023-12-26 08:51:55 | 日記
「山歩講9年の記録」を送ったうちの一冊が「宛先不明」として戻ってきた。講中であったKさん。引っ越したらしい。まだ60代。同じ講中で私より十年以上も長くKさんと付き合ってきたカクさんに新しい住所を知らないか問い合わせた。彼も転居したことを知らなかった。唯一つ思い当たることがあるという。母親と実家に暮らしていた兄が早くに亡くなったようだったから、ひょっとして実家に帰ったのではなかろうか。実家なら知ってるよ、行ってみようか。
 近所で落ち合った。カクさんは実家を確認してからやってきた。
「ないんだよ、それが・・・」
「うん?」
「実家のあった所に別の家があってね。表札が違うんだよ」
 ともかく行ってみよう。二人でそこへ向かう。実家があったはずの、幹線から少し外れた住宅街の十字路の角地には、それぞれ一台分の駐車場を備えた二軒の家が建ち並び、慥かに表札はKさんのものとは違う。新しい家でもない。もう十年以上も経っている気配。カクさんが実家を知っていたのは22年以上も前だ。ひょっとしたら実家はとっくに転居していたのかも知れない。
「雪山には行ってくれるなって母親が言うから・・・」と口癖のように言って奥日光のスノーシューにも警戒的であったKさんを、私は不思議な思いで見ていた。だって若い頃から山歩きをしてきた男が還暦を過ぎて口にする言葉とは思えなかったからだ。母親思いというよりも、何だか昔の孝行話を聞かされているように感じた。
 仕方なく、一緒にお昼を済ませ、コーヒーを飲んでしばらくおしゃべりをしてきた。その中で、オモシロイことを聞いた。
 互いの体調の微細な変化が話題に上るのは、82歳と81歳の老人の会話として不思議ではない。私はもっぱら歩くだけだが、80歳になる頃までトレイルランニングをし、いまでもときどきフェンシングを愉しむアスリートであったカクさんは、ジョギングを欠かさない。
    *
 まだ山歩きを続けようって気持ちはあるの?
 うん、あるよ。今年7月に笠ヶ岳へ行ってきた。普通の行程よりも1日余計に計画して、なんとか2800m余の山頂に辿り着いたよ。ずいぶん弱くなってるとは思ったけどね。
 そうか、そうしてお遍路をやり遂げたってワケか。
 そうです。来年できれば、槍ヶ岳の裏銀座を1週間ほど使って歩こうかと思っているんだけど、一人じゃあ心配でね。息子についてきてくれって頼んでるところ。年が明けたらトレーニングしなくちゃあ。
 いまでも毎日歩いている?
 うん、週に5日くらいかな、8キロから10キロくらい歩くよ。
 そりゃあ、いいね。毎日同じように歩くより、距離も長短あったり、歩度も緩急付けて歩くのがいいよ。
 えっ、どうして? 毎日10キロくらい歩くんじゃあ歩きすぎってこと?
 いや、そうじゃないよ。距離に長短付けたり、ときどき休んだり、緩急付けるとね、神経が目覚めるっていうか、神経への刺激が意識的になるんだね。この意識的な刺激で目覚めた神経がね、ほんのちょっとした足元の違いに気づいて躓かないで歩いたり、躓いても咄嗟に転ばないステップへ備える機敏さを保つようだよ。
    *
 この、神経への刺激というのがオモシロイ。私は体の無意識を意識化することが「日常生活批判」として大事なこととふだん口にしているが、神経もまた、日常の繰り返しだけでは馴れてしまう。つまり神経も体の劣化衰退に同調して鈍くなってしまうってことか。ところが体を動かすときに緩急の変化を付けることで、神経が自ら意識するような刺激を与えることができる。それが、咄嗟の身の反応に備えるのに大切とは、言われてみれば、そういうことってあるよね、と思った。
 お遍路をしていたとき、通し遍路をしている方が「ときどき躓くのよね」といっていたのを思い出した。私はパーキンソン病の症状を思い浮かべ遣り取りをしたが、そうか、神経の目が覚めるような意識化という視点が必要だったのか。さすがカクさん、微細な体の動きに省察を欠かさないアスリートだ。オモシロイとまた思った。


わが身と観念を総ざらいするのか

2023-12-25 09:26:03 | 日記
 昨日の「人動説」が生じていることを進歩・発展というのかと疑念が生まれる。トランプやプーチン、イスラエルなどの出現は「退行」ではないというニュアンスが込められて、「新しい時代」が来ているかも知れないと書いているからだ。歴史を欧米的直線で考えていると、「新しい」というのは進歩・発展を意味する。だが私は、そうは言っていない。天動説、地動説と新しい説が席捲する時代として次の人動説時代に入っているのではないかといっているだけである。
 天動説というものを考える軸が地動説という軸に変わると考えれば、ちょうど第四氷河期が終わり次の第五氷河期がやってくるまでの現在を第4間氷期と呼ぶように、第二間軸期と呼んでもいいかもしれない。軸が移動しつつある時代が始まっていると指摘しているにすぎない。
 それは進歩・発展なのか?
