mukan's blog

つれづれなるままに ひぐらしPCにむかいて

「少数意見の尊重」とは権力家の警告である

2016-05-03 20:50:51 | 日記
 
 真山仁『海は見えるか』(幻冬舎、2016年)を読む。3・11の一年後二年後を素材にしている。この作家が、こんな人の心情に寄り添うようなテーマの作品を扱うとは、思いもよらなかった。主人公を、神戸から支援に来た小学校教師という設定にしたのが良かったのであろう。被災した現地にとっては外部者、つまり、読者と同じ地平に置く。と同時に、「神戸」で被災して家族を亡くしているという経験を隠している。現地の子どもたちへ共感する心情とその浅さとの端境に身を置く設定ゆえに、主人公の(心情的)戸惑いと変容が、作家の記述-読者の読みすすみにつれて進行して、そう言えば私自身の「かかわりかた」はどこに位置するだろうと、我が身に思いを向けながら読める。
 
 隔月刊の雑誌「パピルス」に7回にわたって連載されたものだが、この本の表題にもなっている「海は見えるか」に取り上げられている「モンダイ」は、日本社会の現在を俎上に上げていると思った。
 
 モンダイとは、海岸の松林を守ろうという運動に小学生が参加したこと。すでに県や市町村の決定している「津波を防ぐ防潮堤の建設」に反対する政治活動として、教育長が小学校の校長を通じて「指導する」よう通達を出す。地元の漁業関係者や一部の人たちが(小学生を利用して)反対運動をしているのではないかと圧力をかけ、小学校の現場教師と児童を巻き込んでモンダイ化する。
 
 1)松林を守ろうという運動と「津波防潮堤建設」とは別のことと見る立場が問われている。つまり、松林を守ろうということは、いわば体に染みついたアイデンティティを護ることにつながる。その意思表明は、小学生にも「わかる」ことではないのか。それともそれは、「政治的な」ことであり、禁じられるべきことなのか。
 
 2)県や市町村という行政当局が決定したことに、(小学生がというわけではなく、住民といえども)反対を表明したり反対運動をすることは、慎むべきことなのか。それはなぜなのか。
 
 3)上記の1)と2)がぶつかって、事実上「政治的な運動」となることがありうるが、それに対して、小学生の意思表明や反対運動は、なぜ禁じられなければならないのか。大人は小学生の、そのモンダイに対して抱く「感懐」に対して、どういう態度をとること適切なのであろうか。
 
 私は、1)~3)のいずれに対しても、小学生だからということを理由に、大人が「禁じる」理由はないと思う。むろん小学生を政治活動に利用するというのは、論外である。だが親がやっていることを子どもが倣う、手伝うということはありうるから、それは親の責任で判断すればいいことである。一般的に、小学生の政治的意見表明が行われ、それを実現しようと運動があった場合、後日(本人の内心において)訂正されたり修正されたりすることはありうる、と大人は考え置くべきであろう。だから、「署名」とか「意見発表」を、責任ある一人前の行動とみなすかどうかは、取り扱われるテーマと場合によるであろうが(大人が)「禁じる」理由にはならない。その(小学生が運動を展開している)場において、(不適切だと思うならば)その意見表明の「未熟さ」を具体的に指摘して、やりこめればいい。あるいは、小学生としての意思表明だと「限定」するように指摘するか、そう(大人が)受け止めればいい。それこそ、寛容の精神ではないか。
 
 それよりも気になるのは、(行政)当局が決定したことに反対するのを禁じようという、「お上」の態度。さらに、それを唯々諾々と受け容れて、小学生の「政治活動を禁じる」という「指導」をしてしまう、学校の教師たちの姿勢である。私のような、戦中生まれ戦後育ちの世代は、小学校の時から「民主主義」を教わってきた。「洗脳」されてきたと言ってもいい。それくらい、親の世代の世の大人たちの自信のなさと、反省のなさは、際立った印象を残している。たかが高校生が、教師の言説をとらえて「封建的!」と言って攻撃すれば、口をつぐんだ。
 
 そのころに覚えたことの「民主主義」というのは、意見をいうこと、少数意見を尊重すること、最終的に多数決で決めることと、思っていた。矛盾があると、その当時は思っていたのは、少数意見の尊重と多数決という決定方法であった。当時は、その矛盾は(学級活動的ではあったが)「討議」をきちんと行うことによって克服するべきことであった。しかし「討議がきちんと行われる」ということは、滅多になかった。たいてい(それぞれの人の)結論は決っていて、せいぜいその結論を抱くに至った「理由/根拠」を開陳し合うだけであった。
 
 その「少数意見の尊重」というのが、「決定を主導する」ようになると、喉につかえた骨のように気にかかるようになった。つまり「多数決で決める」ことへの忸怩たる思いと、でも決めたのだからと「決定に従わせる」強制力を行使することであった。この後者の思いがあったから、たとえ「決定後」であっても、「反対意見」は必ず存在していること、反対意見として提出されたりすればまだよい方で、沈黙のまま「決定」を無視されたりすることが気に止まっていた。そして、その方が、はるかに問題であった。
 
 そうして今思う。「民主主義」というのは、関わる人たちの側からすると、「決定に参与すること」、反対意見は必ず提出させて討議に付すこと、そして、決定されたことには(その実行過程において)、いやいやでも従う(ほかない)こと、であると。むろん、「従う」というのは、反対意見を口にするなということではない。反対の意思を主張し続けても、いい。
 
 しかし決定の執行側からすると、決定後であってもなお「反対意見」があることを、そして(決定に参与したとはいえ)強制的に従わせていることを忘れてはならない。その(権力サイドの)自戒の保障装置が、「立憲主義」であり「法治主義」である。それこそが、「少数意見の尊重」だと思う。
 
 つまり「民主主義」というのはシステム的には「法治主義」であり「立憲主義」であるけれども、それを担当する権力者の心裡に、決定し執行するときに少数意見を抑圧しているという忸怩たる思いがなければならない。国家であれ、地方行政機関であれ、共同体の規模が大きくなると、システムと心裡に乖離が生じ、いずれ驕慢になって少数意見の存在を忘れる。とどのつまり権力は、あろうことか、反対意見を排除して押しつぶそうとする(政治の)習癖をもっている。その危うさを警告したのが、「少数意見の尊重」であったと、戦後71年目にして思うのである。
 
 まあ、そんなことを、たぶん作者の意図から離れているかもしれないが、考えさせられた作品であった。

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