昨日、東京都内の知人に電話した。すると、「雪が降っていて、電車も止まって、とにかく怖いので外に出れない」との返事だった。雪が降るだけで、身震いしている様子が容易に想像がついた。きょう9日のテレビニュースでも、都心(大手町)の積雪が25㌢を観測するなど、関東甲信を中心に記録的な大雪となったと伝えている。都心で20㌢を超える積雪は1994年2月以来、20年ぶりとか。気象庁は東京に大雪警報を発表している。こんな中、午前7時から東京都知事選の投票が始まっている。
それに比べ、なんとも金沢らしくない天気が続く。自宅周辺は割と金沢中心部より積雪がある。数日前は降ったものの、積雪は20㌢に満たない。この冬は青空が多く、「(雪が降らないので)助かりますね」というのがご近所さんとの会話だ。きょうは朝から雨。さらに雪が溶けそうだ。
金沢の雪にまつわる「金沢のしきたり」の話を紹介する。「しきたり」とは暗黙のルールとでも言おうか、明文化された決まりではないが、「昔から(伝統的に)そういうことになっている」ことなのだ。ちょっとアカデミックに言い方をすれば、「コミュニティを存続させるための伝統的な集団行動(知恵)」となるかもしれない。前書きはさておき、雪が降った朝、金沢では持ち家の前の道路を除雪する。それを「雪かき」あるいは「雪すかし」と言う。「かき」は「掻き」で「押しのける」の意味、「すかし」は「透かし」は「取り去る」という意味だ。
時間的には朝、それも学校の児童が登校する前に7時ごろだろうか。誰がするのかはその遺家々の人だが夫であったり、妻であったりと決まりはない。問題はタイミングである。ご近所の誰かが、スコップでジャラ、ジャラと「掻く」あるいは「透かす」とそれが合図となる。別に当番がいるわけではないか、周囲の人たちがそれとなく出てきて、始める。「よう降りましたね」「冷え込みますね」が朝のご近所のあいさつとなる。
「掻く」あるいは「透かす」の範囲はその家の道路に面した間口部分となる=写真=。角の家の場合は横小路があるが、そこは手をつけなくてもよい。家の正面の間口部分の道路を除雪するのである。しかも、車道の部分はしなくてよい。登校の児童たちが歩く「歩道」部分のみである。雪をどこに「掻く」のか。それは、家の前の側溝である。そこにどんどんと押しのける、積み上げる。晴れて気温が落ち着くと、側溝に水が流れ、積み上げた雪が溶ける。冬場の側溝は雪捨て場と化す。
「しきたり」破りに制裁はあるのか。とくにない。雪はそのうち自然に溶けて消える。誰も実害を受けることはないからだ。でも、ご近所の人たちは、その家の雪に関する対応意識(危機管理のガバナンス)など見抜いてしまう。「雪かきもできない。あの家は大丈夫か」と見透かされてしまうのだ。
⇒9日(日)朝・金沢の天気 あめときどきくもり