またまた幹線道路から分岐する小さな道路。
「旧国道5号」「北5条手稲通」と呼ばれる、札幌から小樽へ向かう道路から分岐しています。
例によって電柱のチェック。
何と書いてあるのかな・・・。
ほほう、「文化通」ですか。
これはどういう通りなのでしょう・・・。
言うに及ばず地名ではありませんで、中央区宮の森と、西区山の手の区界を通る道路になっています。
ということで、早速ブラブラしてみますが・・・、
行けども行けども普通の住宅街。
大変失礼ながら「文化」という言葉をイメージさせる施設は特には・・・。
沿線にある、道立札幌西高等学校。
道内でも上位にランクされる進学校だけど、「学校」=「文化」?
ちょっと無理があるような・・・。
しばらく歩くと、幹線道路の「北1条宮の沢通」に到達。
ここは片側2車線の大きな道路なんだけど、交わる小さな道路から出入りする車との事故が多いみたいです。
気を付けなくてはいけませんね。
先程も書いた通り、この道路は中央区と西区の区界を走っています。
表示板に描かれているシンボルマークですが、まず西区の方は、緑色の部分は手稲山と発展する西区を象徴する三角形と、西区の美しい自然を表しており、白色の部分はWEST(西)のWを二羽の野鳥になぞらえ、区民の融和と協調を表しています。
中央区の方は、緑色の曲線は緑に囲まれた理想ある街と区民の和を示し、十字形は碁盤の目状の街並みと四方に発展した札幌市の起点と若い街としての活力を、白色は清潔な街を表現しています。
ここから先はかなりの急坂ですが、住宅街はまだまだ続くようです。
再び起点の写真。
結局、通りの由来って・・・?
この本に書いていないかなあと思って、釧路に戻ってきてから見てみたところ、次のように書かれていました。
「地元に住む屯田兵の子孫の方によると、大正13年(1924年)ころ、旧国道5号からこの通り沿いの山の手方面に向けて電気が引かれた。各戸に電気が灯るようになり、文化的な生活ができると喜んだことから、近所の住民が相談して、通りの名前を決めた。」
なるほど。今では当たり前になっている電気のある生活を送れるということが、その当時はいかに画期的なことであったかということが感じられるエピソードですね。
「今では当たり前」と書きましたが、私達道民は、昨年9月の地震による「ブラックアウト」の影響で、電気というものがいかに大切であるかということを思い知らされました。
それだけに、この名前の由来を知ると、改めて、電気の大切さというものを噛み締めさせられる気がします。
近くにあるバス停。
宮の森4条と山の手1条との境を走る道ということで、「山の手1条通」というのが、通称「文化通」の一般的な名前になっており、バス停の名前にもなっています。
(「文化通」の場所はこちら。)