以前一度紹介したことがある、釧路市城山にある「お供え山」こと「モシリヤチャシ跡」。
「モシリヤ」という名前は、釧路川の中にあった島の対岸の一部を指した地名のことで、その場所にあったこのチャシは、アイヌ語で「芦の生えている沢にある砦跡」という意味の「サルシナイチャシ」とか、「大きい砦跡」という意味の「ポロチャシ」などと呼ばれたりしていました。
このチャシの築造者である「トミカラアイノ」という人物は、元々は、春採にあった「ウライケチャシ」というチャシに住んでいましたが、他の地域のアイヌ軍勢に攻められて落城の憂き目に遭った後に、このチャシを築いて撃退に成功したという伝承が残されています。
後にトミカラアイノは、子供である「サタニセ」にチャシを譲り、その後も、一族である「メンカクシ」という人物の代まで使用され続けたとされており、この「メンカクシ」は、かの松浦武四郎が釧路地域を訪れた際に、道案内をしたとされています。
この「モシリヤチャシ」は、普段は立ち入ることができないのですが、先日参加させていただいた史跡探訪イベントにて、初めて中に入ることができました。
皆さん、急な斜面をゆっくりと登っていきます。
登ってみると、結構凸凹がありますが、面積的にはかなり広いことがわかります。
この窪みは、敵の攻撃に備えて設けられた濠とのことです。
山頂部から見た景色。
ずっと先、写真右側の「MOO」の向こうに、釧路川の河口が見えます。
この釧路川のどこかに島があり、その対岸が「モシリヤ」と呼ばれていたということなのでしょう。
今回初めて登ることができ、景色を見ながら歴史に触れることで、大変貴重な学習ができたと思います。
機会があれば、またこのようなイベントに参加してみたいです。
(「モシリヤチャシ跡」の場所はこちら。)