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空をみながら

 地球規模、宇宙規模で考える。死角のない視野の獲得。憲法9条を守ろう。平和のための最高の武器だと思う。

なにを生きがいとするか

2016年06月17日 14時17分18秒 | 思考試行

地位か、名誉か、金か、恐らくは、ここに収斂して人生の目標と考える向きが、多いと考える人は今は、そんなにはいないのではないだろうか。

家族ができたりして、子供がいたら、そんなことは、むしろ付随的なことであって、家族が仲良く健康に機嫌よく暮らせるのなら、それで充分と考えている人が多いように思う。

危険な冒険や、賭けにでたりなんてことは、ほとんどの人が避けるだろうと思っている。人より、能力が優れていると自信たっぷりの人ならば、それでは飽き足りず、「我が我が」の思いを捨てきれず、頑張ることもあるかもしれない。

人間、人がよれば、階層を作らなければおさまらないのだろうか、リーダーを決め、中心人物を設定する。組織となれば、ほとんど必須である。それが嫌さに、組織には近寄らない人もいる。だが、人間、ひとりでは生きられない。

気持ちよく、集団のなかで、機嫌よく暮らすためには、それなりのコツがあるようだ。出すぎず、といってもでなくてはならないときもある。この辺の呼吸がむずかしい。


もう薄れかけている

2016年06月16日 12時14分21秒 | 思考試行

政治資金規正法がザル法だとわかっても、舛添氏が辞任となると、もうこの法律のことは、そのままになるということだろうか。

おそらくは、舛添氏だけではなく、政治家のなかで、多くの人が似たような状況であるのではないかということが想像される。

それはそうだろう。適当な名目をつければ、それで経費として、認められるとあれば、みんなそれらしい名目をつけて、恩恵に預かることができるのだから、むしろそういう方法を使わない方がおかしいともいえる。

国の予算だって、そのときどきの流行りにのって、名目をつけて予算要求するのである。宇宙が注目を浴びているとなれば、「宇宙開発に伴う・・・云々」とやるだろうし、そうやれば、予算がつきやすいことを官僚は熟知している。

企業犯罪の、とりしまりが難しいのも、当然ながら、そういう法体系にしているからで、本当に、安全をまもる、人々の生活を守るという立場にたって法をつくるのなら企業がもっと責任をもち、また国がそれを補完することがあってもいいのに、犠牲を国民に押し付ける考え方になっているから、安全対策そのものを妨げている。


ものに溢れている生活なのに不満感

2016年06月15日 08時11分36秒 | 思考試行

生物としては、食べるものがあり、寝る場所があり、雨露凌げれば、あと何がいるのだろうか。そうたいして、他にいるものとてないではないか。そういう考え方もありうる。

音楽や、演劇や、小説や、娯楽。自然のなかでの感興。生物としての営みは、おおよそ満足できるという人は多いかもしれない。だが、へんな対立意識や、競争意識、支配欲などなど、混乱や怒りや恨みを持ち込む要素もある。

生存競争もある。恋人の取り合いがある。この複雑怪奇な生物としての営みと、人類が築き上げてきた文明の交錯。どのようにこれらが塩梅されていくかに、人類の歴史がある。

共産党の幹部だった人が、策略か事故か、女性にセクハラとしたと問題になり、結局は党をぬけた。結果、彼は、勉強しなおして、今度は、保守の側に立つ。歴史観について、大幅な変更があったという。いままで、狭い範囲のものの見方しかできていなかったと、言う。

そもそも、人間は、すべてのことを知りえない。立場を変えれば、いくらでも価値観の変更は可能である。生きるためには、価値観の変更だってやむを得ないことだろう。

肝腎なことは、人が人を殺すことを国の主張としてすることを受け入れることはしないことだ。それだけは簡単にさせてはいけない。


誰が「賢者」か知らないが、マシなコメンテーターに発言してもらいたい

2016年06月14日 18時36分25秒 | 思考試行

タレントとか、芸人さんだとか、およそ政治のことを詳しくご存知ない人に、発言させて、本当の識者が登場しないというのは、国民のレベルを低くみてのことなのかと、勘ぐりたくなる。

さすがとうならせるような識者は、たんといると思うのだが、マスコミは、視聴率がすべてで、数字のとれるタレントを起用する。タレントがしっかり勉強すればまだしも、結局は素人として、発言にはさほどの意味を持たせない。

舛添氏の問題は、わかりやすく、まさに悪法の故の当然起こってくる事件である。公私混同の話を、いくらでも言い訳可能にする「すばらしい法律」を作っておきながら、舛添氏を責め立てている自民党、公明党には恐れ入る。なんということか、こういう輩が、政権を握っているのだ。

