自在コラム

⇒ 日常での観察や大学キャンパスでの見聞、環境や時事問題、メディアとネットの考察などを紹介する宇野文夫のコラム

☆台風の最中、正常化の偏見

2019年10月12日 | ⇒ドキュメント回廊

    きょうは朝から雨風が絶え間なく吹き寄せている。金沢では午後から相当荒れそうだとTVニュースで報じているので、緊張する。午前中に7都県の140万人以上に避難指示や勧告が出され、9月の台風15号の被害を受けた千葉県市原市では竜巻によって住宅が倒壊するなどの被害が出ているようだ。窓から外庭を見つめていると、ムクゲの花が一輪咲いているのに気がついた。風で花が散ってはもったいないとの衝動にかられ、ハサミをもって風雨の庭に出て、小枝ごと切ってきた。

    ムクゲは、白の一重花に中心が赤い、いわゆる底紅(そこべに)という種類だ。茶道の三千家(表、裏、武者小路)の祖とされる千宗旦が好んだことから、「宗丹木槿(そうたんむくげ)」とも呼ばれる。アカジクミズヒキとともに活け、和室の床の間に飾る=写真=。ムクゲは早朝に咲き、一日でしぼんで落ちてしまうことから、花の命は短く、「ムクゲ花、一日の栄」と茶席では言ったりもする。私自身はムクゲはたくましい花だと感心している。花一輪は短命でも、次から次と咲き続け花期が長い。ただ、きょう摘んだ花は最後の一輪かもしれない。

    以下は勝手な解釈だ。千宗旦が好んだとされる底紅はそのたくましさにあるのではないか。宗旦は千利休の孫にあたる。利休が豊臣秀吉から切腹を命ぜられ、利休の先妻の子・道庵と後妻の子・小庵は地方に逃れる。京に戻ったのは数年後で、徳川家康や前田利家らが取りなした。小庵は秀吉から利休の遺品を下賜され、京の千家の後を継ぐ。道庵も京に戻り、利休の出身地である堺の千家を継ぐが、道庵の没後に絶えてしまう。秀吉の没後、小庵は家康に仕えて、その後、小庵の子・宗旦に千家を譲る。それぞれは短命ながら、必死に茶道を継いできた。そうしたファミリー・ヒストリーを宗旦は底紅にイメージを重ねたのかもしれない。

   ブログを綴っているうちに風雨がさらに強くなってきた。ニュースでもよく使われるようになった防災用語に「正常化の偏見」や「正常性バイアス」という言葉がある。目の前に危険が迫ってくるまで、その危険を認めようとしない人間の心理傾向、あるいは危険を無視する心理のことを指すようだ。ということは、台風の最中に庭に出て、花をめでようとする行為はまさに正常化の偏見の極みか。

⇒12日(土)午後・金沢の天気   あめ


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