富山地鉄上滝線には07年7月28日の富山地鉄遠征で初乗車している。上滝線とワンセットになっている不二越線については市内軌道線乗り潰しの時に、南富山~電鉄富山間を先行して乗り潰しているが、南富山以南の上滝線については乗っていなかった。立山線を乗り潰しての帰りに岩峻寺から上滝線に乗って電鉄富山へ戻っている。立山線では往復とも10030系でそろそろ地鉄オリジナル車の登場を期待…と思って岩峻寺駅に降り立ったが、向い側を見ると見慣れた京阪3000系の車体があり、またしても10030系だった。利用者は少なく岩峻寺を出てからも大量に乗ってくるという駅はなかった。パラパラっと高校生が乗り降りするぐらいで、地元利用者は南富山でなんぼか乗ってきたぐらいだった。上滝線沿線は岩峻寺寄りは田畑が広がる長閑なところで、沿線人口もあまり多くないと思われる。富山の中心部へはクルマ移動という人も多いだろうが、それ以前にあまり中心部へ出る機会が少ないという人も多いのではないかと思う。そういった中で利用者を増やすのは容易ではないが、南富山近辺では結構住宅があり、新しい宅地もなんぼか行われているので、市内軌道線のリンクあるいは相互直通なども視野に入れて改善を進めていけば、利用者を増やしていける素地はあると思われる。現在のように60分毎の悠長な運転では利用者が少なくて当然ともいえる。市内軌道線の電車が直接乗り入れてくれば、富山市内中心部へのアクセスも良くなるし、運転頻度も高くなる。反面不二越線へ悪影響を及ぼす可能性もあるが、あちらでも運転頻度を高めれば相互に利用者を増やしていけるのではなかろうか。安易な発想ではあるが、運転頻度の向上とスピードアップ、車内や駅の美化というのは利用者を増やすための基本アイテムと言える。富山は鉄道の再生に積極的な都市である。その施策に乗って上滝・不二越線、市内軌道線も改善を進めていってほしいものだ。
富山地方鉄道本線には06年7月の遠征で電鉄富山~稲荷町間のみ乗車していたが、それ以外の区間についてはしばらく自分の乗り潰しの中でも懸案事項として残っていた。何度か計画しては天候や予算の都合などで中止しており、毎年計画しては中止し、また計画を立てるということを繰り返していた。それを漸く実行に移せたのが07年7月28日、29日での富山遠征となった。当初の計画では急行きたぐにで魚津まで行き、能登や北陸、日本海4号などの撮影と絡めて午前中に富山地鉄本線と黒部峡谷鉄道を乗り潰して、午後から立山線や不二越・上滝線の乗り潰しにかかり、高岡に泊まって、朝の夜行の撮影後、金沢へ移動して北陸鉄道2路線の乗り潰しをする計画を立てていた。この計画では富山地鉄が駆け足で過ぎ去ってしまう感じだったので、宿を魚津にとって、2日目に黒部峡谷鉄道乗り潰しを持ってきて、午後から金沢へ移動して北陸鉄道は浅野川線だけを乗り潰す計画に変更した。ほぼ後者の計画通りことを進めて帰ってきたが、誤算は新潟中越沖地震の影響で急行きたぐにが運休し、その他日本海縦貫夜行が軒並み運休となったため、JRの撮影はほとんどなしで帰ってきたことだ。これについては北陸鉄道石川線の乗り潰しと組み合わせて再度訪問することを考えている。
前置きが長くなったが、7月28日にサンダーバード1号で富山入りし、速効電鉄富山駅で2日間地鉄全線フリーの切符を購入し、立山行きに乗車。これで電鉄富山~寺田間の本線を乗り潰し、立山からの折り返しは不二越・上滝線経由で電鉄富山へ戻り、昼食をとってから再び立山行き普通で寺田へ。ここで誤算だったのは特急アルペンの運転で、時刻表では特急アルペンを見落としており、アルペンが運転しない時に運転される電鉄富山~宇奈月温泉間の特急うなづきが運転されるものと思い込んでいたため、計画と実際とで電鉄富山の発車時間に差があり、電鉄富山での滞在時間が計画よりも少なく、駅そばを急いで掻き込んでの出発となった。昼食をゆっくりとる間はなかったが、寺田でスイッチバックする特急アルペンを見られたのは収穫だった。スイッチバックを見物して、特急アルペンに乗り込みじっくり車窓を…と思っていたが、早朝からの活動の疲れのためか、上市でのスイッチバック後、いつの間にやら眠り込んでしまった。気がついたら列車は既に終点手前まで来ており、本線最初の乗車はほとんど記憶の外で終わっていた。