彼らこそ、汚く、姑息で、セコイ。舛添氏を非難する資格はない。池田大作名誉会長は、かつて婦女暴行事件で裁判された。時効ということで、なんとか免れた実績がある。自民党の筋から、何か、公明党が歯向かうような素振りがみえると、池田氏の国会喚問を脅しの道具としてほのめかしたりしてきた。

政界には、国民素人でもわかるような、えげつないことがいくらでもありそうである。経済学者も都合がわるくなれば、愛人を囲っていることをばらされたり、官舎として、格安の宿舎を提供されていることがばらされたりして、いつのまにか社会から消される。オットロシイ世界である。

もう、マスコミは、本当の力を持とうとはしていないのかもしれない。政権からの圧力もある。真面目に世のため人のための報道姿勢が、なくなってきているのではないだろうか。


忘れるかもしれない、と思っている。

2016年06月13日 10時54分58秒 | 思考試行

人間は忘れる動物である。この歳になると、顔を洗って、しばらくすれば、あらったかどうか怪しくなる。で、タオルを触ってみて、濡れている。となって、洗ったな、てな具合である。

舛添氏の件でも、だんだん、違法でなければ、仕方がないか、という具合に収束していく可能性もでてきた。マスコミだって、いつまでもやってられない、もう飽きた。という具合である。

そうなれば、それでよし、自民党、公明党は、そう踏んで様子見をしているのではないだろうか。すぐ忘れるよ。とみていると考えていいのではないか。

言葉鋭く追及しているようにみえて、逃げ道をこさえながら、最後通牒は、実は突きつけてはいないのである。

やはり、百条委員会の設置をして、とことん公私混同の実態を白日の元にさらすことが必要だろう。そうなれば、政界の権力者がいかに、国民を軽視しているかがわかるだろう。そのうえで、選挙に臨むようになれば、政治の世界もかわらざるを得ない。


悪辣の本家の存在

2016年06月12日 09時06分39秒 | 思考試行

都合が悪いことは、なんとかして改善しようとする。うまくいかないとみれば、諦めることとなる。舛添氏は、ザル法、政治資金規正法に守られて、公私混同といわれながらも、生きている。そう簡単には、知事を辞めるわけにはいかないという事情もあるかもしれないが、事ここに至って、まことに見苦しいことになってしまった。

彼の人相は、感じのいいものではなかったが、最近はとりわけひどくなっている。せこい、とか恥知らずとか、いわれ放題だが、それにふさわしい顔つきともいえる。しかし、かれは、違法なことはしていないという。あれだけ、妙なことをしていてもだ。

しかし、問題は、こんな法律を作った連中にある。なんの規正もできないような、というかするつもりのない法律を作って、政治家と金のつながりを、安全なものとしている構造である。よくもこんなことを考えたものである。こういう法律を作ったものは、当然、責められなければならない。

自民党、公明党、政権にある政治家の悪辣さ。うまく隠れているつもりが、舛添氏のおかげでみごとに表面にでてきた。この醜い姿を、国民はしらなければならない。こんな連中を政治家として生き延びさせてはならない。


ザル法、しばり法、脅迫、毒まんじゅう、国はどこへ行く

2016年06月10日 07時58分20秒 | 思考試行

政治資金はザル。何をやっても大丈夫。政治家は自らの身を守る。チャント守る。なんという連中、自民党、公明党。名誉会長の不名誉だって守る。それが本質。

国民には、しばりを与えたい。憲法をかえて、「公共の福祉」に個人の権利を従わせる。この「公共の福祉」こそ曲者だ。弾圧の道具になる。そういうねらいがはいっている。

マスコミには、「公平」でなければ、「停波」するとの脅しをする。気味の悪い笑顔の総務大臣。憲法無視のマスコミ弾圧。これがかれらの本音である。立憲主義なんて考えはない。

秘密を守れ、どんな秘密かも明らかにはせず、何かものをいえば、それは秘密にあたるという恐れがあるという。そして、罰せられるという。そんな法律も作ってしまった自民党、公明党。

これが消費税の増税をのばすというエサを準備した。これをエサに、議席をかすめとる算段である。簡単な仕組み。究極のねらいを秘めている。憲法をかえ軍隊を合法化し、戦争だって厭わない。それが一人前の国だと考えている。

若い人たちを、選挙に参加させ、世代間競争を煽る。煽っているのはだれか。自らへの目を、そらせるつもりだろう。かれらのねらいを見抜けるかどうかに、この国の将来はかかっている。


舛添氏ガンバレ!