 天動説が地動説に変わっていくとき、それを進歩・発展ととらえたのは、後付けの地動説・近代主義者であって、天動説派の人たちではない。いまだに創世記に反する進化論を教えるなと否定する人たちは多くいる。つまり地動説時代の持ってきた力が天動説時代の延長上に想定される力よりも、いまは遙かに強いから、後付けの評価が影響力を発揮しているだけかも知れない。天動説は創世神話を守護し続ける「論理軸」の上に築かれている。地動説はそれを覆す起点となった。その延長上に進化論も誕生し、近代科学技術の広がりもあって産業革命を始めヒトが地球環境や気候・気象を決定するほど動かすようになった。人新世の起点であった。
 地動説の「論理軸」が探求されはじめたのは地球が丸いという考察からだったように、地球の円周4万キロということが古代エジプトの発見であったように、前の論理軸の時代の成果の上に乗って、次の時代の論理軸は築かれてきた。人動説もまた、地動説時代の論理軸に乗って築かれた成果のいいとこ取りをして新たな「論理軸」を築こうとしている。しかし見ようによってそれは「退行」であり、先祖返りに見えるかも知れない。つまり歴史は一直線上に進歩・発展するのではなく循環しているという説が生まれる所以だ。
 ちょっと子細に見ると、天動説は人間の主観(創世神話)を中心軸に据えて展開された所説である。それに対して地動説は人間の主観を離れ、客観・普遍という概念を軸にして、人の「しこう(嗜好・思考・志向)」がもつクセを排除して宇宙と世界を見渡す論理軸を提起した。この提起軸転換のベースに、わが身の立ち位置を大宇宙の中において取るに足らない存在と認識したことを見逃してはならない。この地動説の論理軸が示すヒトの存在の卑小さこそが、客観的・普遍的論理軸への「しこう(嗜好・思考・志向)」を強くうながした。
 その客観・普遍という論理軸がヒトの暮らしを大きく改変すると共に、そこに生じるモンダイを繕うために近代市民革命や社会主義革命などを引き起こし、それがもたらすさらなる齟齬破綻を繕おうと宗教と政治の分離とか国際平和の協調などが軸に加えられ、しかしそれでも落ち着く先が見いだせず、未だに右往左往しているのが、現代社会であるということができる。
 つまり人類史は、目前のモンダイを解決するためにあれやこれや取り繕う施策を行っては、その結果生じた思わぬところの新たなモンダイに取り組まねばならないという、弥縫策と対処療法の繰り返しの積み重ねであったということができる。
 トランプやプーチンやイスラエルやバイデンの弥縫策が、もはや剥き出しの自己主張であり、客観・普遍という論理軸の生み出した「理念」を単なるタテマエに貶めてしまっていることは、いまさら繰り返すまでもない。国連事務総長のウクライナやガザやシリアやソマリアや国民国家の単位による対立状況に向けた発言が、その象徴だ。本当に力が無い。
 グローバルサウスと呼ばれる国々とは、国民国家としての政治経済的軍事的力の非力なところである。これらの国々とそこに棲まう人々は、長い歴史の間にも、ほぼ無視されつづけてきた人たちであり、いつも混沌の中に捨て置かれてきた。そしていまや先進国の人々もまた、人動説時代の論理軸の中で、不安を掻き立てられ、政治的鬱憤晴らしと、経済的不都合と、日常的お祭り騒ぎに動員されるばかりで、レミングの群れのように見えない先にある断崖向こうの海へ向かって爆走を続けているように見える。もちろんワタシも。
 こうなるとちょと立ち止まって、地動説時代にワタシが身に付けた論理軸のあれこれを、一つひとつもう一度見直し吟味しなくてはならないと感じる。
 自由って何? 自由と所有の関係はどう見極めるの? 所有と平等の関係はどう捉えているの? 自由と自律は共同性とどう関わっているの? 自由と自律と責任はどう関わっているの? 自治と中央集権的権力・権威とはどう築かれていくの? じゃあ、民主主義って、一体なに? などなど、いくつものモンダイが飛び出してくる。
 う~ん、これらを吟味するってことは、私のこれまで身に付けてきた「知識」と「無意識」を総ざらいして見直すことになる。こりゃあ、この先の私の寿命と照らし合わせるとムツカシイ。でもまあ、できる所まで見ていくしかないか。

人動説が世界をささらほうさらに

2023-12-24 09:31:00 | 日記
