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自在コラム

⇒ 日常での観察や大学キャンパスでの見聞、環境や時事問題、メディアとネットの考察などを紹介する宇野文夫のコラム

☆医療と薬を遠ざけて

2013年03月07日 | ⇒ランダム書評

  昨年暮れに中国・雲南省のハニ族の棚田での学術交流に参加した研究者から聞いた話だ。ハニ族の人たちはとても前向きな性格で、「水が飲めたら酒を飲め、声が出たら歌え、歩けたらダンスを踊れ」というそうだ。一言でいうならば、人生を楽しもう、これが長生き健康の秘けつである、と。先祖が創り上げた、壮大な棚田を維持するすためには、勤労意欲、そして健康で長生きでなければならない。そのような前向きな民族性がこの棚田を守る精神的なベースとしてある、というのだ。

  もう一つ健康に関する話題を。政府の規制改革会議が、一般用医薬品のインターネット販売に関し、原則として全面自由化を求める方針を固めたとメディア各社が報じている(7日)。あす8日に規制改革会議を開き、厚生労働省に対して薬事法の改正などを求める、という。これまで副作用のリスクが高い第1類など薬のネット販売は省令で禁止されていたが、ネット販売会社が起こした訴訟判決で最高裁はことし1月、省令について「薬事法の委任の範囲を超えて違法」と判断、事実上ネット販売が解禁されている。規制改革会議としては、全面自由化の前提として、販売履歴の管理や販売量の制限といった安全確保策に関して議論する。

  医薬品のネット販売は一見、選挙運動のネット解禁とイメージがだぶり、規制改革のシンボルのように思える。が、個人的な感想で言えば、「これ以上、国民を薬漬けにするな」との思いもわく。高血圧患者4千万人、高コレステロール血症(高脂血症)3千万人、糖尿病は予備軍含めて2300万人・・・と、日本にはすごい数の「病人」がいる(近藤誠著『医者に殺されない47の心得』より引用)。たとえば、高血圧の基準が、最高血圧の基準は160㎜Hgだったものが、2000年に140に、2008年のメタボ検診では130にまで引き下げられた。50歳を過ぎたら「上が130」というのは一般的な数値なので、たいい高血圧患者にされ、降圧剤を飲んで「治療」するハメになる(同)。その結果として、1988年には降圧剤の売上は2000億円だったものが、2008年には1兆円を超えて、20年間で売上が6倍に伸びた計算だ。

  高血圧の原因は、9割以上が不明という。また、日本人の血圧が下げることによって死亡率が下がる、心臓病や脳卒中などが減ると実証されたデータは見当たらない(同)。近藤氏の著書を読んで、話を総合すると、日本人ほど医者と薬を信用する民族はいない。信じ切っている。そして「信じる者は救われる」と思っている。一方で、さして根拠もなく、数値データで「病気」にされ、薬を飲む。

  個人的な感想と言ったのも、じつは自分自身も「高血圧症」でもう10年余り前から降圧剤を服用している。首筋あたりが重く感じられ、病院で血圧を測ったところ160だったので、それ以来ずっとである。そのとき医者から「このまま放っておくと血管がボロボロになりますよ」と言われたのが病院通いのスタートだった。毎日4種の降圧剤を飲み続けている。

  近藤氏はこう書いている。フィンランドで75歳から85歳までの「降圧剤を飲まない」男女521人の経過の調査で、80歳以上のグループでは、最高血圧が180以上の人たちの生存率が最も高く、140を切った人たちの生存率はガクンと下がる。なのに日本では、最高血圧130で病気にされる、薬で下げさせられている。もし、このようなデータが日本で調査されているのであれば、ぜひ公開していほしいと望む。

  本の副題は「医療と薬を遠ざけて、元気に長生きする方法」。なるべくならば薬は飲みたくない、医者にもかかりたくない。持病があったとしても、ハニ族のように「水が飲めたら酒を飲め、声が出たら歌え、歩けたらダンスを踊れ」と前向きに人生をまっとうしたいものだ。

⇒7日(木)夜・金沢の天気   はれ

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☆2012ミサ・ソレニムス~4

2012年12月27日 | ⇒ランダム書評
 「トカゲのしっぽ切り」という言葉がある。権力者が部下に責任をとらせ、わが身や組織を守ろうとするような行為を指すときに使う。ただ、トカゲの切れたしっぽは、しばらくするとまた生えてくる。切断された部分の近くの神経細胞や皮膚細胞がつくり出すタンパク質が、しっぽを生み出す未分化細胞である芽細胞を刺激し、その形成が促進されるのではないかといわれる。ひょっとしたら傷んだ人間の体も再生できるかもしれない…。

   iPS細胞の競争は、再生医療への「勝者なきマラソン」

 ことし夢と希望と感動を与えてくれた一番の出来事は何かと問われれば、それは、iPS細胞(人工多能性幹細胞)の作製に成功した山中伸弥教授(京都大学)がノーベル医学生理学賞を受賞したこと、と答えたい。先般、朝日新聞科学医療部から本をいただいた。山中教授のiPS細胞開発の経緯や医療応用への課題などをまとめた『iPS細胞大革命 ノーベル賞山中伸弥教授は世界をどう変えるか』(朝日新聞出版)=写真=。その中には、壮大な研究に挑む山中氏の言葉が詰まっている。

