「過疎の村を応援するミュージカルがある。地球温暖化や生物多様性もその内容」と聞いて、ミュージカルとしては骨っぽいと興味がわいて、先日(1月10日)、金沢市文化ホールに観劇に行ってきた。ざっと500人の入り。環境という地味なテーマの割には多いと思ったら、環境保全に取り組んでいる大手住宅メーカーがしっかりとスポンサーについていた。
なかなかの深みのあるストーリーだった。公演は、劇団ふるさときゃらばん(東京都小金井市)による「ホープ・ランド(希望の大地)」=チラシ・写真=。地球温暖化で、海に沈んでしまった赤道直下の島・モルバルの人々が手づくりの船に乗ってニッポンにやってくる。酋長がニッポンの友人、実業家オカモトから、過疎というニッポン特有の病気で、見捨てられ、荒れはてた山里があると聞いたからだ。過疎という病はニッポン人しから罹らず、モルバル人には感染しないから大丈夫と、夢と希望を持ってやってくる。南国の底抜けに明るい人たちだ。
ニッポンの山里ムジナモリに無事着いたモルバル人たち12人は荒れ果てた限界集落の様子にカルチャーショックを受けながらも、島での経験から緑を育む大地と水と太陽の光があれば人間は生きていけると信じている。一方、過疎の病に罹ったニッポン人たちは、山里では仕事(工場やオフィス)がないのでお金が稼げず生きていけないないと思い込んでいる。ムジナモリの村の長(おさ)トンザブロウ夫妻の指導でモルバル人たちは荒れた棚田や畑を耕してコメや大豆をつくり、山の下刈りをして山菜やキノコが出る豊かな里山をつくり上げていく。順風満帆のシーンだけではない。イノシシに棚田が荒らされ、深刻な状態に陥って、「イノシシとの戦争」を始める。さらに毒キノコにあたって踏んだり蹴ったりの場面も。この毒キノコのシーンでは、山仕事が大好きだが、モルバル人に先祖伝来の田畑を耕させることを良しとしない、頑固者のガンちゃんの悪巧みが明かされる。
そんな緊張した物語がありながらも、実業家オカモトがイノシシの肉を販売するショップを提案したり、水車を利用した発電でテレビが見れるようになったり。そしてトンザブロウの息子シュンスケがモルバルの娘と恋仲になって、過疎の村ムジナモリは少しずつホープ・ランドになっていく。
ミュージカルとはいえ、生物多様性に対する考えがしっかり入っている。オカモトの秘書マリコは都会育ちで、木の下刈りの場面では「緑は切らずにそのままにしておいた方がよいのでは」と釈然としない。それに役場の職員(合併して市職員)のコウジまでもが同調したので、トンザブロウはコウジの頭をコツンを叩いて、「おめえまで何いっている」としかるシーンがある。山は「弱肉強食の世界」で、放っておけば荒れて光が入らなくなり植物の多様性が失われる。イノシシやカモシカ、クマが里に降りてくるのもヤブと化した里山を動物の領域と勘違いして出没するのだ。うっそうとした山は若返りがきかないので二酸化炭素の吸収力も弱い。「豊かな山は人がつくっている」とトンザブロウは諭す。
さらに、なぜイノシシが棚田を荒らすのか、という疑問に答えている。イノシシの好物はミミズ。そして、イノシシが泥地で転げ回って体に泥を塗る場所を「ぬた場」という。泥まみれになった後は近くの木で体を擦り、毛並みを磨く。つまり水田はイノシシにとってお風呂になのだ。ミュージカルとして盛り上がってくるのは「イノシシとの戦争」のシーンからだ。
個人的には満足度は高かった。「地球温暖化を大人と子供と一緒に考える」とチラシにあり、親子連れの姿も多くあった。しかし、私の横に座った小学生たちには恐らく言葉もシーンも断片的にしか理解ができなかったのか、所在なげで落ち着かなかった。また、モルバル風にアレンジした日本語のしゃべりがお年寄りには聞き辛かったかも知れない。熱心に鑑賞していたのはお母さんたちだった。