 コロナ禍も収まりきらず、ウクライナも中途で見放して、イスラエルとパレスティナの新たな火種を抱えて、はたして世界はどうなるのかしらと、温暖化という気候変動をそっちのけにしてヒトの世界は混沌へと突き進んでいる。
 見晴らしがいいと人は希望を抱ける。
 山を歩いていても、今自分がどこにいてどちらへ向かっているとわかっているかどうかで大違いになる。急峻な岩場があと2時間、その後の下山に3時間と計算もでき、ここまでの5時間の疲れを怺えて歩き続けることができる。ところが、自分の現在地点がわからなくなると途端に不安が大きくなる。地図を持たないといっそう途方に暮れる。
 かつてなら今年の1年振り返って年賀を書いたものだが、喪中とあってその手間が要らなくなった。そこへもってきてこちとらは先の見晴らしが、おおむね見当がついている。三途の川が待ち受けている。足元は見えないけれども川音が聞こえる。いつ何時どのように三途の川に出喰わすかを思うと不安にもなるが、誰もがいつかはそれに向き合う道と思えば、ま、それはその時に不安に耐えるしかない。「致し方ない」とあきらめの心はできている。立ち止まって後ろを振り返り、ああ、ずいぶん遠くへ来たもんだ、それなりにラッキーだったんじゃないのと天に感謝する心持ちにもなる。これは、年の功だ。
 ところが今年の世の中を見ていると地上は混沌(ささらほうさら)へ向かっているように見える。
 世界を認識しはじめた子どもの頃には、自由・平等・人権・平和と希望に満ちあふれていた。むろん戦中の窮屈から解放されたから、戦後の窮乏と混沌は如何程も感じなかったといっていいほどだ。言葉を換えて言えば、ささらほうさらな混沌しかなかったから、残りは希望だけって趣。希望はGHQの占領統治というよりは、GHQの若手も感じていたWWⅡへの反省が籠められた「日本国憲法」であった。そうか、こういう世界をつくるんだ、それが人類史的使命だと身を以て信じることができた。
 今年を振り返ってみえる世界の混沌は、来年は一層深まるに違いないという確信は、ある。出口が見えないからだ。
 世界を大きくみると、こんな風に言えようか。
 今私たちは、天動説が地動説に取って代わろうとしている時代に生きているんじゃないか、と。天動説の隆盛であった頃の絶対神の宗教指導者たちは、懸命になって地球を中心とする星々の動きを説明することに力を尽くした。太陽系の動きはそれなりに容易であったが、それが天の川銀河に及ぶとちょっと思案が必要となった。さらにそれがアンドロメダ銀河を視界に入れると(観測装置がさほどでなかったから、その必要はほとんど無用であったが)どうにもならなくなったろう。ところが地動説となると、その説明は簡単になった。地球が太陽系のほんの一つの惑星、天の川銀河は太陽系の33万倍ほどもあるから、そこへ地球をおくと取るに足らない。ヒトにとってはかけがえのない地球であっても、銀河系からみるとほんのゴミ粒ほどの存在になる。
 じゃあなぜ、天動説の宗教指導者は素直に地動説を受け容れなかったのか。絶対神がおつくりになったという起点を崩せなかったからだ。では地動説の提唱者たちはなぜ、そこを突破できたのか。地球が丸いという自然観察を起点に太陽を中心においてわが地球の存在を惑星とみていたこと。つまり地球は宇宙の中心の外れにあるとみなしたことが観測・観察を自在にしたと言える。ヒトが自らの立ち位置を摑むには自己の身が保つ「しこう(嗜好・思考・志向)」を空にすることが欠かせないのだ。己をちっぽけな存在と観ること、つまり虚心坦懐こそが、自己省察に必要とされる起点に据えられなければならない。
 2016年のアメリカ大統領選挙でトランプが登場したとき、先進諸国の人々は驚きを持って受け止めました。あれほど露骨に我欲を押し出し、対立する相手を誹謗中傷し、何憚ることなく国際的な協調を無視する指導者が、世界最大の政治経済軍事敵対国を率いることに驚いたのですが、今振り返るとあれは、地動説に安住してきた世界が変わってきていることを象徴することでした。すぐに駆けつけた日本の宰相・アベも、そのときすでに近代法の権力分立を無視し、戦後つくりあげてきた民主的統治の手法を人事権を駆使してゆがめ、奔放な統治支配を推し進めていたのも、思い返せば、トランプ同様の所行であったといわねばなりません。