 人間にもたった一つだけ、どんな細胞にもなる細胞がある。受精卵だ。1個の受精卵が2個、4個、8個と増殖しながら、骨や皮、筋肉といったいろいろな種類に姿を変えることは、中学時代の生物の授業でも習った。その逆、つまり骨や皮、筋肉が再び受精卵のような何にでもなれる細胞に戻ることはないといわれてきたが、その常識を覆したのが、今回、山中教授と一緒にノーベル賞を受賞したイギリスのジョン・ガードン博士だった。ガートン氏は、オタマジャクシの腸の細胞をカエルの卵に入れ、再びオタマジャクシを生ませた。50年前のことだ。

 卵の中に細胞をまっさらな状態に、つまり未分化の細胞に戻す遺伝子があるのではないか、それを突き止める研究が山中教授の仕事だった。それまで「万能細胞」の主役だったES細胞は、受精卵が分裂して胚の段階になったとき、内部から細胞を取り出して培養することから、受精卵を壊してつくる必要があり、受精卵を生命とみる倫理的、あるいは宗教的な問題がつきまとっていた。そこで、患者自身の体の細胞からES細胞と同じような万能細胞をつくれば、胚を壊さずに済み、もともとは自分の細胞なので拒否反応も起きない。それには、細胞をハードディスクでするように初期化して、肺やES細胞のような状態に戻すことだった。これは「非常識なほど困難な目標」(本著)だった。アメリカから帰国後に挫折していた山中氏は「いったん研究者をやめかけたんだから、やけくそで思いっきり難しいことをやってやろうと思って、これをビジョンにした」(同)という。奈良先端大学での研究はこうして始まった(1999年)。

 本著を編集した朝日新聞科学医療部は2001年ごろから山中氏に注目していた。そのころからの山中氏の言葉が掲載されている。「私たちの研究は生命現象の心理を覆っているベールを一枚一枚はがして行くようなもの―」(2001年6月・朝日新聞奈良県版コラム)、「このiPS細胞の競争は明らかにマラソンです。柔道ではありません。勝ち負け、アメリカだけ勝った、日本だけ勝った、そういうのはありません。アメリカも頑張る、日本も頑張る、それはいいことなんです。なぜかというと、両方頑張って競争すれば早く臨床応用できるんですね。患者さんにとって1日、1日は長いです。僕は学生によく言うんですが、『おまえらにとって1日は寝ていたら済むかもしらないけど、患者さんにとって1日はもう永遠なんだ』」(2008年3月・朝日賞受賞記念講演)

 ノーベル賞の受賞を受けた記者会見(2012年10月8日)。「授賞の意味について、私もできるだけ自分の言葉でお話ししたいと思っていますが、そのあとはすみやかに研究の現場に戻る。来週から研究に専念し、論文も早くださないと、学生さんも待っておりますので、それが私の仕事、それがこの賞の意味でもある」

 そして、本著では山中氏が「iPS細胞はまだ1人の患者の役にも立っていない」と語ることがあるのだ、という。言葉に響く強い使命感、鋭い研究者目線がiPS細胞の未来可能性を照らしている。

⇒28日(金)朝・金沢の天気  くもり
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★壮大な「水の話」

2012年11月24日 | ⇒ランダム書評

 地球上の水の97.5%は海などの塩水が占める。それが、太陽エネルギーによって塩分を含まない水蒸気となって蒸発し、水蒸気は上空で凝結して雲となり、やがて雨や雪となって降り注ぐ。そのほぼ90%は直接海上に降るが、残りは地上に降りる。地上に落下した水の65%は蒸発して大気中に戻りるが、一部は地表面を流れて河川に注ぎ、あるいは地中に浸透して地下水となり、地中を流れて河川や湖沼に行く。動植物はその水を吸収し生命を維持するが、やがて生命が尽きると水分は蒸発し、また海に戻る。

 46億年以前に地球が誕生して以来、水は循環しているのだ。「したがって、数億年前に恐竜の血液であった水分が現在の河川の水流になったり、昨夜の夕食のスープの材料になっていることも十分にありえます」と筆者、月尾嘉男氏は考えた。おそらく趣味のカヤックをこぎながら海を眺め、そう発想したに違いない。著書『水の話』(遊行社)は水にまつわる時空を超えた壮大な話である。