⇒12日(祝)午前・金沢の天気 ゆき
なかなかの深みのあるストーリーだった。公演は、劇団ふるさときゃらばん(東京都小金井市)による「ホープ・ランド(希望の大地)」=チラシ・写真=。地球温暖化で、海に沈んでしまった赤道直下の島・モルバルの人々が手づくりの船に乗ってニッポンにやってくる。酋長がニッポンの友人、実業家オカモトから、過疎というニッポン特有の病気で、見捨てられ、荒れはてた山里があると聞いたからだ。過疎という病はニッポン人しから罹らず、モルバル人には感染しないから大丈夫と、夢と希望を持ってやってくる。南国の底抜けに明るい人たちだ。
ニッポンの山里ムジナモリに無事着いたモルバル人たち12人は荒れ果てた限界集落の様子にカルチャーショックを受けながらも、島での経験から緑を育む大地と水と太陽の光があれば人間は生きていけると信じている。一方、過疎の病に罹ったニッポン人たちは、山里では仕事(工場やオフィス)がないのでお金が稼げず生きていけないないと思い込んでいる。ムジナモリの村の長(おさ)トンザブロウ夫妻の指導でモルバル人たちは荒れた棚田や畑を耕してコメや大豆をつくり、山の下刈りをして山菜やキノコが出る豊かな里山をつくり上げていく。順風満帆のシーンだけではない。イノシシに棚田が荒らされ、深刻な状態に陥って、「イノシシとの戦争」を始める。さらに毒キノコにあたって踏んだり蹴ったりの場面も。この毒キノコのシーンでは、山仕事が大好きだが、モルバル人に先祖伝来の田畑を耕させることを良しとしない、頑固者のガンちゃんの悪巧みが明かされる。
そんな緊張した物語がありながらも、実業家オカモトがイノシシの肉を販売するショップを提案したり、水車を利用した発電でテレビが見れるようになったり。そしてトンザブロウの息子シュンスケがモルバルの娘と恋仲になって、過疎の村ムジナモリは少しずつホープ・ランドになっていく。
ミュージカルとはいえ、生物多様性に対する考えがしっかり入っている。オカモトの秘書マリコは都会育ちで、木の下刈りの場面では「緑は切らずにそのままにしておいた方がよいのでは」と釈然としない。それに役場の職員(合併して市職員)のコウジまでもが同調したので、トンザブロウはコウジの頭をコツンを叩いて、「おめえまで何いっている」としかるシーンがある。山は「弱肉強食の世界」で、放っておけば荒れて光が入らなくなり植物の多様性が失われる。イノシシやカモシカ、クマが里に降りてくるのもヤブと化した里山を動物の領域と勘違いして出没するのだ。うっそうとした山は若返りがきかないので二酸化炭素の吸収力も弱い。「豊かな山は人がつくっている」とトンザブロウは諭す。
さらに、なぜイノシシが棚田を荒らすのか、という疑問に答えている。イノシシの好物はミミズ。そして、イノシシが泥地で転げ回って体に泥を塗る場所を「ぬた場」という。泥まみれになった後は近くの木で体を擦り、毛並みを磨く。つまり水田はイノシシにとってお風呂になのだ。ミュージカルとして盛り上がってくるのは「イノシシとの戦争」のシーンからだ。
個人的には満足度は高かった。「地球温暖化を大人と子供と一緒に考える」とチラシにあり、親子連れの姿も多くあった。しかし、私の横に座った小学生たちには恐らく言葉もシーンも断片的にしか理解ができなかったのか、所在なげで落ち着かなかった。また、モルバル風にアレンジした日本語のしゃべりがお年寄りには聞き辛かったかも知れない。熱心に鑑賞していたのはお母さんたちだった。
⇒12日(祝)午前・金沢の天気 ゆき