mukan's blog

つれづれなるままに ひぐらしPCにむかいて

問い方と応え方

2023-07-16 09:49:05 | 日記
 スタジオジブリの宮崎駿が新作を発表したと話題になっている。アニメ『君たちはどう生きるか』。所謂前宣伝をしないでどうなるか。「何も情報がないほうが、みなさん楽しみが増える」と試しているような気分とプロデューサーの鈴木敏夫が話している。
 そうそう、と思ったのは、山歩きのガイドブックを読んで、子細にそのルートのことを調べた上で歩く同行者が多くなった、に私が感じていたことと重なった。もちろん山の形状もルートも何も知らずに踏み込むのは開拓時代と同じで、オモシロイが危険極まりない。だが既存ルートの地形図をもっていれば、おおよその見当はつく。岩場や危ない箇所に出遭って、さてどうするかと思案するというのは、それ自体が山の愉しみでもある。それを周到にピンからキリまで万全に承知して向かうのは、人を案内するガイドならまだしも、ガイドもいる山行では、つや消しでもあると思っている。
 ところが、ガイドブックのここは急坂が10分続くとか、痩せ尾根を歩くという「情報」を事前に仕入れ、山の会の山行に参加する人が結構多くなって、面白さが半減するんじゃないのか。山を歩くという「概念」が大きく変わってきている。事前に情報万端調えて、自分は歩けるかどうかガイドに聞いて、それから参加するってのは、自分の未知の領域へ踏み込むというよりは、世に広がるオモシロイ山ルートをわたしも歩きましたよという既視感の再確認のように思えた。これって、ワタシの立ち位置の社会的公認を求めているのだろうか。
 映画もそうだ。「三度泣ける」と評判だから(私も泣けるか)観に行こうっていうのは、何だろう。自分の感性が世間のスタンダードとどれほどの距離にあるか確かめないと不安とでもいうのだろうか。
 宮崎アニメと同じタイトル(原作と言われているが、そうかどうかは確かめていない)の吉野源三郎『君たちはどう生きるか』という本があることは子どものころから知っていたが、二つの理由から手に取る気持ちにならなかった。一つは、戦前の大人が書いたということ。私が少年のころは戦前の大人は信用ならないと思う心持ちが、半分あった。負けるとわかっている戦争に突入していくって、何考えてんだよと反発していた。もう一つは、戦後それがもてはやされたのには、戦前の社会的空気の中であのような本を書いた勇気を褒めそやす気配があった。何だ手の平返したような格好で推すなんて、何だかインチキ臭いよなあと感じた。この二つの感懐は、戦中生まれ戦後育ちが感じていた、同じ根っこに由来する(時期的にズレた)ものであった。
 いつもワタシの映画鑑賞の師匠は、上記の世評をTV報道などですでに承知であった。月に3回は観に行くというわがカミサンは『君たちはどう生きるか』を観に行きたい? と私に聞く。私は誘われて気分が乗れば一緒に行く。不都合があればいかないと、積極的ではない。でも、鈴木敏夫のコメントを知って「うん、面白そうだね。行くよ」と返答した。世間の風潮の逆を行くプロデューサーの言が気に入ったということだ。それと同時に、も一つワケがあった。
 先日のこの欄でも少し触れたが、森田真生の『僕たちはどういきるか』を読んだ。独立数学研究者の森田が、京都の住まいと子どもたちを軸に自然と自分たちとの距離を測りながら、農耕民的な暮らしの原点を身を以て具体的に確かめ、その暮らしを実践的に歩き始めている記録のような本であった。どうしてこんなタイトルの本を読んだのか。『君たちは・・・』ではなく、『僕たちは・・・』の主語が気に入った。吉野源三郎がどの位置に立ってどういう視点で書いたかワカラナイから、その本自体をどうこう言うつもりは全くないが、この主語の違いが本を手に取る動機には大きく影響すると思った。
 それにもう一つ感じていたのは、もう八十路の私は「どう生きるか」と問う場にいない。「どう生きたか」と振る返ってみる気分が強い。ことに時代相もあろうが、若い者に年寄りが「語り聞かす」ような気分になれない。私小説的に思ってみても、その時の時代状況と今とのズレが大きく感じられて、「生き方」を考えるような運びにならない。つまり、問い方も、応え方も、とらえようのないほど溶け合って、浮かぶのはその心持ちの根っこ、神髄だけ。ま、よくぞここまで幸運に恵まれて来たもんだと、生育由来や出遭ったひとたちや友人、仕事やそれに付随する趣味的ネットワークの、ラッキーな運びを言祝ぐくらいである。もう映画を観たいも観たくないも、観るも観ないも、どっちでもいいとさえ思っている。ワタシの意志など、何にもない。空っぽ、と。
 これまた半世紀来の、私の発行している月間エッセイを読んでいる友人が、先日たまたま会ったとき、「〒」と記した小封筒を手渡してくれた。家へ帰ってみたら、十年分くらいの郵送料が封入されていた。いや、まいったなあ。二年ほど前に彼からは3年分くらいの切手を貰っていた。この伝で行くと、あと十年は発行し続けなければならない。
 その友人は私の一つ上、81歳。あと十年経つと私も90歳。八十路の道の先行きが五里霧中であると先日記したばかり。九十路までと言葉にして、響きの悪さにすぐ訂正した。九十路爺、くそじじいになるまで。うん、これならユルセル。もう「生き方」は問題じゃないんだ。