 今月16日、石川県小松市で月尾氏の講演があった=写真・下=。演題は「21世紀の水問題と環境共生」。バーチャル・ウォーター(virtual water、仮想淡水)の問題に興味があったので、月尾氏の考えを聞くことができるかもしれないと期待し、ついでにその場で著書も購入した。バーチャル・ウォーターは、農産物や畜産物の生産に要した淡水の量を、その輸出入に伴って売買されていると仮定したもの。たとえば、小麦1㌧を輸入する場合はそれを育てるのに要した2000㌧もの水、牛肉1㌧の場合は2万㌧近い水がそのバックヤードには使われている。日本が輸入している農産・畜産物の主な8品目(コメ、大麦、小麦、トウモロコシ、大豆、牛肉、豚肉、鶏肉)だけでも年間860億㌧の水を輸入している計算になる。これは国内で使用している淡水の840億㌧とほぼ同量と、筆者は指摘する。

 冒頭で述べたように、もともと淡水という資源は限られ、人口が増えるにつれ、源流から河口までに複数の国を流れる「国際河川」では紛争が起きやすい。インドシナ半島を流れる大河メコンは、中国南部のチベット高原を源流とし、ミャンマー、ラオス、タイ、カンボジア、ベトナムを通過する。中国が最近巨大なダムの建設を開始している、という。中国側は水力発電をするだけで、水はそのまま下流に放水するとから影響はないと言っているが、「下流の国々は疑心暗鬼です」(筆者)と。

 紛争とは別の水をめぐる問題が世界で起きている。「淡水は権利か、商品か」という問題。権利であるならば、自治体や国が責任を持って国民に供給する義務がある。ところが、流れは商品化になっている。日本の家庭でも、水道水ではなくミネラルウォーターを飲むようになった。500㍉㍑のペットボトルが年間で50億本も売れている。1人40本の計算だ。ところが、イタリアは日本の9倍、フランスは6倍、アメリカは5倍、イギリスは2倍も消費している。その背景には、欧米では「ウォーター・バロン(淡水男爵)」と揶揄される巨大企業が淡水を牛耳っている。世界のミネラルウォーターの市場の31%をフランスのヴィヴェンディが、2位もフランスのオンデオが30%、3位ドイツのRWE16%と寡占状態になっている。民間企業による水道事業の比率もイギリス90%、フランス75%など。ともすれば値上げにさらされやすい。さらに、最近は「ウォーター・ハンター」と呼ばれる、新たな水源を発見して取水、利水の権利を購入する新手のビジネスが横行している。

 月尾氏の水の話は淡水、真水にとどまらずに、運河や海水、海底に眠るメタンハイドレードなどの天然ガス資源にまでどんどんと展開して、まるで海原のような壮大な広がりとなる。「水と安全はタダ」という雰囲気に慣れきった日本人が今発想を変えないと、地域の再生はおろか、日本の再生も危ういと「ミズの視点」から警鐘を鳴らす。

⇒24日(土)昼・金沢の天気  はれ

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☆美しいイタリア農村

2012年10月07日 | ⇒ランダム書評
 「イタリアの農村の過疎化は、日本以上に深刻だった。農業人口は劇的に減少した。しかし、50年代の奇跡の経済成長が終った後、長年穏やかなまま、、地方都市では多くの工場が閉鎖された。その跡地にディスコやホテルが建った時代もあった。しかし、直ぐ廃墟になった。今では、レストランの一部が残っているだけである。例外は一部の有名なリゾート地だけ、空きあ家だらけの農村では投機はあまねく失敗した。」

 最近読んだ『なぜイタリアの村は美しく元気なのか~市民のスロー志向に応えた農村の選択~』(宗田好史著・学芸出版社)にかかれている状況は、現在の日本のそれと同じだ。イタリアの農業生産はGDPの2.3%、農家は全世帯の3.8%に減った(2009年)。日本は、GDPに占める農業の割合は0.9%だが、農家の全世帯に占める割合は4.5%だ。ただし、農家一戸当たりの耕作面積は日本1.6㌶、イタリア7.9㌶と比較にならないほどイタリアの農家は土地持ちだ。土地面積は少なくとも農業人口の比率はイタリアより多いのでうまく農業経営をやっているとのだと思ってしまうが、日本の場合は農業補助金が現在でも5.5兆円あるので、補助金でなんとか農業人口を支えていると表現した方が良さそうだ。

 本書によると、そのイタリアが変わった。「最近になって、アグリツーリズモが盛んになり、地方小都市へ移住する人も増えた。」という。日本ではアグリツーリズムとも紹介されている。発祥地とされているトスカーナ地方では、もともと農業や畜産の手伝いを泊まり込みで体験するものだったが、現在は大自然をバックにした田園風景の中の「農家ホテル」の機能と、その土地の食材でつくられた料理を堪能できるスタイルだ。本の写真に掲載されているような、納屋を改造したレストランなどは一度入ってみたいと思わせるような造りである。

