mukan's blog

つれづれなるままに ひぐらしPCにむかいて

海外交易の島々(4)交易という略奪と対処

2024-10-07 09:50:04 | 日記
 翌朝食後、出発まで2時間ほどもあった。対馬全部を1日で見て回るのは無理。今回の対馬訪問も、南半分だけ。それでも、対馬を離れたのは17時20分。福岡空港で乗り継いで羽田に到着したのは21時半。うちに帰り着いたのは11時半頃であった。つまり目一杯「観光」に使っても、対馬を観るのは半分であった。
 ホテルの周辺を散歩した。1時間もあれば一回りできるかとみていたが、ほんの10分ほどで、海岸縁に出てしまった。ホテルでもらった「近隣地図」をみると、あとは東の山側へ回って北へ向かうしかない。細い路地には、青い石を砕いて他の砕石と混ぜ合わせて地面に敷き詰めている。あとでガイドに聞くと、これは古い舗装で、今はコンクリートやアスファルトの舗装になっているそうだが、この青い色が何とも風情を持っていて、いい感じを醸している。
 裏路地を歩いていると、通りかかったご近所のオジサン風情が、「アンニョンハセヨ」と挨拶する。おおっ、と一瞬戸惑い、「おはようございます」と応じると、なんだ日本人かという顔をして、行ってしまった。この人は韓国人だったのだろうか。
 これもあとでガイドの話を聞いていると、韓国からの観光客が多くて、この土地の人は朝鮮語と日本語のどちらの言葉もわかる人が多いという。そうか、そういえばホテルのフロントでも朝鮮語を耳にした。昨日の「観光」の途次にも、すれ違う人の言葉がそうであった。
 でもこのご近所オジサンの雰囲気は、列島よりも半島に親しみを持っているように感じた。何しろ釜山まで50キロという。どこかで観た動画では、対馬島の北端から釜山の夜景が映っていた。(こちらに比べ)いかにも賑やかな街という風情であった。
 ホテルで荷をまとめ、フロントに預かってもらって、対馬第2日午前中の歩き観光に出かける。ツシマヤマネコのプリントされたTシャツを背中に背負った、まだ二十代と思われる女性ガイドは、ガイド初心者の気配を湛えながらも、対馬を知ってもらいたいという意欲を湛えて説明をする。
 はじめに訪れたのは八幡宮神社。三つの社が並ぶ。始まりは海神(わたつみ)神社らしい。南無八幡大菩薩という旗印は、海を航行する船乗りには安全祈願の意味を持ったと、瀬戸内育ちの私は、子ども心に身に備えている。その後に素戔嗚尊や安徳天皇尾が祭る神社が南側に設えられ、さらにその南側に宗義智の奥方である小西マリアを祭る社が設けられている。
 もちろん一番大きいのは海神の神であるが、何十段か石段を上がったところに北から南への道もあり、神社の入口から見上げると、手前の何本かの大木に囲われた「神域」の気配が揺蕩っている。御朱印帳に書いてもらっている方もいる。お札を献げて神社にお詣りしている人もいた。そうか、信仰心のある人にとっては、歴史というよりもわが身の実存の根拠なのかもしれない。
 次に向かったのは、昨日素通りした朝鮮通信使博物館。ちょうどどこかの高校生が(修学旅行か?)で訪れていて、十数分の対馬のビデオを観ていた。そのため、博物館のガイドが、展示物の案内をしてくれる。おっ、昨日のガイド・文さんだ。よく通る声で、明快だ。
 展示には、朝鮮通信使が使った船の縮小模型が飾ってある。船の両サイドにそれぞれ十数人の櫂の漕ぎ手がいて、それで操船していたらしい。ああ、これは、大変だ。この船で往き来していたのか。いや、通信使だから、こうも大きな船だったのであろう。一般の庶民は、本当に船底のいた一枚下は地獄という小舟だったろうから、さほど冒険的にはなれなかったに違いない。
 これは、宮本常一だったか司馬遼太郎が書いていたか、戦国の時代、対馬の倭寇が半島にやってきて、米穀を奪うという狼藉を働いていたのに手を焼いて、対馬の宗氏にその取り締まりを要請し、代わりに米を送るという措置をしたとあった。交易と言えば平穏裏の取引と思えるが、そう簡単には交易が成立したわけじゃない。それにも長年の径庭があるのだよと告げている。
 輸入と、今は言うものの、強奪に近い。そういえば、今は、欧米の資本主義的装いをもう何百年も纏ってはいるものの、先進国や大企業が略奪同然に資源を奪っている、といえなくもない。形や観念こそ変わったものの、やっていることは一緒じゃないか。
 そうか、こういう根柢に思索が行き着いてみると、#me-firstというトランプのやり口も、それらしい装いを脱いだだけに過ぎない。中国の、アメリカとしのぎを削る覇権争いも、素戔嗚がやったという力比べの、形が変わった姿。驚くには当たらない。
 いやはや、対馬の歴史塗れに浸っている間に、こちらも根源にまで思いが行き着きはじめた。こういう感触を味わえるのは、久々のこと。重い腰を上げて、異境の地に踏み込むというのは、八十路爺には不可欠の健康法かもしれないと、ガイドの尻にくっ付いて歩いていたのでありました。(つづく)

コメントを投稿