義母が家内に、もうあかんわ、もうシューットいくわ、と話す。家内は、笑いながら、まだ、早い、お父ちゃんもけえへんやろ、様子を見に来て、これはまだまだやと、帰ってるわ、と返す。
このところ、痰が出せなかったり、熱が出たり、チョット調子が悪い。食欲もあまりなく、呼吸音が苦しそうである。呼吸回数が多く、酸素をいれているが、排気が充分でないとくるしいらしい。無理矢理に酸素ばかりいれてもダメなのである。
このところの暑さに、昨日は、我が家の場合クーラーを2台一度に使えないので、小生も下へ降りてきた。椅子を並べて寝たのだが、あまり、寝ていないようでも、けっこう寝た感じはある。夜中になんども、痰を出すのに、家内が起きて、体を動かすようにする。そうすると、痰が出やすいと看護婦さんに教えられたので実践している。
調子の悪いときなど、どうしても痰が出にくいのであるが、なるほど、そのようにしていると、チャントでてくる。
看護婦さんは、みんな素晴らしい。それぞれ、個性があって、みんなやり方は違うけれども、患者本位であることは徹底している。
便の掻き出しなど、辛いことをされた後は、義母はおこるけれども、すぐに、説明すると理解する。そして、どの看護婦さんがいいとか、悪いとかは言わない。
小生は、側で感じているだけだが、それでも、好みみたいなものが出てくる。それでも、優劣などつけることはできない。みんな、芯がしっかりしているから、ぶれない。そして、仕事がみんな好きそうである。見ていて、元気をもらう。
家内も、当初から比べると、成長著しい。義母のことで、施設とか病院とか、一応話は出たけれども、義母本人がとにかくイヤだという意志がはっきりしていたものだから、こうなるしかなかったが、義母もここへ来て、家内に病院へいれて、と言い出しているという。
しかし、在宅の良さを、家内自身が体感しているようだし、こうした介護を苦痛とは思わなくなってきている。むしろ、生きがいを与えてもらっている。小生もできないなりに、家事にも挑戦するようになった。生活そのものが、しっかりしてきた。余分なことをする余裕がないのも事実であるが、それが、苦労とは思えない。
日帰り温泉や、映画を見に行ったり、よく外出したものだったが、必要な買い物以外には、出ることがない。
義母のおかげで、新しい境地をみんな味わっているということかもしれない。義母は当初は、介護されることの周囲に与える影響は、全然考えていなかったようである。
一人住まいをしていた頃は、義母のところに、家内が食材を抱えて、通っていた。その頃は、それほど、感謝してもらってはおらず、評価もしてもらっていなかったようである。
家内にとっては、当時の方が負担も多く、ストレスをかかえていたように見える。食材は、義母の食欲がなく、ほとんど、姉世帯の夕食に変身していたらしい。
義母自身、親とは早く別れたので、介護の経験はなく、従って、自分の意志を簡単に表明できたのであろう。出発はともかく、現在のような状況は、なかなかないようで、看護婦さんも自分の場合だったら、こういう風にできるかどうかはわからないという。条件もいる。みんなができるとは思えない。それでも、流れのなかで、これ以外に選択肢がないと思えるほどに、なじんできた感じがある。
状況のなかで、考え方、感じ方がそれぞれ変化していくのである。こんなブログを書けるのは、幸せといえる。
このところ、痰が出せなかったり、熱が出たり、チョット調子が悪い。食欲もあまりなく、呼吸音が苦しそうである。呼吸回数が多く、酸素をいれているが、排気が充分でないとくるしいらしい。無理矢理に酸素ばかりいれてもダメなのである。
このところの暑さに、昨日は、我が家の場合クーラーを2台一度に使えないので、小生も下へ降りてきた。椅子を並べて寝たのだが、あまり、寝ていないようでも、けっこう寝た感じはある。夜中になんども、痰を出すのに、家内が起きて、体を動かすようにする。そうすると、痰が出やすいと看護婦さんに教えられたので実践している。
調子の悪いときなど、どうしても痰が出にくいのであるが、なるほど、そのようにしていると、チャントでてくる。
看護婦さんは、みんな素晴らしい。それぞれ、個性があって、みんなやり方は違うけれども、患者本位であることは徹底している。
便の掻き出しなど、辛いことをされた後は、義母はおこるけれども、すぐに、説明すると理解する。そして、どの看護婦さんがいいとか、悪いとかは言わない。
小生は、側で感じているだけだが、それでも、好みみたいなものが出てくる。それでも、優劣などつけることはできない。みんな、芯がしっかりしているから、ぶれない。そして、仕事がみんな好きそうである。見ていて、元気をもらう。
家内も、当初から比べると、成長著しい。義母のことで、施設とか病院とか、一応話は出たけれども、義母本人がとにかくイヤだという意志がはっきりしていたものだから、こうなるしかなかったが、義母もここへ来て、家内に病院へいれて、と言い出しているという。
しかし、在宅の良さを、家内自身が体感しているようだし、こうした介護を苦痛とは思わなくなってきている。むしろ、生きがいを与えてもらっている。小生もできないなりに、家事にも挑戦するようになった。生活そのものが、しっかりしてきた。余分なことをする余裕がないのも事実であるが、それが、苦労とは思えない。
日帰り温泉や、映画を見に行ったり、よく外出したものだったが、必要な買い物以外には、出ることがない。
義母のおかげで、新しい境地をみんな味わっているということかもしれない。義母は当初は、介護されることの周囲に与える影響は、全然考えていなかったようである。
一人住まいをしていた頃は、義母のところに、家内が食材を抱えて、通っていた。その頃は、それほど、感謝してもらってはおらず、評価もしてもらっていなかったようである。
家内にとっては、当時の方が負担も多く、ストレスをかかえていたように見える。食材は、義母の食欲がなく、ほとんど、姉世帯の夕食に変身していたらしい。
義母自身、親とは早く別れたので、介護の経験はなく、従って、自分の意志を簡単に表明できたのであろう。出発はともかく、現在のような状況は、なかなかないようで、看護婦さんも自分の場合だったら、こういう風にできるかどうかはわからないという。条件もいる。みんなができるとは思えない。それでも、流れのなかで、これ以外に選択肢がないと思えるほどに、なじんできた感じがある。
状況のなかで、考え方、感じ方がそれぞれ変化していくのである。こんなブログを書けるのは、幸せといえる。