mukan's blog

つれづれなるままに ひぐらしPCにむかいて

絶景の編笠山ー権現岳

2015-10-15 09:32:29 | 日記

 八ヶ岳の南端に、ちょこっとくっついているような風情の山がある。編笠山2524m。茅野の方からみると、後ろの阿弥陀岳とか赤岳、その手前の権現岳に重なって、目立たない。だが、東の方からみると、ちょうど八ヶ岳の北端にある蓼科山に似て単独峰のように際立つ姿がなかなか美しいのだが、そのように見えるところが極めて限られている。今回は下山のときに、その姿を観るつもりでいる。

 

 一昨日(10/13)、浦和を発って車を走らせ、登山口の観音平に着く。3時間の行程のはずであったが、トンネルの天井が崩落した笹子トンネルの改修工事が行われていて、4時間かかった。駐車場にはすでに何十台もの車が止まっており、すでにこれだけの人が入山していると思わせる。と、今しがた車を止めた人が、「ここは観音平ですかね、編笠山に登るのは」と聞いてくる。「私もそうだと思ってますよ」と応えて、10時40分に歩き始める。天気はいい。空気もからり。半袖では寒かろうと長袖のシャツを着てきたのが、ちょうど良かった。

 

 「遊歩道」と記した道を歩いて「展望台」へ向かう。背の低い笹が生えそろって、「ひょっとしたらここも鹿がいるのかしら」とカミサンは言う。ミズナラが多い。大きなシラカバやカラマツがあるところをみると、森の陰樹への交代がはじまっているようだ。ミズナラは黄色くなっているが、カラマツはまだ。紅葉と呼ぶには、もう一息というところか。ハウチワカエデが真っ赤になって緑の樹木の間に彩を添える。標高は1600mを越えている。「展望台」で稜線に着く。南が開けていて、甲斐駒ケ岳が見える。それを背に北へ向かう。「雲海展望台」でお昼にしていると、駐車場で出会ったご夫婦が上ってきて、青年小屋に泊まると言って先行する。20歳代の若い女性が降りてくる。聞くと蓼科山から登って3泊して今下山しているところという。「お天気が良かったでしょう?」というと、「いやいや、前半は雨で大変でした。これから下って、お風呂に入ります」とにこやかに笑う。

 

 標高2100m辺りの「手押川」のポイントで巻き道を分ける。「苔生したところで手で押すと水がしたたり落ちたのでこの名がついた」と文字が読みにくくなった看板が掲げられている。編笠山への急登がここから続く。標高差400m余。岩を乗っ越し、木の枝をつかんで身体を持ち上げる。東を見ると、富士山が木々の間にしっかりした姿を見せる。雪をかぶっていて、いかにもそれらしい。上から降りてくる人が多くなる。日帰りという。単独行の人も何人かいるが、2人連れが多い。5人連れのグループもある。

 

 木々が少なくなりハイマツが多くなるところでは風が強くなる。おおむねコースタイムで山頂に着く。2523m。風が強い。誰もいない。西の方に、北アルプスの槍ヶ岳、穂高岳は雪をかぶっている。その南に乗鞍岳が高い背を持ち上げ、さらにその左に御嶽山が姿を見せる。南には甲斐駒と鋸岳の間に仙丈ケ岳が背を伸ばし、甲斐駒の左側に北岳が白い山頂部と北岳バットレスをみせている。その手前眼下には霧ヶ峰、その左に諏訪湖が水を湛えて重しになっているように見える。むろん東の方に富士山が頭を白くして屹立する。独り若い人が登ってくる。カメラのシャッターを押して上げ、青年小屋の方へ先に下る。

 

 青年小屋までは標高差170mほどの下りなのだが、小屋の青い屋根がみえるあたりから下は大きな岩の重なりの上をひょいひょいと伝って歩く。バランスが悪くなっているカミサンも私も腰をかがめて、ひとつひとつ慎重に置き場を定めて足を降ろす。立ち止まって見上げると、正面の権現岳とそれへ連なる峰が雲に隠れ始めている。そういえば登ってくるときにあった青年は「雪ががさりと落ちてきた」と言っていた。2時前に到着。山頂で会った青年はテント泊の手続きをしていた。そう、若いころはそうであった、と思う。彼は八ヶ岳を北へ縦走する予定なのかもしれない。富士見平から西岳を経てここへきている人もいる。

 