 上記の記載だと商売上手なやり手の農家が考えそうで、日本にいくつでも事例はあるという人もいるだろう。ところが、イタリアのスローフドは「運動」としてある。1986年、ローマでは「イタリアの子供からマンマのパスタを奪うな」と猛烈な反マクドナルド進出阻止運動が起きたのである。こういった草の根的な文化復興運動が起きるのがイタリアである。著者は、フランス革命時代に活躍した政治家で美食家のジャン・アンテルム・ブリア・サヴァラン(1755-1826)の著書『美食礼賛』の影響を受けているという。すなわち、「人は喜ぶ権利をもっている」として、食の問題を人権思想に結び付けている。これがマクドナルドなどファーストフード化への根付強い反対運動に連鎖しているというのだ。

 そのような思想的な下地があり、イタリアのアグリツーリズモは広がりを見せている。ヨーロッパの成熟したバカンスは田園に、そしてアグリツーリリズムに向かっている。経営者として、都会からの受け入れる感性を持った女性たちが活躍しているという。トスカーナ州で4060余りもの施設がある。イタリア全体の2割だそうだ。日本のアグリツーリズモは農家民宿ということになるが、全国で総数2000軒ほどと言われているので、イタリアの勢いが見てとれる。

 それにしても筆者は建築家であるだけに、建築規制など法的な側面からもきちんと解説していいて、分かりやすい。イタリアがかつて景観破壊を招いたリゾート法によるホテル乱立という事態を防ぐため、規制緩和には厳しいが、納屋や馬小屋ならば宿泊棟やレストランに用途変更できるように工夫している点など丁寧に解説している。

⇒7日(日)朝・金沢の天気   くもり
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☆「こう見る」2冊~下~

2012年09月12日 | ⇒ランダム書評

 『「誤解」の日本史』(井沢元彦著、PHP文庫)は歴史の通説に一石を投じている。「織田信長は宗教弾圧者」とか「田沼意次は汚職政治」とは高校の教科書などでそう習った覚えがあり、また、時代劇の映画やテレビのドラマではそう表現されてきた。ところが、見方によっては全く異なる人物像が浮かび上がる。

          信長の日本人への贈り物、宗教勢力の武装解除

 元亀2年(1571)、織田信長は比叡山延暦寺を焼き討ちし、僧侶などを皆殺しにしたといわれている。後世の人々は、丸腰の坊さんや罪のなき人たちを皆殺しにしたことから織田信長は残酷残忍で、宗教弾圧を行った人と脳裏に焼き付けている。では、当時、坊さんたちは丸腰だったのか。比叡山延暦寺は「天文法華の乱」という、京都の法華寺院を焼き討ちし大量虐殺を行っている。広辞苑ではこう記されている。「天文五年(1536)、比叡山延暦寺の僧徒ら18万人が京都の法華宗徒を襲撃した事件。日蓮宗21寺が焼き払われ、洛中ほとんど焦土と化した。天文法難。」と。平安時代中ごろから「強訴(ごうそ)」と呼ばれた威圧的なデモンストレーション(僧兵が神輿を担いで都に押し掛ける)を通じて朝廷に圧力をあけるいったこともやっていた。その延長線上に天文法華の乱がある。

 信長は、武装勢力であり利権を持つ宗教団体の比叡山延暦寺を攻撃したのであり、宗教である天台宗を弾圧したのではない、と筆者は語る。比叡山延暦寺に次いで、その5年後に石山本願寺攻めを行う。加賀の国の一向一揆(浄土真宗のことを一向宗とも)などは武家勢力を追い出して浄土真宗を拠り所とした「百姓の持ちたる国」をつくる。石山本願寺はこうした北陸の一向宗門徒の勢いにバックに信長勢との対立を深めていく。天正8年(1580)の顕如が本願寺を退去し、本願寺は戦闘行為を休止する。これは信長の宗教勢力の武装解除だった。

 本書ではこんなことも述べられている。「ローマの歴史に詳しい塩野七生さんの言葉を借りれば、これは、信長の日本人に対する巨大な贈り物なのです。つまり政教分離というのは今のヨーロッパでも実現できていないようなところがいっぱいあるし、ましてやイスラム教国ではいまだに政教一致のところすらあります」。信長、秀吉、家康の3代で宗教勢力は完全に非武装化した。坊さんが丸腰になったのはそのような歴史的な経緯からだった。

 きょう12日も、リビアでイスラム教の預言者ムハンマドを冒涜(ぼうとく)する映像作品がアメリカで製作されたとして抗議するデモ隊がアメリカ領事館を襲撃し、大使と領事館員ら4人が死亡したと発表された。イスラム過激派「アルカイダ」しかり、宗教の武装攻撃は容赦ない。殺伐としている。政治と宗教を切り離すこと、すなわち宗教が政治に口だしすることを排除した信長の「日本人に対する巨大な贈り物」にはうなづける。なるほどこうした歴史の見方があったのか。

