孫が大きくなったこともあり、子どもたちも仕事の中枢を担う歳となって、正月に実家に帰ってくることもなくなった。この正月3日間は大学生と進学先の決まった孫二人とスキー場で過ごすこととなった。こちらはもうスキーはしない。スキー場の近場で鳥を探してスノーシューで歩くくらい。カミサンは御節の用意をする必要がないので、よろこんでいる。
車にガソリンを入れる。年末で混んでいるかと思ったらガラガラ。まだ現役は仕事なんだね。このところ車に乗らなくなった。山へ行かない。もっぱら歩く。そう考えてみると、月に一回くらいの遠出か、大量の買い物の運び屋、カミサンのボランティアの送迎くらいだから、ひと月300キロも走らない。ガソリン支払いに使っているだけのカード会社に年会費を支払っているのは、馬鹿馬鹿しい。これはやめなければならない。
買い物に行く。往復7km余。行きはカミサンとおしゃべりしながら遠回りをして草木を眺め、帰りは、買い物をするカミサンと別れて、別ルートで汗を掻くぐらいの早さで緩急を付けて、さかさかと歩く。昨日の、脚の神経に意識を呼び覚ますってやつだ。これは、いつだったか誰か健康科学の研究者がインターバル速歩と言ったか。それによって筋力を付けなくちゃあ、ただ漫然と歩いているだけでは、ダメよと言っていたのを、脚の神経という観点から言い換えたようなことだ。筋力を付けるというのも、脚の筋肉の意識を呼び覚ます刺激を与えるというのと、同じことだ。
漫然とというのは、生活習慣にして無意識に落とし込むことと、アタマでは表現する。だが、一度無意識になってしまうと、経年劣化という緩慢な筋力の低下や神経の鈍化は、気づかれぬうちに歳と共に進行してしまう。意識させることによって、身の現状況を微細に感知して隅々にセンサーが作動する。
例えば、飲酒。毎晩夕食前、ある時刻になるとお酒を飲んでいた。夜トイレが近くなる。試しに一晩飲むのをやめた。変わりがない。忘年会で飲み過ぎた夜は1時間半だった間隔が、一晩やめると3時間になった。二晩やめた。4時間半になった。三晩やめてみた。6時間続けて眠った。やめてみると、定時になってもさほど飲みたいと思わない。う~ん、どうしようか。カミサンは体の調子が悪いのかと心配する。いやいや、身の程を知ろうとおもってね、とはぐらかす。今日、高知県三原村からどぶろくが届いた。飲まないのをやめることにした。
網戸を洗う。風呂場にもっていって、風呂用の洗剤を使って汚れを落とす。南側よりも西側の網戸の汚れがひどい。舗装してない駐車場があるからかなあ。北側がそれ程でないのは、団地の建物があるからかも知れない。腕を上げ下げしていると、肩が凝る。へえ、シャワーの首をもって水をかけるだけの動作で、疲れを感じる。筋肉が弱ってるんだね。
ガラス窓を拭く。先ず内側を全部やり、後に外側にかかろうと取りかかったが、内側ですっかり草臥れてしまった。外側は明日に回す。昔は、といっても六十代くらいは毎年、これに加えて障子の張り替えをした。五十代では襖の張り替えもやった。経師屋のようにはうまくできないが、でもそこそこさっぱりしたと感じられる程度の出来具合であった。今は障子も、2、3年に一回。今年は手を付けない。襖は以ての外。
こうして1日が終わる。やわになったものだ。八十爺は身の程を思い知らされてばかりだ。
車にガソリンを入れる。年末で混んでいるかと思ったらガラガラ。まだ現役は仕事なんだね。このところ車に乗らなくなった。山へ行かない。もっぱら歩く。そう考えてみると、月に一回くらいの遠出か、大量の買い物の運び屋、カミサンのボランティアの送迎くらいだから、ひと月300キロも走らない。ガソリン支払いに使っているだけのカード会社に年会費を支払っているのは、馬鹿馬鹿しい。これはやめなければならない。
買い物に行く。往復7km余。行きはカミサンとおしゃべりしながら遠回りをして草木を眺め、帰りは、買い物をするカミサンと別れて、別ルートで汗を掻くぐらいの早さで緩急を付けて、さかさかと歩く。昨日の、脚の神経に意識を呼び覚ますってやつだ。これは、いつだったか誰か健康科学の研究者がインターバル速歩と言ったか。それによって筋力を付けなくちゃあ、ただ漫然と歩いているだけでは、ダメよと言っていたのを、脚の神経という観点から言い換えたようなことだ。筋力を付けるというのも、脚の筋肉の意識を呼び覚ます刺激を与えるというのと、同じことだ。
漫然とというのは、生活習慣にして無意識に落とし込むことと、アタマでは表現する。だが、一度無意識になってしまうと、経年劣化という緩慢な筋力の低下や神経の鈍化は、気づかれぬうちに歳と共に進行してしまう。意識させることによって、身の現状況を微細に感知して隅々にセンサーが作動する。
例えば、飲酒。毎晩夕食前、ある時刻になるとお酒を飲んでいた。夜トイレが近くなる。試しに一晩飲むのをやめた。変わりがない。忘年会で飲み過ぎた夜は1時間半だった間隔が、一晩やめると3時間になった。二晩やめた。4時間半になった。三晩やめてみた。6時間続けて眠った。やめてみると、定時になってもさほど飲みたいと思わない。う~ん、どうしようか。カミサンは体の調子が悪いのかと心配する。いやいや、身の程を知ろうとおもってね、とはぐらかす。今日、高知県三原村からどぶろくが届いた。飲まないのをやめることにした。
網戸を洗う。風呂場にもっていって、風呂用の洗剤を使って汚れを落とす。南側よりも西側の網戸の汚れがひどい。舗装してない駐車場があるからかなあ。北側がそれ程でないのは、団地の建物があるからかも知れない。腕を上げ下げしていると、肩が凝る。へえ、シャワーの首をもって水をかけるだけの動作で、疲れを感じる。筋肉が弱ってるんだね。
ガラス窓を拭く。先ず内側を全部やり、後に外側にかかろうと取りかかったが、内側ですっかり草臥れてしまった。外側は明日に回す。昔は、といっても六十代くらいは毎年、これに加えて障子の張り替えをした。五十代では襖の張り替えもやった。経師屋のようにはうまくできないが、でもそこそこさっぱりしたと感じられる程度の出来具合であった。今は障子も、2、3年に一回。今年は手を付けない。襖は以ての外。
こうして1日が終わる。やわになったものだ。八十爺は身の程を思い知らされてばかりだ。