自在コラム

⇒ 日常での観察や大学キャンパスでの見聞、環境や時事問題、メディアとネットの考察などを紹介する宇野文夫のコラム

★プリンストン大生からの礼状

2005年07月20日 | ⇒キャンパス見聞
  達筆というより丁寧な字である。おそらく日本のペン習字でトレーニングを積んだに違いない。去る6月30日、アメリカのプリンストン大学で日本文化を学ぶ学生45人が金沢大学角間キャンパスの創立五十周年記念館「角間の里」を訪れ、金沢大の学生と交流した。先日、彼らからお礼状をもらった。私あてではない。餅つきやいろいろをお世話をしてくれた里山メイト(市民ボランティア)に対してである。以下、外国人学生が書いた礼状の文面である。


  「拝啓 梅雨に入り、あじさいの花がきれいな季節になりました。先日、私達プリンストン・イン・石川プログラム(PII)の学生四十五人は金沢大学を訪れた間、色々お世話になりまして、どうも有難うございました。現在、我々PIIの学生は日本にまいりまして、日本語を学習したり、日本の社会や伝統的な文化を体験したりしております。皆お漬け物などの日本料理が大好きですけれども、その作り方を教えていただいたり。おもちつきをしたりしたのは金沢大学を訪ねて初めてでした。お陰様で、金沢大学の学生達と交流するのも、日本の文化を一層に深く理解するのも、できるようになりました。皆様のご健康やお幸せをお祈り致しております。 敬具」

   文面通りに書いた。「てにをは」の間違いは許せる。短文ながら何の目的で来日し、日々どのような活動をしているのか、金沢大学での交流はどうだったのか、というポイントをきちんと押さえた文章である。手書きだから、緊張感も伴っただろう。

   想像するに、「お世話になった方々にお礼状を出さなければ日本のルールに反するのではないか」と彼らが話し合い、誰かが叩き台となるテキストを書いて、何人かが精査し、そして一番「達筆な人」が書いた。そのような共同作業のプロセスを経て、この礼状は書かれたのであろう。その証拠に、たとえば、第一人称では「私達」「我々」「学生四十五人」の表現が使われ、言葉の繰り返しを見事に避けている。一人で書いた文面はどうしても言葉の繰り返しがあるものだ。おそらく、「言葉の繰り返し表現は避けよう、日本語の文章表現のルールに反するのではないか」との意見で手直しされた、そのような共同作業の痕跡が文面から読み取れる。だからどうだ、と言うことではもちろんない。

⇒20日(水)午前・金沢の天気 晴れ   
コメント (1)
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