※武装した僧兵でおなじみの弁慶。千本の太刀を求めて武者と決闘して999本まで集め、千本目で義経と出会う物語は有名=JR紀伊田辺駅前

⇒12日(水)夜・金沢の天気   はれ

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★「こう見る」2冊~上~

2012年09月11日 | ⇒ランダム書評

 8月28日から9月2日の中国・浙江省行きで、機内で読もうと2冊の本を関西国際空港で買った。『「誤解」の日本史』(井沢元彦著・PHP文庫)と『中国人エリートは日本人をこう見る』(中島恵・日経プレミアシリーズ)だ。その中から、面白いと思ったことを何点か。

          「自然災害を受けても自然を恨むことがない日本人」         

 『中国人エリートは日本人をこう見る』で紹介されている中国人エリートは中国共産党や政府の将来を嘱望された若手といった現役ではなく、日本の大学で学ぶ留学生や日本の企業で職を得て働く若者ら、いわば「未来のエリート」たちである。筆者は、彼らに粘り強くインタビューして、日本に対する本音を引き出している。

  北京でミュージシャン、作家として活動の場を広げる女性(25歳)の言葉が印象的だ。「日本はアジアの中で最も東方文化の伝統が残っている国」。その理由として、高い木の上で枝降ろしの作業をする職人「空師」が作業を始める前に塩とお神酒を木の幹にまくという儀式や、女の子が浴衣で花火大会や夏祭りの出かけるよう様子など、文化大革命(1966年から10年間)でいったん否定された中国の伝統文化の在り様と比較すると、日本では伝統文化が残っているというのだ。

 広い中国の一点だけを見て考察するのは危険だが、今回の中国旅行で上記のことと逆に、中国における伝統の在り様を考えた。訪ねた浙江省の村々では、新しい3階建ての建物が林立している。中国人のガイドに聞くと、「3階建ては見栄ですね。2、3階は使っていない家が多い」と。伝統的な家屋は残ってはいるが、どれも老朽化している。伝統と近代をミックスした家屋や、伝統建築をリフォームしたような新しい家屋を探したがなかなか見つからなかった。伝統家屋は「過去の遺物」と化しているのかもしれない。

 震災と日本人をみつめる中国人の若者の証言は新鮮だった。滞日10年の男性会社員。「日本人は自然災害を受けても自然を恨むことなく、大自然とともに生きていく覚悟がある。自然災害は『天命』と受け入れて、どんな災害が待ち受けていようとも『故郷』にこだわり、リスクがあるのに『故郷』で生きていく道を選択する。これは合理的に考える外国人にはわかりにくい感情です。でも、日本人にとって故郷とはそれだけ特別な存在なのでしょうね」

 偶然だったが、今回の中国のワークショップでも、日本側の発表で一つのキーワードとなったのが、「レジリエンス(resilience)」だった。レジリエンスは、環境の変動に対して、一時的に機能を失うものの、柔軟に回復できる能力を指す言葉。生物の生態学でよく使われる。持続可能な社会を創り上げるためには大切な概念だ。2011年3月11日の東日本大震災を機に見直されるようになった。「壊れないシステム」を創り上げることは大切なのだが、「想定外」のインパクトによって「壊れたときにどう回復させるか」、これが大切なのだ。日本は古来より災害列島である。この列島からは逃げられない。ならばでどう回復させるか、復興させるか、レジリエンスな日本人。中国人はよく日本人のことを見ている。

⇒11日(火)夜・金沢の天気  雨

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★「無料のランチ」

2012年08月07日 | ⇒ランダム書評
 経済理論の講義などでよく使われる「無料のランチなどない」の格言は、今に生きる日本、欧米諸国にとって身に染みる言葉になった。産業革命が始まって150年間、化石燃料をエネルギーとして使い続け、それによって産み出されるサービスや商品に満たされる消費文明を謳歌してきた。しかし、われわれが何か便益を得れば、そのコストは必ず誰かが負担することになる。タダの飯はない。どこかでツケ(勘定書)が回ってくる。しかし、アメリカは地球温暖化ガス排出権に絡む京都議定書に参加しなかったように、これまで極力、その負担を避けようとしてきた歴史がある。『世界を騙しつづける科学者たち』(楽工社、ナオミ・オレスケスほか著)は、酸性雨、二次喫煙、オゾンホール、地球温暖化などの環境問題を事例に、これら環境保護論に関する科学者たちの研究に、「地球を束縛するものだ」と毛嫌いする一部の科学者たちがそのつど疑問を投げかけ政府の対応を遅らせてきた「科学史」を分かりやすく紹介している。アメリカ政府が国連の生物多様性条約を批准していないこともその延長線上にあるのではないかと思えてきた。