 それを当初、近代社会の人権、人道理念や近代政治の権力分立や国際協調の理念を持ち出して非難する風潮が大勢でしたが、それはほとんど効き目のないことが、未だに隆盛なトランプ支持のアメリカ世論をみても肯けます。トランプ流を人類史的後退とみる見方自体が、地動説の出現を絶対神以前の状態に後退する「反動的」所行とみる見方に対応しています。新しい時代の幕開けなのに、それを後退と非難すること自体、自身の説明できない事態が出来していることを覆い隠してしまうからです。
 トランプの出現によって排斥されたヒラリー・クリントン流の理念は、いまだに息を吹き返す兆しを見せていません。そればかりかバイデン政権のようによたよたと頼りなく、覚束ない気配ばかりが浮き彫りになっています。今回のイスラエルのガザ侵攻に際しても、戦闘に置いて民間人を攻撃するなとか人命尊重などと訴えても、言葉の虚ろな響きが伝わるばかりで、人の世はとっくにトランプ流の世渡りへと移行していると見た方がいいのかも知れません。
 トランプ流の世渡りとは何か。宇宙論の次元で言うと、徹底してミクロの世界にこだわる視線と主張です。目先の我が利を求める。今身に降り積もる鬱憤を晴らす。減退衰微していく社会的立ち位置にしがみつく。一般論や理念がベースにする人道や人権、科学的考察や国際平和という客観的・理想論的説明はフェイクとして排撃する。それを大衆に向けて訴えるのに一番効果的なのは、人種的な齟齬を差別に持ち込む、宗教的な対立を煽る。さらにそのベースになりうる「不安」を掻き立て、頼るべきは我にありと、それが藁であってもフェイクでも、正しさの証しの旗を立てて大声を上げる。
 地動説時代の理念ではもう説明しきれない人の本性の奔出といえる。それをイデオロギー的にとらえると、泥仕合になる。そうなると、声の大きい方が勝ち、少しでも気の晴れる方が心地よいことになる。でも大局はどうなるの?
 ヨーロッパが主導して提起するSDGsがそうだが、たとえば、温暖化を少しでも押しとどめるにあたってグローバルサウスの要求することが通らない。そもそもこの温暖化は先進各国が(いまは中進国も含めて近代工業化を推進してきた国々)が引き起こしたもの。それを押しとどめたいのなら、まずそれに伴う技術や資金を、後進各国に無償提供するくらいのことはしてもいいのではないか。そうグロバルサウスは主張する。そこでいつも会議は頓挫。先に文明文化を味わった者がいろんな優先権をもつことは、変えられない。国際協調や理念は、今の国連同様に言葉をくりだすだけ。
 3年来のロシアのウクライナ侵攻も、今年のイスラエルのガザ攻撃も、ミクロの誇りを巡って暴発している。宇宙論的な次元のことは、もう到底取り扱う資格がないと諦めてしまえば、後はミクロの世界の展開推移こそが本命になる。ウクライナだってベラルーシだった元はロシアと一緒だった。それがソ連が解体したときに分かれただけなのに、今やヨーロッパの版図に編入されようとしていると、後退衰微する側に置かれたプーチンが焦っている。イスラエルも、ホロコーストを経験させた戦後秩序の中で欧米の勝手な思惑を受けてパレスティナに本拠を構えることになった。パレスティナ、就中ガザの人たちをアパルトヘイトのようなところに閉じ込めて知らぬ顔をしてきたことが今回の起因だと考えると、欧米もイスラエルも我がこととして責任を負わねばならぬことなのに、人道と人命の尊重という空言しか口にできない。
 たぶんこれは、地動説に変わる人動説が出来しているのだ。それに対して地動説時代の人権・人命尊重の理念では蔽いきれない地点に、人類はきているのではないか。そういえば、いつの頃からか(21世紀になってからだと思うが)「人新世」という用語が用いられるようになった。それまで「完新世」で一括してきたが、近代が始まる頃から去年は今年と同じ(気候)とみる完新世概念では対応できない時代が始まっていると20世紀が終わる頃に気づいて「人新世」という概念が提唱され広まってきた。
