金沢大学では「ジャーナリズム論」「マスメディアと現代を読み解く」といった共通教育の科目(それぞれ2単位)を担当している。講義の中では、「ニュースは知識のワクチン」と繰り返し言っている。それは、間違った情報やうわさに惑わされないために、普段から新聞やテレビのニュースを読んだり見たりすることで、間違いのない情報の判断ができる、と。
大学生はどのくらい新聞と向き合っているのか、昨年(2013年)10月に授業でアンケート調査を試みた。任意提出で112人が回答してくれた。「世の中の出来事を知る媒体は主になんですか」(複数選択可)の問いでは、①インターネット(47%)、②テレビ(42%)、③新聞(6%)の順だった。媒体としての新聞の存在感は薄いのだ。「新聞に対する印象」では、好きになれない理由として、「政治に関することが多く書かれており、内容がかたい」「おじさんが読む、かつ、おじさんが作っているもの」「文字を読むよりテレビで見た方が情報の取得が早く、読んでいる時間がもったいなく思える」「手が乾燥する、紙質が悪いのであまり触りたくない」「フニャフニャで読みにくく、手が黒くなる」「文字が多い。字が小さく目が疲れるので、あまり良い印象をもっていない」「家でゆっくり見るのには便利だけど外では見ることができないので不便なもの」など。
一方、好意的な理由として、「ネットニュースと比べると情報量が多く、種類も豊富であると思う。誤報をできるだけ少なくするために取材が丁寧になされていると感じる」「書かれているイラスト等がとても分かりやすい。これによって難解な問題も簡単に分かる」「情報を得る媒体としては非常に人間的なスマートなもの、様々な情報があり、良い意味で興味のない記事にも出会える」など。
新聞の現状は、情報としては一流だが、媒体としては学生たちからの支持が少ないとう現実が浮かび上がってくる。
「新聞などメディアは特定秘密保護法になぜ反対しているのか」。そのような授業をこれまで何度か行った。報道機関は「権力のチェックが仕事」と自ら任じている。それは、民主主義社会は三権分立だが、権力は暴走しやく腐敗しやすいからだ。権力が隠そうとする秘密を暴くことで、浄化作用を促してきた。しかし、特定秘密保護法によって、権力側の取材のガードが強固になる。メディアの最大の懸念は、「国民の知る権利」「報道の自由」「取材の自由」が侵害されるということ。
「掲載されない写真と映像、あなたはどのように考えるか」を授業で問いかけた。日本のマスメディア(新聞・テレビなど)は通常、遺体の写真を掲載していない。読者や視聴者の感情に配慮してのことだ。一方で、海外メディアはリアリティのある写真を掲載している。学生にこのメディアの有り様を問うと、「現状でよい」61%、「見直してもよい」39%だった。「現状でよい」の主な理由は、「見る側への心理的な影響(トラウマ、PTSDなど)が心配される」「遺体にも尊厳がある。プライバシーの問題もある」「インターネット掲載など別の方法がある」「これは日本人の独自の文化、メンタリティーである」など。一方、「見直してもよい」の主な理由は、「現実、事実を報道すべき」「メディアはタブーや自己規制をしてはならない」「見る側の選択肢を広げる報道を」など。
「新聞記者の数が激減したアメリカで起きていること」をテーマにした授業も大きな反応があった。リーマン・ショック(2008年9月)以降、アメリカで212の新聞社が休刊。1990年代に6万人を数えた新聞記者は現在4万人に減った。「取材空白域」ではさまざまな事件も起きている。こうした、アメリカの「取材空白域」を調査したスティーブン・ワルドマン氏の言葉を授業で紹介した。「ニュースの鉱石を地中から掘り出すのは、現在でももっぱら新聞です。テレビは新聞の掘った原石を目立つように加工して周知させるのは得意ですが、自前で掘るのは不得手です。ネットは、新聞やテレビが報じたニュースを高速ですくって世界中に広める力は抜群ですが、自ら坑内にもぐることはしません。新聞記者がコツコツと坑内で採掘する作業を止めたらニュースは埋もれたまま終わってしまうのです」(2011年10月29日付・朝日新聞)