 原題(『Merchants of Doubt』)の直訳は「疑念の商人たち」。信頼に値する全米科学アカデミー総裁を務めた人やアメリカ合衆国政府の科学顧問らの実名を挙げて、環境保護に関する研究をことごとく批判してきた経緯を列挙している。それらの肩書を持つ科学者の語りや論評、書評、著作だったら、取材するジャーナリスト、あるいは彼らが書く『ウオールストリート・ジャーナル』『ニューヨーク・タイムズ』での掲載記事は読者は信頼するだろう。ところが、肩書きを持った科学者たちの論は一見して健全な科学批判に見えるが、タバコ産業などの企業と組んで環境保護に関する研究に疑念を売り込み、政府の対応を遅らせてきた。だから「疑念の商人たち」なのである。

 アメリカらしいのは、「疑念の商人たち」の多くはソ連との冷戦時代にSDI(アメリカの戦略防衛構想、別名「スター・ウォーズ計画」)を推し進めた物理学者たちだった。冷戦崩壊後は、資本主義の「総本山」アメリカを揺るがすと彼らが警戒する新たな敵が、環境保護論を研究ベースで進める研究者たちだった。「疑念の商人たち」は環境保護論の研究者を「スイカ」と称する。外側はグリーンだが、内側はレッドだ、と。環境保護の政策化は市場規制であり、さらにその先にあるのは共産主義的なイデオロギーだ、というのだ。

 この本を読んで驚いたことに、『沈黙の春』の作者レイチェル・カーソンがいま「レイチェルは間違っていた」「殺虫剤DDTの禁止はヒトラー以上に多くの人を殺した」とネットで攻撃されたいるということだ。著書が発刊され、3代の大統領がこの問題を慎重に審議し、10年後の1972年にニクソン大統領がDDT使用を禁止したにもかかわらず、である。その論拠は、何百万人ものアフリカ人がその後、マラリアで死んだというのだ。そのネットの発信元がくだんの「疑念の商人たち」関連の研究所だ。著者たちは丁寧に反論している。たとえば、世界保健機関(WTO)はマラリアの流行している国々で引き続き使うことや、アメリカ国内でも公衆衛生上の非常事態の場合は販売することができる、などDDTの使用は一切禁止という措置ではないのである。

 いくら肩書きがよくても「疑念の商人たち」の矛盾もある。共通するのは、批判している科学者たちの専門は、批判する分野ではなく、その道の「専門家」ではない。専門外からの批判は大切だが、現代科学は分野外の科学者が論評や意見をできるほど単純ではない。科学はピアレビューという科学者間の厳しい審査の積み重ねを得て担保される。かつての「SDI冷戦の戦士」である物理学者たちが、その肩書きによって医学や気候変動について科学的に批判できるかは疑わしい、と本著の結論で述べている。著者は「権威への妄信は真実の敵」という言葉を引用し、読者に訴えるとともに、批判にさらされた科学者たちの「冷笑主義も真実の敵だ」と述べている。アメリカの科学と政治の現実が見える。

 冒頭で述べたように、アメリカが国連生物多様性条約を批准していない。アメリカの製薬企業は遺伝子利用で最も利益を上げており、生物多様性条約第10回締約国会議(COP10、名古屋市)ではオブザーバーとした参加しただけだった。途上国にある動植物の資源なしには新製品を開発できない。だから保護しなけらばならないのだが、条約に易々と加盟するば、国際規制で市場の自由主義が失われ、アメリカの利益も失われる、そう考えているのだろう。アメリカはいつまで「無料のランチ」をむさぼろうとしているのだろうか。いつの日かツケは払わされるものだ。

⇒7日(火)夜・金沢の天気  はれ
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★ボラの話

2012年05月01日 | ⇒ランダム書評
 石川県の能登半島に穴水(あなみず)町がある。昨年暮れ、友人に連れられて、「幸寿し(こうずし)」という店に入った。寿司屋には珍しくワインが飲める店という。ワインに合うつまみを頼むと、カラスミが出された。カラスミは地元で獲れる魚のボラの卵巣を塩漬けにして陰干ししたもので、珍味として知られる。この店がつくるカラスミは柔らかく、まるでチーズのような濃厚な風味なのである。友人はシャルドネ(白)が合うといい、私はヤマソービニオン(赤)だろうといい、地元で醸造されているワインをオーダーして、カラスミをつまみながら話が盛り上がった。それ以来、ボラのことが気になっていた。

 先日、能登空港の観光ガイドコーナーで『Fのさかな‐22号』という無料の冊子を手にした。特集が鯔(ぼら)だった。この冊子の名前が面白い。「F」はフィッシュ(魚)やフード(食)、フレンド(友)の意味合いや、能登半島の地形も「F」に似ているので、さまざまな意味をかけているらしい。要するに「能登半島の魚」という意味だ。石川県漁業協同組合などがスポンサーになっている。ボラの特集記事は読み応えがある。いくつか抜粋しながら、寿司屋での談義として再構成してみた。