宇奈月温泉で黒部峡谷鉄道の撮影や翌日の切符を入手して、折り返し地鉄本線普通で電鉄魚津まで戻り、その日は魚津で宿泊した。この日乗った地鉄の電車のうち半数が元京阪3000系の10030系?で、富山地鉄に乗っているというより京阪電車の旧型車両を楽しみに来たという感じだった。大井川鉄道では京阪3000系は走っているのを見るだけで近鉄16000系ばかりに当たっていたが、富山地鉄では京阪3000系によく当った。
翌日は朝2番の電車で電鉄魚津を発ち、宇奈月から朝一番の黒部峡谷鉄道トロッコ列車に乗り、空いている間に黒部峡谷鉄道を楽しんだ。この判断は正しく、2本後ぐらいの列車からはトロッコ列車は観光客でいっぱいで列車を楽しむという様な状況にはなかった。欅平までの往復をして、宇奈月温泉から電鉄富山まで特急うなづきで一直線の旅となった。天気が良ければどこかで撮影でもしようかと思いながら特急うなづきにかぶりついていたが、雨こそ降らないものの天気がよろしくなく撮影は断念して、電鉄富山まで乗り通した。昼前の電車ということもあって車内は空いていたが、魚津、
滑川あたりから富山まで出るにはJRの方が速いし、それ以前にクルマを利用するということもあって、特急うなづきの利用者は予想以上に少なかった。宇奈月温泉からは観光客の堅い需要があるが、それ以外の地域間の利用に関してはあまり多くないというのが現状なのだろうか。富山近郊では普通電車の増発などにより下駄電としての利用が増える可能性はある。しかし、都市間を結ぶ特急については途中上市でのスイッチバックなど所要時分の面で、並行するJRやクルマに比べて不利となる面が大きいようだ。地方鉄道の特急としてはそれなりの走りをする特急うなづきだけに利用を喚起するようなウルトラCが出ることを期待したいものだ。
JR氷見線には98年夏の遠征で全線乗っている。前日品川から大垣夜行で岐阜まで戻り、岐阜から高山本線を北上して富山へ入り、富山から高岡へ移動して、高岡から氷見線の乗り潰しをしている。有名な雨晴海岸を行き、終点氷見についてすぐに折り返している。その後、引き続き城端線に乗るつもりだったが、前日からの疲れもあり、この時は断念してスーパー雷鳥で帰阪している。氷見線に乗ったのはそれっきりで、城端線に乗りに行った時に逆に氷見線に乗ることも考えたが、この時は逆に氷見線を断念して帰っている。この時はサンダーバードで帰っているので、時代がそれだけ進んでいるということだろう。氷見線にはしばらく乗っていないが、こちらの方は特に変化は見られない。高岡は先に書いたように城端線乗り潰しの際にも訪れているし、万葉線乗り潰しでも訪問しているが、その時に氷見線気動車を見ても以前乗った時と何ら変わりはない。変わりがあるとすれば気動車がN30改造をしたことぐらいだろうか。雨晴海岸の風光明媚な景色の中を行く路線だけにもうひ一工夫して観光列車を運転すれば面白いと思うのだが…新高岡で城端線と新幹線をリンクさせれば、高岡から氷見線に乗り入れる観光列車も考えられなくはない。
福井鉄道には3度乗っている。一度目は98年9月4日の越美北線乗り潰しのついでに乗った時で、この時は福井駅前~武生新間で急行に乗っている。急行といってもそれほど飛ばすものではなかったが、古い電車だから少し速く走るだけでスピード感は結構あった。速度制限を受けながらも中間駅を通過していくので普通よりは速いが、車に対抗するには少々物足りない走りではあった。武生新から武生までは間に平和堂があって、それを抜ければすぐだが、地図で方角を確認していないと少々わかりにくいかもしれない。福井駅前は大型の電車が路面区間に乗り入れるのが興味深いところだったが、同駅(停留所?)への乗り入れは単線で、本線からスイッチバックする形で入線するため、たびたび廃止が噂される線路で有名なところだ。トランジットモール化の実験などが行われ、その時使用された名鉄軌道線の路面電車が同線廃止後福井鉄道に入るようになって、福井鉄道にも低床車の時代が到来している。
