自在コラム

⇒ 日常での観察や大学キャンパスでの見聞、環境や時事問題、メディアとネットの考察などを紹介する宇野文夫のコラム

☆文明論としての里山9

2010年02月05日 | ⇒トレンド探査

 先日、インターネット上の仮想空間の「土地」の投資話で会員2万3千人を違法な手段で勧誘したマルチ商法の会社が、消費者庁から業務停止命令を受け、さらに国税局から100億円もの所得隠しの摘発を受けた(4日付・朝日新聞)。撒き散らかされた「夢」に期待に膨らませる。実態の乏しいこのようなバーチャルな投資話で100億円の利益を得る。そして行き詰る。このような破綻のストーリー展開は歴史上、数多くあった。

                 バーチャルからの目覚め

  かつて父親から聞いたこんな話を思い出す。「大本営」という日本軍の司令塔があった。父親が赴いた仏印(ベトナム)など前線では戦局が悪化し、兵力・兵站(たん)は絶たれ、餓死者も出ていた。終戦間際のそんな状況にあっても、大本営のスタッフは「わが皇軍は勝利せり」と発表して、夕方6時の退社時には帰宅していた。父親の話はここまでである。ここからは私の考えだ。国民はその発表を信じて喜び勇んでいた。おそらく当初は、大本営は国民に動揺を与えないためにあえて戦局の悪化を伝えなかった。それが慣れっこになると国民を鼓舞するために話を次々と作り出して、国民を欺くようになった。戦地に物資を供給する国民も生活が苦しいので、大本営の「つくり話」にも耳を傾け安堵を得た。それが限界点に達したころ、沖縄戦線や原爆投下で現実が露呈すると今度は「一億総玉砕」へと自死を強いるようになる。現実に戻った。

  世界を不況のどん底に叩き込んだアメリカのサブ・プライムローンもそうだ。「低所得者にマイホームの夢を」と幻想を吹き込んで、最終的に土地の値上がり益を誘導するバブル経済が行き詰まり、リーマン・ブラザーズなど投資銀行が破綻して現実に目覚めた。「仮想空間の土地取引の儲け話」から、「大東亜の夢」「低所得者にマイホームの夢を」まで・・・。現実に基づかない夢を煽るバーチャルな話というのは必ず破綻する。現実と噛み合わない夢をいくら見ても最終的には無理が生じる。

  ひょっとして人類最大のバーチャルは「都会」ではないかと仮定してみる。「都会の夢」に憧れ、「地方」から若者たちがどんどん流入している。日本とヨーロッパではすでにピークを過ぎたが、アジアでは都会への流入現象はまだ途上である。地方の若者たちは「夢の職業に就ける」と錯覚を抱いている。都会に住めば、家を持つことができて、友達もつくれ、旅ができて、楽しい人生が待っている。これは「仮想空間」あるいはセカンド・ライフと似ている。しかし、都会で頑張ってかなえる夢というのは、一体何だろう。結局、突き詰めると消費行動しかない。モノを買った、買わないで満足を得る、得ないの基準しかないのである。  しかし消費で人生の充足感は得られるのだろうか。

 ある有名な衣料量販店。安価、トレンディ、温かい着やすいなどさまざま消費者の欲望を満たして急成長している。しかし、「日曜日と月曜日」の現実を見てみるがいい。土曜日に大量に買われた商品が日曜と月曜には次々と戻されている。「返品の山」なのだ。大量に売れているので、返品の山は気づきにくい。返す人はまだいい。一度袖を通しただけで、家庭で返品状態になっている衣料品があふれ返っていないだろうか。消費は覚めやすい。「買わされた」だけにすぎない。都会の過剰な情報で消費欲が刺激され、「トレンドに乗った」つもりで自らの人生を消費している。

  長期不況で消費型の都会での生活スタイルは遅かれ早かれ破綻する。もうそんなバーチャルな人生を生きたくないと本能的に気がついた人々が都会を離れ、地方の里山に入り始めた。そこで、土地を耕し、作物を得て、周囲との人たちと調和し、関係性という現実を構築している。彼ら「ニューカマー」の姿を見ると、人生の満足を得るためにはまだ時間がかかるだろうと思う。社会の壁(土地制度や所有権など)にぶつかりながらも必死にあがいている。都会に残るのも地獄、出るのも地獄。彼らから、そんな深淵に立った人生の選択があるのだと気づかされた。もちろん彼らの表情にそんな悲壮感はなく、明るい。

 ⇒5日(金)朝・金沢の天気 ゆき

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