<熊五郎(熊さん)>
3・11後の景気はどうだい。ギリシアやイタリアもガタガタ、中国も冷めてるね。
<八五郎(ハつあん)>
久しぶりに会ったというのにのっけから景気の悪い話だな。どうだい、駅前の寿司屋でワインでもひっかけるか。
<ハつあん>おやじ、上モノは入っているかい。まず、カラスミ出してくれ。オレはいつものシャルドネ、熊さんは赤かい…。
<熊さん>
このカラスミは味わい深いね、ミモレットなんかよりずっとチーズらしい。
<ハつあん>
ところで、このカラスミは穴水でとれたボラの卵巣なんだ。長崎と違って少々小ぶり。ボラはオボコ、イナッコ、スバシリ、イナ、ボラ、トドと成長につれて呼び名がかわるからめでたいね。
<熊さん>
とどのつまりが出世魚というわけかい、ブリと同じく。
<ハつあん>
そう、その「とどのつまり」がボラのトドから由来している。これ以上、大きくならない、行き着くところがという意味なんだ。
<熊さん>
おやじ、ソービニオンをボトルで出してくれ。へえ~、ハつあんは物知りだね。ほかにどんなボラ由来の言葉があるんだい。
<ハつあん>
青二才というのがあるだろう、あれ伊勢で若いボラをニサイと呼ぶんだ。さらに未熟を意味する青をくつけて、アオニサイとういわけ。からっきし世間を知らない若者という意味かな。
<熊さん>
いい調子になってきたね。おやじ、シャルドネもボトルで。
<ハつあん>
熊さん、注文っぷりがいいね。粋だね。勢いがあって、ちょっと斜に構えた感じのことを「いなせな」というだろう。あれもボラだよ。昔ね、江戸の日本橋の魚河岸に集まる若い衆がピチピチした若いボラ(イナ)の背姿に似た鯔背銀杏(いなせいちょう)のマゲを結ったんだ。そこからきているね。
<熊さん>
ハつあん、名調子だね。ささ、ずずっと・・・。

⇒1日(火)朝・金沢の天気  はれ

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☆続々・トクソウの落とし穴

2012年04月04日 | ⇒ランダム書評

 「戦後思想界の巨人」や「戦後最大の思想家」、「知のカリスマ」などと称された吉本隆明(よしもと・たかあき)氏が87歳で死去した(3月16日)。私のイメージで言えば、ヨシモトリュウメイは詩人であり評論家であり、大学などに足場を置くことはなく、在野から国家や言語について考察する思想家だった。ただ、個人的な蔵書には『共同幻想論』(1968年・河出書房新社)と『最後の親鸞』(1976年・春秋社)の2冊しかない。学生時代を過ごした1970年代中ごろ、ヨシモトリュウメイにはそれほど強いシンパシーを抱いていなかったのかもしれない。

 本棚の『共同幻想論』=写真・表紙=を再び手に取ってページをめくってみると、ラインを入れたり、書き込みもあって当時はそれなりに読み込んだ形跡がある。思い出しながら、共同幻想を一言で表現すれば、社会は言葉で創った幻想の世界を共同で信じ、それを実体のものと思い込んで暮らしている、ということか。言葉で編み込まれた世界を「現実そのもの」といったん勘違いすると、そこから抜け出すのは困難だ。相対化、客観化が難しいのである。今の言葉でたとえれば、マインドコントロールの状態か。遠野物語や古事記の2つの文献の分析を通して、共同幻想、対幻想、自己幻想という3つの幻想領域を想定し、吉本隆明の考える幻想領域の意味を次第に明確化し、古代国家成立の考察に至る過程は当時新鮮だった。

 その時代、既存政党では前衛(知識人)が大衆を先導するマルクス主義が盛り上がっていた。このとき、ヨシモトリュウメイは「大衆の原像」というキーワードを掲げ、大衆を取り込め、大衆に寄り添えとダイナミズムを煽り、一時代の思想を築いた…。ここまで、書いて、ふと思った。共同幻想論はまだ生きているのでないか、と。地検特捜部の事件のことである。

  「正義の地検」「泣く子も黙る鬼の特捜」、そんな言葉の呪縛。判決文にあるように、「特捜部の威信や組織防衛を過度に重要視する風潮が検察庁内にあったことを否定できず、特捜部が逮捕した以上は有罪を得なければならいないとの偏った考え方が当時の特捜部内に根付いていたことも見てとれる。犯行は、組織の病弊ともいうべき当時の特捜部の体質が生み出したともいうことができ、被告両名ばかりを責めるのも酷ということができる」(3月31日付朝日新聞より)。これはトクソウ村の共同幻想、とたとえたら言い過ぎか。素朴に自らの使命をまっとうするプロ集団であれば、とくに不正も生まれないだろう。判決文が指摘するような「特捜部の威信」や「組織防衛」といった政治的文脈を隠し持つ組織に変容していたのであれば、組織はバランスを欠き一方向に傾く。検察の自浄作用があるのか、ないのか。

