きょうの朝刊の記事で歴史の一端が見えてきた。以下、北陸中日新聞(6月7日付)=写真=から引用する。第二次大戦後、極東軍事裁判(東京裁判)で死刑判決を受けた元総理の東條英機ら7人のA級戦犯の遺骨を、上空から太平洋に散骨したとするアメリカ軍の公文書が見つかった。これまで明らかでなかったA級戦犯の遺骨処理について公文書が見つかったのは初めて。
文書は、占領期に横浜市に司令部を置いた第8軍が作成、アメリカの国立公文書館に所蔵されていた。これを日本大学の高澤弘明専任講師(法学)が入手し公表した。A級戦犯の遺骨の処理については1949年1月4日付けの極秘文書に記されていた。7人が処刑された1948年12月23日未明、東京・巣鴨プリズンから遺体が運び出された。横浜市内の火葬場で焼かれ、遺骨は別々の骨つぼに納められた。そして、小型の軍用機に載せられ、上空から太平洋に散骨された。
この極秘文書を記したのは、現場責任者だった第8軍所属の少佐で、「横浜の東およそ30マイル(48㌔)の地点の太平洋の上空で自分が広範囲にまいた」とつづっている。遺骨は家族に返還されておらず、太平洋や東京湾にまかれたとの憶測はあったが、その行方は昭和史の謎とされていた(同紙)。
記事を読んで、アメリカ軍による戦犯に対する処遇は今も変わってはいないと実感した。ニューヨークの同時多発テロ(2001年9月11日)の首謀者とされたオサマ・ビン・ラディンに対する斬首作戦が2011年5月2日、アメリカ軍特殊部隊によって実行された。パキスタンのイスラマバードから60㌔ほど離れた潜伏先をステルスヘリコプターなどで奇襲し殺害。DNA鑑定で本人確認がなされた後、アラビア海で待機していた空母カール・ビンソンに遺体は移され、海に水葬された。
戦犯は「死をもって断罪」だけではない。さらに、遺骨や遺体は海に散骨、または水葬とする。遺骨や遺体が遺族に返還され、墓がつくられることになれば、その墓が将来、聖地化することを想定しての処置だろう。徹底した断罪と消去、変わらぬアメリカの論理だ。
⇒7日(月)夜・金沢の天気 はれ
戦犯は「死をもって断罪」だけではない。さらに、遺骨や遺体は海に散骨、または水葬とする。遺骨や遺体が遺族に返還され、墓がつくられることになれば、その墓が将来、聖地化することを想定しての処置だろう。徹底した断罪と消去、変わらぬアメリカの論理だ。
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