 青年小屋は外見はバラックのように見えるが、中はなかなかしっかりした建て付けの二階建て。入口に「遠い飲み屋」と書いた赤提灯がぶら下げてある。だが寒くて、ビールも冷酒も飲む気にもならない。談話室にはコタツ、ストーブを設えて寒くないようにしている。雲もなく8畳の部屋に4人、今日はお客が少ないのかもしれない。富士山の見える部屋。布団を敷いて場所を確保する。同室になった30代夫婦もうちのカミサンも談話室へ行ってしまう。私は布団に入って持参の本を読む。寒い。毛布と掛け布団をさらに使う。5時半の夕食。いま値が高いレタスのサラダに温かいアジフライがついている。御飯がおいしい。葡萄をデザートにどうぞと皿に盛ってくれた。甲州なのだ、ここは。

 

 夜7時にはもう寝に入り午前4時前にトイレに行った。テントには明かりが灯り、(たぶん)朝食の準備にかかっているのであろう。もう一度寝たら5時半になっていたのに、周りは静かに寝入っている。山小屋でこんなことは初めてだ。朝食をとり、出発したのは6時15分。権現岳への標高差400mの登り。崖が多い。鎖もついている岩場もところどころにある。危なっかしくはない。稜線に出ると、北側に大きな山体が目の前に現れる。八ヶ岳の赤岳と阿弥陀岳だ。権現岳と阿弥陀岳は標高差で90mしかない。赤岳とも170mほどの差なのだが、権現岳はすっかり主峰にお株をとられて影を潜める。遠方には蓼科山の独特な形が鎮座している。

 

 父親に付き添われてヘルメットをかぶった子どもが登ってくる。岩を怖がることなくさかさかと上がる。聞くと小学6年生。孫と同じ年。いいねえ、学校にいるよりも山を歩く方が勉強になるよとカミサンと話す。8時前。1時間半で権現岳の山頂に着く。2715m。切り立った岩の上に、祠と剣が置かれている。父子は青年小屋へ戻っていった。360度見渡せる。よくみると、御嶽山の南に木曾駒ヶ岳と空木岳が見える。そのずうっと南に恵那山の独特の長い山体がはなれて立っている。北岳の左に日本3位の高峰・間の岳、さらに農鳥岳が続く。雲もない。いいねえ、この青空。北東方面には奥秩父の瑞牆山や金峰山、すぐ下にはニセ八つと呼ばれる茅が岳らしいのがみえる。

 

 権現岳からの下りにまた一カ所鎖がかかっていたが、地図に書き込むほどの鎖場ではない。三ツ頭2580mまでのシャクナゲの稜線は、麓の緑を満喫できる。三ツ頭の山頂は展望もよく、赤岳や阿弥陀岳、権現岳がそろい踏みしているように肩を並べて、なかなかの壮観である。赤岳もあまりに近くて、2900m近い高峰と思われない。9時に三ツ頭を出る。看板には10分と書いてあったが、2分で下山との分岐、ここからまた、しばらくは急峻な道を降る。それを過ぎるとなだらかな落ち葉を踏む下りが続き、50分で木戸口公園の標識点につく。西側にみえる編笠山の姿が見事なかたちの単独峰にみえる。東の展望の開けた地点がありヘリポートと記してある。登ってくる人がいる。「天気が良かったので三ツ頭に登ってくる。私しゃ、鎖と岩場が嫌いでね、こちらのルートがいいのよ」と話す夫婦。私たちの子ども世代かというほど若い。シカが哀しげに鳴く声が聞こえ、気がつくと、笹原の緑とカラマツと広葉樹の黄色や赤に彩られた深い森に入っている。ササが少し途絶えたところには苔生した岩が点在し、上から差し込む陽の光が紅葉をクローズアップする。11時。腰掛けてお昼に用意したパンを食べる。また下から登ってくる高齢の男性2人。73歳という。私と同じだ。同伴するもう一人が20年生まれというが、こちらの方がへばっている。

 

 1時間30分で八ヶ岳神社の分岐につき、観音平への道をたどる。「銀座道だわ」とカミサンはまだ元気が良い。尾根をぐるりと回りたどって、登りはじめた向こうの稜線に沢へいったん降りて登り返す。観音平に着いたのは12時5分。今日、歩き始めて5時間50分。「お昼の休憩を入れてコースタイムで歩けるよ」と終始先頭を歩いたカミサンを褒める。この力を維持したいものだと思いながら、車に乗り、順調に帰宅したのであった。


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