⇒4日(水)朝・金沢の天気  くもり

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★冬の終わりにBBCの本

2012年03月10日 | ⇒ランダム書評

 1月11日から16日にフィリピン・ルソン島のマニラやイフガオの棚田(1995年世界遺産、2005年世界農業遺産)を調査研究に関する交流で訪れた。その折は、気温が30度余りあった。このころから体の調子を少々崩した。帰国してから9日後の25日に北海道の帯広市をシンポジウム参加のため訪れた。この日の夜中、小腹がすいてホテル近くのコンビニに買い物に出かけた。冷気を吸って気管支が縮むのか、ちょっと息苦しい感じがした。翌日のニュースで気温マイナス20度だったことが分かった。フィリピンと帯広の気温差は50度。これが決定的となったのか、その後も京都(1月31日)、仙台(2月2日、3日)などと続いたせいか、熱が出るやら、終日咳き込むやらで調子が悪い。いまも続いている。家族からはマスク(飛沫ウイルスを通さないWブロックの、高機能フィルタータイプの…)の着用令が出ている。

  もう一つ。ことし金沢の自宅周辺は雪が多かった。スコップでの除雪は、2月前半は来る日も来る日もだった。そのうち、右肩が上がらなくなってきた。軽い腱鞘炎だと自己判断している。カバンがいつもより重い。テーブルに座って、ワインのボトルを持って、グラスに注ぐのでさえ痛みがある。57歳の身にとって、数日安静にして、休養すればよいのに、不徳のいたすところで、毎日酒は欠かさず、夜中に起きてはPCに向かってもいる。

 そんな中、時間を見つけて『公共放送BBCの研究』(原麻里子・柴山哲也編著、ミネルヴァ書房)を読んでいる。まだ読み終えてはいない。イギリスのBBC(英国放送協会)は、メディア論やジャーナリズム論の研究者だったら、ぜひとも調査したいテーマの一つだろう。何しろ、公共放送のモデルとして、ジャーナリズムの姿勢や、知的で教養高い番組は高く評価されている。ただ、BBCは「巨大」であり、さまざま顔を持っている。その一つが、世界に対するリーチ・アウト、つまり手を差し伸べるということだろう。実はこれがこの本を手にするきっかけともなった。

  世界の地域おこしを目指す草の根活動を表彰するBBCの番組「ワールドチャレンジ」。世界中から毎年600以上のプロジェクトの応募がある。最優秀賞(1組)には賞金2万ドル、優秀賞には1万ドルが贈られる。2011年のこの企画に私の身近な能登半島の能登町「春蘭の里」が最終選考(12組)に残った。日本の団体が最終選考に残ったのは初めてだった。惜しくも結果は4位だったが、地元は「BBCに認められた」と鼻息が荒い。春蘭の里は30の農家民宿が実行委員会をつくって里山ツアーや体験型の修学旅行の受けれを積極的に行っている。驚いたのは、BBCに取り上げられてからというもの、実行委員会の役員たちの名刺の裏は英語表記に、そして英語に堪能なスタッフも入れて、来るべき「国際化」に備えているのである。そのような心がけに能登の人を導くほどに、BBCの名はインパクトがあったのだ。これがアメリカのCNNであったら、ここまで本気にさせただろうか。

  さて、BBCの名を高めたエピソードに、あのサッチャー首相(当時)との確執がある。1982年のフォークランド紛争(諸島をめぐるイギリスとアルゼンチンの武力衝突)の折、BBCはイギリスの軍隊を「イギリス軍」と呼んだ。サッチャーにすればイギリスの公共放送なのだから「自軍」と呼ぶべきではないのか、一体どこの国のテレビ局なのか、とかみついたのだ。さらに北アイルランド問題ではBBCのドキュメンタリーやインタビュー番組が「放映は敵に宣伝のための酸素を与える」として、放送禁止令が発動された(1988年)。こうした露骨な政府介入が、かえって世界では名声を上げることに。

 一方で、第二次世界対戦を扱った番組では、日本批判は容赦ない。「日本人は非人道的、残忍、非文明的」だっとという元捕虜のインタビューを印象付ける(2005年『東洋の恐怖』p169)という側面もあるようだ。信頼度の高いBBCがそのように放送すれば、世界の人々の日本への印象もそのように固まる。咳き込みながら冬の終わりに読んでいるこの本は何とも複雑な心境にさせてくれる。

 ⇒10日(土)夜・金沢の天気  くもり 

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