2016年06月09日 10時49分52秒 | 思考試行

舛添氏は驚異的な粘りを見せている。トコトン頑張るつもりであることが、伝わってくる。それはそうだろう。ナンセ法律には違反していないという、確信がある。お雇いとはいえ、専門家の弁護士にその旨を言わせている。ここは、当然ながら、イケルと踏んでいる。

元はといえば、この法律こそ、大問題であることがハッキリした。こんな法律を作った連中がだれであるかを、せめなければならない。こういう連中の本音をキチンとしらなければならない。

その役割を生かすためにも、舛添氏にはさらに頑張ってもらわねばならない。政治家が、本当に、世のため人のために仕事をするという、本来の役割に立つことをさせなければならない。

今、政治家の姿勢をみていて、ピカイチなのは、共産党であり、そして、野党もまた、従来の何が何でも反共、という姿勢をあらためつつあるようで、その意味では、日本の政界もようやく、みやすいものになりつつある。

思い込みの反共路線や、単なるアカ攻撃をする連中の低レベルにようやく人々が気付いてきたということかもしれない。まっとうなことを、当たり前に主張していく姿勢こそ、政治家に求められる資質である。

そのためには、舛添氏の頑張りこそ、日本の政界の革新につながる。トコトン頑張って欲しい。せこいといわれようが、恥を知らないのかといわれようが、それが、「合法」であると多数決で決めた連中こそ、そうなのだから、何を恥じることがあろうか。


舛添氏は”法”に守られている!

2016年06月08日 10時47分57秒 | 思考試行

まさに「ざる法」。政治家の作ったみごとな法律である。抜け穴どころか、すべてをもらすザル法である。この法律を作ったヤツは誰だ。自民党じゃないか!公明党じゃないか!

それでも、法は法だ。元検察のお雇い弁護士が違法ではないという。あたりまえだ。すべて承知で、舛添氏は金を使ってきた。公私混同と言われようが、せこいといわれようが、法にてらして、違法ではないと言い張る。

それにしても、あの形相は、なんと麗しいではないか。都民のために、国民のために、一心に頑張っているではないか。わたしゃ、絶対にこの地位を手放すことはしない、その決意が溢れている。

みごとなものだ。時間切れをねらっているらしいが、そのねらいがうまくいくかどうか、まことに見ものである。

舛添氏には、簡単にはやめないで欲しいと思っている。これこそ、今の政界を牛耳っている連中の真の姿をよく示しているではないか。

国民が、正しい選択ができるように、いっぱい教材を提供してほしいのである。そのあげく、それでも、騙され続けるのか、それとも、少し賢くなるのか、それは、国民自らの問題である。


優位に立ちたいか

2016年06月07日 12時04分35秒 | 思考試行

優位とはなんだろう。競争して勝つこと、指示命令をする、自身の意思に従わせる。人は、そうされるより、する方にまわりたいものだろうか。

誰からも指示も命令もされない、関心も持たれていない。そんな立場を好む人もいる。常に人と関わり、その中でこそ生きる喜びを感じるという人もいるだろう。いつもそうではかなわない、たまにはひとりの時間も欲しい、ということもある。

概ね、他人の意思の思い煩うことなく、自分の意思で行動できれば、それがもっとも気楽であり、それを求めるのは、自然なことであると思う。

だが、権力は、その意思を、国家としての行き方にもってきて、国民をそのための道具と化して平然とする。

第二次世界大戦では、日本は、軍国として、若者たちの命を平然と使い捨てた。封建社会のイデオロギーを日本の伝統として、特攻隊まで作った。国のために命をすてるのがあたりまえであった。

どんな国か。天皇のためか。軍人は天皇を本当の主と考えていたか。天皇を道具としてしか認識していない。自らの支配の道具である。権力の誤魔化しである。武器をもって、国を支配したのである。


安部氏のねらい

2016年06月06日 09時01分53秒 | 思考試行

安部氏のねらいは、明確である。憲法をどうしても変えたい。一人前の国にしたいのである。一人前とは何か。自らの意思でものごとを決められる国、国民が、西欧のように自己主張をするのではなく、公共の福祉のためには、個人の利益なんて投げ出すという国民であれ、と言いたいのである。

野放しの個人尊重は行き過ぎであろうが、しかし、しばり始めると、とことん為政者は、縛り続ける。戦争だって、何だって、権力者の意思次第ということになりかねない。

かつてドイツは、民主的な憲法があったにもかかわらず、とんでもない為政者が現れ、民主的手続きのもと、独裁政権が誕生した。そして、大量殺人が履行されたのである。

独裁政権は、自らの権力のゆえに、重力崩壊を起こし、粛清の嵐を吹かせる。みずから滅びの道を歩んでいるのであるが、その間、罪なき人々の多くの犠牲が発生する。

今度の参議院選挙は、単に消費税のことではない。もっと大きなねらいがある。議席を奪いさえすれば、なんでもできる。ウソだって、うまい話だって、なんだってする。


態度、物腰で決めるわけにはいかない

2016年06月05日 10時31分54秒 | 思考試行

優しそうな口ぶり、ものごし、しかし、その考えていることは、弱者や貧困層のことではない。日本の伝統とか、外国に対抗できることにある。国際的な観点というより、日本人としての矜持に関心がある。弱者は、怠けていたからそうなったので、貧困層も同じ範疇にいれてしまう。

