mukan's blog

つれづれなるままに ひぐらしPCにむかいて

種を蒔く

2023-07-23 09:24:03 | 日記
 山へ行く前に読み終わるかなと思っていた小説、朝井まかて『ボタニカ』(祥伝社、2022年)を読み終えた。ボタニカルというのは植物のことと思っていた。この小説も、いま朝ドラでやっている牧野富太郎の伝記のようなお話。朝ドラとこの小説との関係はよく知らない。カミサンが予約注文して届いたのを、お流れで私も読んだというわけ。
 むろんその名は知っている。去年四国お遍路を歩いたとき、遍路道がそのまま高知市の牧野植物園の裏門に通じ、正門から次へと抜ける経路を歩いた。そのとき、「朝ドラ」の撮影が始まっていたせいか、この植物園で牧野富太郎展をやっていた。
 朝井まかては、たぶん、牧野富太郎と植物研究の結びつきを、明治から昭和にいたる日本社会の中における「文化」として位置づけ、植物を通して私たちが何を受け継いでいるかを描き出したくて、この小説を書いたのではないかと思った。
 牧野の受け継いだ幼少時代の「文化資産」、植物への関心とそれを支えた絵心をはじめとする才能がどう育まれたか。幕末から明治初めにかけて日本社会に流れ込んでいた植物関連の書籍、シーボルトなど外国人の関心の傾きがもたらした日本の自然と文化への刺激。高知を故郷とするジョン万次郎という波紋、土佐藩下級武士たちの、突破的かつ開明的な精神の根っこに流れている社会への無意識の衝動、西洋文化の吸収と導入が中央政府の権威主義的な組立とそれを受け容れる庶民社会の素地。そうした環境を、ただただ植物への強い関心のみに導かれて、それに必要な経費や費用に頓着せず没頭することの出来た「環境」とその結果としての行き詰まり。それを支えていたジェンダーを含む家族制度の社会的風潮、それを打開する契機をつくったマスメディアの立ち位置、大正から昭和にかけて資産家の果たしていた文化的な役割が、牧野富太郎の植物研究の進展を軸に昭和の戦後まで描かれている。
 牧野の植物への関心というのを、ただ単に植物探求ということだけで描いたら、植物と一体化して(外のことを慮外に置いて)幸せと感じている人柄しか残らないであろう。だが、そういうことを許さない生活的・経済的・社会的・権威主義的社会風潮とぶつかり合うことによって、その植物探求への関心を貫き通す「何か」を浮かび上がらせるところに、小説しか持つことのできない描出力がある。その「何か」を「魂」とか「ひたむきな純粋さ」と言ってしまうと、これまた「アホかいな」というのと同じに平板に帰してしまう。
 読後感として私は、社会が時代相が残していた「文化的な鷹揚さ」が牧野の研究を救ったと思った。むろんその中に、故郷と東京の妻が背負っていた(牧野に尽くすという)ジェンダー的な心意気も含まれている。他方で、在野の研究者と帝国大学の教員という権威主義的な階梯がもたらす桎梏が江戸時代の階級制時代と変わらず庶民の間に引き継がれていることも見逃してはいない。もっとそのベースに、借金と夜逃げ、それを、仕方ないなあ見逃している世相も、善し悪しを問わず描き出されていて、そうだよなあ、私の子どものころはそういう時代だったよなあと、懐かしむ面持ちで読み進めた。
 最後に一つ行き着いたこと。ボタニカというのが「種子」であるとこの小説の初めの方で解説されていたが、牧野の植物研究のフィールドワークに、全国の植物愛好者の会をつくったり標本採集の実地指導に赴いたり、講演や植物同定のための郵便による遣り取りを(相手の身分などに関わりなく)厭わず丁寧に進めるという(お喋り好き奔放行動主義)牧野富太郎の圧巻の振るまいが「ボタニカ」だと、このお話は収束している。
《惚れぬいたもののために生涯を尽くす。かほどの幸福が他にあろうか。/この胸にはまだ究めたい種(ボタニカ)が、ようけあるき》
 そう作者・朝井まかては、富太郎に託す呟きのように記す。
 だが「種」は富太郎の胸中に湧き起こっていることだけではない、と私は受けとった。彼の植物研究とその記録出版と全国の縮物愛好者への対し方が「種」を蒔いている。それこそが牧野富太郎の「ボタニカ」だと感じとった。そう受けとることによって、市井のとるにたらない民でしかないワタシは、牧野富太郎の享年までにあと14年もあるというのを、ではどう何の種を蒔くかと思ったりしたのである。