自在コラム

⇒ 日常での観察や大学キャンパスでの見聞、環境や時事問題、メディアとネットの考察などを紹介する宇野文夫のコラム

☆文明論としての里山22

2010年04月17日 | ⇒トピック往来

 「トキ 穴水にきました!」。知り合いの女性からメールが入ったのは16日15時41分だった。電話をすると、「つがい(ペア)で来ていて、地元のケーブルテレビが撮影に成功したらしい」と興奮気味だった。ビッグニュースは地元でまたたく間に広がり、話題が沸騰していたのだろう。ペアで来たというのは事実に反していたが、地元の人がこれだけ興奮するには訳がある。石川県穴水(あなみず)町は本州最後のトキが捕獲された地なのである。

         トキが教えてくれる「里の道」

  1970年1月、能登半島では「能里(のり)」の愛称で呼ばれていたオスが繁殖のため、この地で捕獲された。その後、人工繁殖のため佐渡トキ保護センターに移送された。能里は翌年死んで、本州のトキは絶滅する。当地の人たちにすれば、トキの姿を目にしたのは実に40年ぶりということになる。

  当然、マスメディアのニュースになった。翌日付の紙面からその日の様子を拾ってみる。町役場に知らせた同町曽福の農業Sさん(69)によると、トキは同日午前10時50分ごろ、Sさんの自宅と近い水田でエサをついばんでいた。役場の職員らと一緒に5、6メートルほど近づいたが、怖がる様子は見せず、水田を動き回っていたという。約30分後、カラスの鳴き声に驚いて飛び立ち、独特のトキ色(朱色)の羽を見せて七尾市方面(穴水より南方向)に去っていった。石川県の自然保護課が、環境省に確認したところ、このトキは足輪の色から「個体番号04」のメスの可能性が強い。2008年9月に佐渡で放され、幅40キロメートルの佐渡海峡を越えて、新潟や福島、宮城、山形など広い範囲を移動したあと、富山県黒部市にしばらく滞在していた。3月27日には石川県加賀市にも飛来し話題となった。

  当時の様子からいくつかのことが確認できる。トキは本来、人影を恐れて谷内田、あるいは山田と呼ばれる奥まった田んぼの生き物(カエルやドジョウなど)をついばみにくる、とされていた。ところが、今回、「5、6メートルほど近づいた」が、物怖じしなかったということは、人工繁殖なので野生に復帰しても人影を気にしないということだろうか。もう一つ。カラスの鳴き声に驚いて飛び立ったとある。放鳥以来、トキがカラスに空で追い掛け回されている姿の写真が紙面で掲載されていた(09年1月20日付・新潟日報)。このことからも、トキは適応能力や学習能力が高い鳥だと分かる。

  話はくどくなるが、人影におののかないトキが出現しているというのは、人と生き物の共生という視点で考えるならば、ある意味で歓迎すべきことである。トキはかつて能登半島などで「ドォ」と呼ばれていた。田植えのころに田んぼにやってきて、早苗を踏み荒らすとされ、害鳥として農家から目の敵(かたき)にされていた。ドォは、「ドォ、ドォ」と追っ払うときの威嚇の声からその名が付いた。米一粒を大切にした時代、トキを田に入れることでさえ許さなかったのであろう。昭和30年代の食料増産の掛け声で、農家の人々は収量を競って、化学肥料や農薬、除草剤を田んぼに入れるようになった。人に追われ、田んぼに生き物がいなくなり、トキは絶滅の道をたどった。

  いまその発想は逆転した。トキが舞い降りるような田んぼこそが生き物が育まれていて、安心そして安全な田んぼとして、そこから収穫されるお米は「朱鷺の米」(佐渡)に代表されるように高級米である。人は生き物を上手に使って、食料の安心安全の信頼やブランドを醸し出す時代である。農家も生きる、トキも生きる、そんなパラダイス(楽園)ができないだろうか。

  農薬害について警鐘を発した、レイチェル・カーソンの名著『沈黙の春~生と死の妙薬~』の中で、このような文がある。「私たちは今、2つの道の分岐点に立っている。・・・私たちが長い間歩んできたのは、偽りの道であって、それは猛スピードで突っ走ることのできるハイウェイのように見えるが、行く手には大惨事が待っている。もう一つの道は、人もあまり通らないが、それを選ぶことによってのみ私たちは、私たちの住んでいる地球の保全をまっとうするという最終の目標に到達できるのである」

  我々が歩むべき道は、化学肥料と農薬にまみれた食料増産という「ハイウェイ」ではない。低価格かもしれないが、そこには「死の妙薬」が仕込まれている。そうではなくて、我々が歩むべきはトキが舞い降りる「里の道」だろう。それは食料問題にとどまらず、自然環境と人との生き方という話にもなってくるからだ。これを言うと、「ハイウェイ」を走る都会の人たちの中には「我々の食料をどうしてくれる」と凄む人もいる。安心安全な食料を得たければ、築地ではなく、どうぞ里に来てください。その目で食料生産の現場を見て、直接仕入れてください。そんなふうに言えばよい。「安全と水と食料はただ同然」という時代はもう終わっている。自己責任で選ぶ時代、生きる道の選択のときがきたのかもしれない。(※写真はトキ、岩田秀男氏撮影=1957年、輪島市三井町洲衛)

 ⇒17日(土)夜・金沢の天気  くもり

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