学生たちにはこのようなメディアへの考察を通じて、「知識のワクチン」を打っている。
⇒5日(水)夜・金沢の天気 ゆき
大学生はどのくらい新聞と向き合っているのか、昨年(2013年)10月に授業でアンケート調査を試みた。任意提出で112人が回答してくれた。「世の中の出来事を知る媒体は主になんですか」(複数選択可)の問いでは、①インターネット(47%)、②テレビ(42%)、③新聞(6%)の順だった。媒体としての新聞の存在感は薄いのだ。「新聞に対する印象」では、好きになれない理由として、「政治に関することが多く書かれており、内容がかたい」「おじさんが読む、かつ、おじさんが作っているもの」「文字を読むよりテレビで見た方が情報の取得が早く、読んでいる時間がもったいなく思える」「手が乾燥する、紙質が悪いのであまり触りたくない」「フニャフニャで読みにくく、手が黒くなる」「文字が多い。字が小さく目が疲れるので、あまり良い印象をもっていない」「家でゆっくり見るのには便利だけど外では見ることができないので不便なもの」など。
一方、好意的な理由として、「ネットニュースと比べると情報量が多く、種類も豊富であると思う。誤報をできるだけ少なくするために取材が丁寧になされていると感じる」「書かれているイラスト等がとても分かりやすい。これによって難解な問題も簡単に分かる」「情報を得る媒体としては非常に人間的なスマートなもの、様々な情報があり、良い意味で興味のない記事にも出会える」など。
新聞の現状は、情報としては一流だが、媒体としては学生たちからの支持が少ないとう現実が浮かび上がってくる。
「新聞などメディアは特定秘密保護法になぜ反対しているのか」。そのような授業をこれまで何度か行った。報道機関は「権力のチェックが仕事」と自ら任じている。それは、民主主義社会は三権分立だが、権力は暴走しやく腐敗しやすいからだ。権力が隠そうとする秘密を暴くことで、浄化作用を促してきた。しかし、特定秘密保護法によって、権力側の取材のガードが強固になる。メディアの最大の懸念は、「国民の知る権利」「報道の自由」「取材の自由」が侵害されるということ。
「掲載されない写真と映像、あなたはどのように考えるか」を授業で問いかけた。日本のマスメディア(新聞・テレビなど)は通常、遺体の写真を掲載していない。読者や視聴者の感情に配慮してのことだ。一方で、海外メディアはリアリティのある写真を掲載している。学生にこのメディアの有り様を問うと、「現状でよい」61%、「見直してもよい」39%だった。「現状でよい」の主な理由は、「見る側への心理的な影響(トラウマ、PTSDなど)が心配される」「遺体にも尊厳がある。プライバシーの問題もある」「インターネット掲載など別の方法がある」「これは日本人の独自の文化、メンタリティーである」など。一方、「見直してもよい」の主な理由は、「現実、事実を報道すべき」「メディアはタブーや自己規制をしてはならない」「見る側の選択肢を広げる報道を」など。
「新聞記者の数が激減したアメリカで起きていること」をテーマにした授業も大きな反応があった。リーマン・ショック(2008年9月)以降、アメリカで212の新聞社が休刊。1990年代に6万人を数えた新聞記者は現在4万人に減った。「取材空白域」ではさまざまな事件も起きている。こうした、アメリカの「取材空白域」を調査したスティーブン・ワルドマン氏の言葉を授業で紹介した。「ニュースの鉱石を地中から掘り出すのは、現在でももっぱら新聞です。テレビは新聞の掘った原石を目立つように加工して周知させるのは得意ですが、自前で掘るのは不得手です。ネットは、新聞やテレビが報じたニュースを高速ですくって世界中に広める力は抜群ですが、自ら坑内にもぐることはしません。新聞記者がコツコツと坑内で採掘する作業を止めたらニュースは埋もれたまま終わってしまうのです」(2011年10月29日付・朝日新聞)
学生たちにはこのようなメディアへの考察を通じて、「知識のワクチン」を打っている。
⇒5日(水)夜・金沢の天気 ゆき