 その時代に対応して、宇宙論の次元は広くマクロの世界を138億年前の頃まで突き止めてきた。あわせて量子力学も深まり、わが身を含めた物質の起源にまで迫ってきている。何より人新世と呼ばしめるようになった科学技術の急速な進展がヒトを驕らせた。傲慢にもあり、トランプのようにわが身の回りの利害にしか目の行き届かない驕慢不遜な振る舞いが出来する。それは、ちょっとしたわが身の衰微後退衰退をも許すことができず、まわりを攻撃し、配慮忖度することを当然のように要求し、従わないものは排除排撃して潰してしまうおうとする。この了見の狭い人の振る舞いを人動説と呼んでいるが、これを新しい人世界の(地球規模の)提唱とみると、それに見合った「理念」を構築しないと、人の社会は対応していけないのではないか。
 もはやカントの哲学では応対できない地点に来てしまっている。まさしく世界はささらほうさら、混沌になっている。そこを突破しないと、人類に希望は見えてこない。ウクライナが勝利したからといって世界が落ち着くわけではないのだと肝に銘じておくしかない。


服喪

2023-12-23 10:44:25 | 日記
 前日は3時半に起き、電車の始発に乗って茨城方面への探鳥会に向かい、夕方7時前に帰宅したカミサン宛てに、野鳥の会から2月リーダー合宿を行うと案内が入った。その二日後には海外の探鳥会に行く予定が決まっていて、ぶつからなくて良かったと大喜び。「こんなにいいことが続いていいのかしら。却って不安になる」と呟いていた。
 そこへ昨日、四国の山奥に棲む兄から電話があり、実姉が亡くなったと知らせてきた。姉を看取った甥っ子は「遠方からわざわざ来て貰うのもなんだから、知らせないで」と言っていたが、一応知らせておく、と。兄は積雪もあって街場で行われる葬儀には参列できないとも話していた。
 どうしようとカミサンは迷っている。
 どうもこうもないよ、甥っ子に電話をして葬儀の予定も聞いてから、行くかどうか考えたら。
 亡くなったのは四人姉兄姉(きょうだい)の長子。戦中生まれ戦後育ちの末っ子のカミサンより8歳年上だから、幼少期の大半を戦争と共に過ごし、四国のチベットと呼ばれた地で、戦後の混沌期に育ち、地元に嫁いで農家を支えてきた。日本の農業の盛衰と重ね合わせると、人類史的な暮らしの土台をすべて身を以て体験してきたといえよう。
 何年か前に脳梗塞を患って入院、言葉を失ってしまった。その後介護施設に入って、街場で暮らす長男がもっぱら世話をするようになったが、コロナ禍もあって面会が思うに任せず、カミサンも疎遠になっていた。今年十月、訳あって故郷を訪ねた折、その長男・甥っ子の慮りのお陰で街場の介護施設へ会いに行くことができた。
 ガラス窓越しの面会。介助職員の押す車椅子に乗って現れた姉はふくよかな色白の顔を向け、初めのうちは何の感懐も感じさせなかったが、息子の顔はわかるようで、気づくと頬を崩してにこやかに笑った。電話越しにカミサンも何度か声をかける。しばらくしてその声に聞き覚えを感じたのか目を向けて微笑みかけるようになった。僅かの時間の面会であったが、やあ、会うことができたとカミサンの心裡に、身に刻まれた来し方をことごとく積み重ねたほっこりとした思いが生まれたようであった。
 その甥っ子からメールを貰った。昨日夕方が通夜、今日昼の葬儀という。とても間に合わない。メールの遣り取りでは何が主因でなくなったかはわからないが、2日前から容態が急変し、駆けつけた子どもたちとは面会を果たしたという。子ども孝行だったねとカミサンは沈む心持ちを自ら励ますようにぽつりと口にする。
 その傍らで私は、喪中葉書を作成した。モノクロ印刷だから、まだ届かないプリンタには用がない。年賀を買うために数えていた枚数分だけ葉書を買い、印刷する。喪中葉書をくれた方にも出さねばならない分、ハガキが足りないことに後で気づいたが、できた分だけでも今日出しておけば、月曜日には届くだろう。年賀の締め切り日は25日だから何とか間に合うか。そうして作成し、夕方5時には郵便局へ行って投函した。
 夜用があって出かけて帰ってみると、注文して置いたプリンタが届いている。でもカラー印刷は用がなくなった。どうしようか。来年の年賀葉書を出す頃まで封を切らないでおこうか。
 カミサンは今日、明日の探鳥会予定をキャンセルして、せめて3日くらいは喪に服すという。私にとってはやはり他人事。そうだね、うん、なかなか殊勝だと思う程度だ。ふだんあまり感情を表に出さないカミサンは、しかし、心の奥深くに重い物を飲み込んだように堪えているらしく、沈思黙考している気配がこぼれてくる。
 服喪ってどういうことだ? とワタシは自問している。