福井鉄道にはその後、03年8月に筆者が管理しているホームページ及び掲示板のミニオフ会と称する福井方面へのミニ旅行で再度乗車している。この時は予定では福井鉄道に乗る予定にはしていなかったが、同行して頂いた方が福井鉄道にも興味を示されたので福井からの折り返しに武生新まで福井鉄道に乗ることになった。この時は普通電車に乗ったと思われるが、途中で機関車らしきものとすれ違ったが、冬場のラッセル用の機関車なのか、貨物輸送をやっているのかよくわからないが、珍しいものを見せてもらった。
3度目の訪問は06年11月4日で、この時は10月に開業した北陸本線の敦賀直流化の試乗とえちぜん鉄道の乗り潰しを目的に福井へ行ったが、ついでに、武生新から福井鉄道に乗り、未乗区間だった市役所前~田原町間に乗って、えちぜん鉄道に乗り換えて福井私鉄乗り潰しの旅を楽しんだ。えちぜん鉄道との共用のフリー切符を利用したが、乗り潰しにはありがたい切符だ。地方私鉄にはこの手の切符が多いが、逆に大手私鉄にはあまり見られない。とりわけ首都圏の大手私鉄は殿様商売でも成り立つからかフリー切符類が極端に少ない。乗ってもらわなくても乗る人がいる土壌だから仕方ないだろうが、乗り潰しマニアとしては痛いところだ。この訪問の時には名鉄より移籍してきた低床車も運用されており、その車両には当たらなかったが、半数以上が低床車に置き換えられており、福井鉄道も随分イメージが変わった印象がある。次は新型の100%低床車の登場を期待したいものだ。
越美北線を乗り潰したのは学生時代の98年9月4日でそれ以降福井で越美北線気動車を見ることはあっても乗る機会は今のところない。台風で線路が分断されてしまったため乗りたくても乗れないということもあったので、全線復活となる07年6月末以降で乗る機会があればまた乗ってみたい路線だ。
越美北線乗り潰しに際しては効率よく乗るために、京福(現えちぜん)との組み合わせやバスを乗り継いで旧越美南線の長良川鉄道との組み合わせで乗り潰そうかといろいろ考えたが、京福とのリンクは乗り継げそうに思っていたら、まったく接点がなしということで断念。長良川鉄道は時間とコストの面で却下ということで、往復とも越美北線に乗ることにした。18きっぷ利用で、北陸本線を北上して福井から越美北線に入るベタなルートで越美北線に入った。メイドインJR西日本のキハ120で九頭竜湖まで往復したが、乗り潰しの鉄の多かったように思う。九頭竜湖には確かマニア向けのノートが置かれていたように記憶するが、何も記さずに帰った気がする。越美北線に乗った後は、福井駅前から福井鉄道に乗って武生新まで行き、武生から普通列車を乗り継いで新大阪まで帰った記憶がある。新大阪からは新宮夜行に乗り、翌朝新宮へ到達して、新宮からワイドビュー南紀に乗って紀勢東線を乗り潰し、松阪から名松線の乗り潰しに行っている。
JR小浜線に初めて乗ったのは96年夏だったと思う。敦賀までサンダーバードに乗り、敦賀から小浜線を制覇している。東舞鶴からは快速扱いのタンゴディスカバリーに時間を合わせて乗ったことを覚えている。小浜線で覚えているのは写真のように気動車が走っていたことぐらいだ。それと夏だったので海水浴へ行く子供の姿が多く見られたのも思い出す。
小浜線に乗ったのは学生時代だったが、小浜線を見たのは小学校の頃に野球チームの行事で毎年若狭高浜へ海水浴に行っていたので、その時に小浜線気動車を何度か見ている。列車利用ではなくバス利用だったので小浜線は見てるだけだった。
その後電化前に小浜線に乗ることはなかった。上の写真も西舞鶴から北近畿タンゴ鉄道に乗るために東舞鶴まで足を延ばした時に撮ったものだ。電化後は早々に訪問している。電化後間もない時期だったので、鉄道ファンで125系単行の車内は満員で、じっくり小浜線の道中を楽しむ余裕はなかった。それ以後小浜線には乗っていない。敦賀はよく訪問するので、その折に125系を撮影することはあるが、小浜線はそれだけで、そろそろもう一度乗り直したいと思っているところだ。次に訪問する時は週末に臨時で乗り入れる特急まいづるが運転されている時に訪問したいものだ。