おそらく、天皇を頂点に、国民一丸となって、世界に対していく、上品で秩序正しい国民、そんなイメージでいるのではないだろうか。そこには、個人の個性であるとか、人間として生きる姿ではなく、個人を捨て、主君に仕える侍の姿、命すら捨てても厭わないという姿勢。そんなことを理想としている。そこに日本の伝統があると考えている。

自分の利益ばかりに関心があって、利己的に行動する。自分の利益、権利の主張に熱心であり、犠牲になるなんてとんでもない、人のことなど知るか。それを、対極の考え方とみる。

社会はどのように進化していくのであろうか。前者のような国民性となれば、世界でみても強い国となるだろう。北朝鮮に拉致された人々を取り返すために、直ちに行動するだろう。アメリカなんて、ただちに追い出し、自主的な軍隊をもち、おかしいことは、おかしいといい、失われた権益をすべてとりかえし、弱い国は、保護の対象として、教育し、みずからの保護国とするだろう。

どんな世界になっていくべきか。どうすべきか。これは、みんなの課題である。よくよく議論しなければならない。ニコニコ優しく笑っていても、心は、無私の精神、死をも恐れぬ「おそろしい方」もいるのである。それが本当にいいことなのか。よくよく考えなければならない。

 


N植物園ですごい写真家に会う

2016年06月04日 15時38分27秒 | 思考試行

吟行に近所の植物園に行く。あじさいが、けっこう咲いていて、量もたっぷり。写真愛好家があちこちで、撮影している。

細い道を歩いていると、道を占領していた人が「どうぞどうぞ」と道をあけてくれる。何をいったか忘れたが、すこし声をかけると、話になった。

花を撮っていると思っているでしょう。と言う。当然そうだと思っていると、作品を見せてくれた。なんと、小鳥や、虫や、鷹、サギなどなど、すばらしい作品ばかりである。

リュックをわざわざ下ろして、A4サイズくらい写真集をみせてくれた。カワセミ、燕の親子の餌やり風景。鷹が獲物を足で抑えているところ。小鳥のホバリング。

驚嘆の声をあげてしまう。子供のころから、この園は遊び場だったという。ザリガニをとったり、自由に遊べたらしい。今は、整備されて、有料となっている。

年間パスを買って、毎日のように来ておられるらしい。「可愛い野鳥たち」のブログを出されていて、作品がズラリと並んでいる。どれもこれもすばらしい。

世の中すごい人がいるものである。カメラ望遠レンズ、軽自動車一台分の値段だそうだ。手早い操作で、写真技術の一端も教わった。これも、すばらしい趣味である。俳句の話をしたが、ほぼスルーされた。


舛添氏のことでみえてきたこと

2016年06月03日 09時55分56秒 | 思考試行

政治資金規正法がいかにデタラメであるかということ。誰が作ったか。政治家だ。それも世間の批判をかいくぐりながら作ってきた法律といえる。

あれだけのしたい放題をしても、法的には合法といえるぐらいの法律らしい。これだけ明らかになったのだから、この法律も改正されるかといえば、そう簡単ではないし、人の噂も75日を狙っているという声も聞こえる。

舛添氏の行状は、いろいろ出てきているが、金銭感覚だけではない人間としての舛添氏の素顔は、けっこうエネルギッシュであり、常人ではない。

こんな人物に身近でつきあったら、これは、大変である。片山さつきさんは、本当に大変だったろう。短い結婚期間だったらしいが、印象では、最初の妻としてとりあげられ、それこそマスコミの作り出す、映像には、さぞ不本意なことだっただろう。

それがこうして、真相がでてきて、彼女は結構、溜飲が下がったことだろう。


文法のことから

2016年06月02日 08時50分59秒 | 思考試行

俳句をはじめて、変わったことは、焦点をしぼってモノを見るようになったことと、文法なんて考えてもみなかったことが重要だと、ようやく気付いたことである。

そして、文法から考えて、句の推敲をしてみるという新しいやり方に挑戦できる可能性に、気づきはじめた。

新しい変化が生活のなかにも持ち込まれてくる。それも、もう使うことのないと思っていた文語文の世界にも足を踏み入れようとしていることから始まった。

それは、何事にも影響していく。仕事だって、やり方や問題点があって、改善すべき点はあるはずだが、曖昧にすることもできるし、半ば以上そうしてきた。

だが、俳句にふれることによって、否応なく、仕事に対してもその見方が変わってくる。意欲的にとりくむとなれば、改善すべき点と指摘しなければならなくなってくる。

そのことで、もう引退しようかというこの時期になって、こんなことになるとは、まさに驚きである。