自在コラム

⇒ 日常での観察や大学キャンパスでの見聞、環境や時事問題、メディアとネットの考察などを紹介する宇野文夫のコラム

★「大横綱」の風格

2017年03月27日 | ⇒トピック往来
    昨日の大相撲千秋楽はまさに「痛みに耐えてよく頑張った、感動した、おめでとう」 の言葉を発した、当時の小泉総理の気持ちだった。2001年5月の大相撲夏場所千秋楽で、負傷をおして千秋楽で優勝した貴乃花も劇的だったが、今場所の稀勢の里もさらに劇的  だった。これも、新横綱の優勝は1995年初場所の貴乃花以来、22年ぶりというから二重に凄みを感じさせてくれる。まさに「大横綱(だいよこづな)」と呼ぶにふさわしいのではないか。

    稀勢の里の魅力は、その気力と信念の強さだろう。日馬富士戦(13日目)での負傷に「新横綱の優勝はないな」と観戦した誰もが思っただろう。そして、鶴竜戦(14日目)での連敗には「これで休場か」と誰もが思ったことだろう。それだけに、千秋楽の本割(照ノ富士戦)は誰もが「無残な負けをさらすなよ」と思っていたはずだ。それを見事に裏切ってくれた。しかも2番続けて。

    ただ、今にして思えば、決定戦の前にテレビに映っていた、支度部屋での顔の表情は、不屈のオーラを放っているような、「勝って見せる」と気力あふれる形相だった。「最後まであきらめない」、勝負の世界の信念を見せつけてくれた。共感と感動の渦に巻き込んでくれたのだ。冒頭の「痛みに耐えてよく頑張った、感動した、おめでとう」だ。

    これほどの感動の背景には、いま日本を覆っている、ある種の閉塞感もあるのではないかと思う。「言った」「言わぬ」「忖度ある」「ない」が続く学校法人「森友学園」への国有地売却問題、さらに東京・築地市場の豊洲移転問題など。大相撲と違って勝ち負けのつかない問題を延々とテレビで見せつけられると心が塞ぐ。とくに、安倍総理側から100万円の寄付があったとされる問題が本筋で追及すべき国有地売却問題と外れて、一人歩きを始めているような、そんな違和感も漂っているのではないか。そんな、モヤモヤとした昨今の政治的な閉塞感を稀勢の里が一気に吹き飛ばしてくれた、そんな思いだ。

    稀勢の里の新横綱優勝と別に、郷土力士である遠藤が3場所ぶりに勝ち越してくれたことも朗報だった。

⇒27日(月)朝・金沢の天気   はれ
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