JR北陸本線の乗り潰しは97年夏の北海道遠征時に達成している。この時はいまや貴重な体験をしたと自慢できそうな485系ボンネット白鳥で大阪~青森間を乗り通し、青森から急行はまなすに乗って渡道している。白鳥にはその後、2001年の正月に廃止前の惜別乗車として大阪~福井間に乗車している。大阪~青森間を通して乗ったのは後にも先にも97年夏の北海道遠征の時のみだ。485系ボンネット車は乗っても一般の485系と何ら変わりはないので、ボンネット車に乗ったかどうかはあまり問題ではないが、北海道連絡として由緒あるボンネット車を使用する485系白鳥に乗れたことは後になってよかったと思える。白鳥に乗った時は当然ながら湖西線経由のため、米原~近江塩津間は乗っていないことになる。しかし、同区間はこれより前に国鉄謝恩フリーきっぷで急行きたぐにに乗った時に乗っているので、その時にすでに北陸本線は乗り潰してはいる。但し夜行だったので、米原~近江塩津間の景色は見ていない。近江塩津~直江津間は白鳥乗車時に景色を堪能しているので、この区間は白鳥によって完全に乗り潰したといっても過言ではない。北海道ワイド周遊券で渡道したので白鳥は自由席に乗った。長丁場でモハはやかましいのでクハに乗ったあたり、私は生粋のマニアではないと我ながら思う。本当のマニアなら485系のモータの唸りを聞きながら長丁場を楽しむのではないかと思う。食堂車がない白鳥車内では途中北陸本線沿線の名物駅弁を楽しむことができるが、何を食べたかまでは覚えていないます寿司だったようにも思うが、敦賀の鯛の寿司だったようにも思う…この辺りは記憶が曖昧だ。白鳥は東日本管内では車販が乗り込まないという話を聞いていたので、新潟での停車時間の間に連れが弁当を買いに行ったのを思い出す。これがなければ本当に兵糧攻めに遭うところだったと羽越・奥羽線の道中で改めて何も食べ物のない車内で新潟で弁当が買えたことを感謝したものだ。青森駅に着いて食べた駅そばがなんとうまかったことか…。
北陸本線にはその後学生時代でも何度か乗っており、越美北線に遠征した時には行きは小浜線経由で乗っていないが、帰りは福井から普通を乗り継ぎ大阪へ戻り、新大阪から今はなき新宮夜行に乗って、新宮へ行き新宮からキハ85系南紀に乗って松阪まで行って名松線の乗り潰しをしている。また、大阪から福井までサンダーバードに乗り、福井から普通を乗り継いで延々と新潟まで行って、新潟からムーンライトえちごで上京するという技?も使っている。この時は薄暗い夕暮れ過ぎの419系の車内で富山のますの寿司を食べたのを思い出す。98年の信州ワイドを使った信州乗り潰しの時にはサンダーバードとはくたかを乗り継いで直江津まで乗っている。サンダーバードの人気もすごいが、本数がサンダーバードより若干少ないせいか、あるいは東京志向が高いのかはくたか人気も凄いことに驚いた。ビジネス利用が多いと聞いていたが、実際には夏休みだったこともありレジャー客も結構いたように思う。
社会人になってからは正月出歩く癖がつき、JR西日本の年末年始フリーきっぷを活用して北陸への旅をフルに楽しんだものだ。ゆく年くる年を急行能登の車内で2年ほど続けて味わったりしている。能登で直江津まで行って、折り返しきたぐにで大阪へ向いて戻るという夜行乗り継ぎで、フリーきっぷを有効に使って移動距離を稼いでいた。
ホームページを始めて写真を撮るようになって、さらに写真の質も少し求めるようになって撮影地に出向くようになった。かつては北陸本線の新疋田などへ行く気はさらさらなかったが、一度雪の日に訪れていい画が撮れてからは非常に気に入り、最初はホームから撮っていたのがカーブにも進出するようになり、2006年には新疋田詣でを何度かしている。同じく南今庄も気に入っているし、1度しか行っていないが、丸岡近辺もいい画が撮れるところでもう一度行ってみたいところだ。485系が健在のうちに、北陸詣でを何度かしておきたいところだ。
写真は福井名物?と言えるポイント部のスノーシェルター。JRなどでも山間部で見られるスノーシェルターだが、平野部ではあまり見られない。福井鉄道でも同じくポイント部にスノーシェルターがあるが、福井の私鉄の名物なのだろうか?