放送大学の科目に「問題解決の数理」という科目がある。なかなか骨がおれる。実社会では、数学が、さまざまな分野で使われており、われわれ一般庶民は、そういう緻密な計算のもとに、世の中が動いていることを、詳しく知っているわけではない。
確かに、利益を出すために、原料をどれだけ仕入れて、労働時間がどれだけかかって、機械をどう動かすか、利益を最大にするために、どれだけ生産しなければならないか、製品の種別にどのような割合がいいのか、などなど。どこの企業も計算をせずして業務をすることはできない。
計算せずに、無駄なことをしていれば、競争に負けることになるし、社会のあちこちの部面で、計算がなされている。問題解決の数理は、それを取り上げているのだ。
この手法をマスターすれば、大したものだと思うが、この科目の眼目は、問題を数式に定式化することを眼目にしている。定式化して、あとは、コンピュータで計算させるのである。多くなると、何万という数式になったものの計算だから、とても手計算では不可能だ。
定式を立てるだけでは、気持ちが悪いとして、解き方についても記述されている。流し読みでは、とても理解できない。少しずつ、文字を追っていくのだが、すっかり解ったというふうにはならない。基礎知識が足りない面もあって、そこまで遡って、やりなおさなくては理解できないということなのだろう。
思えば高校数学で、相当躓いた。時間をかけてやり直しの挑戦を継続中であるが、これが、またなかなか進まない。といっても、問題解決の数理で扱うのは、一次方程式の連立の形だから、難しい数学を使うというわけではないが、それでも、解法のテクニックなどは、簡単には理解できない。
一応通信指導の解答だけは、期限までに送付できたのだが、完全に理解できたのではなく、やり方を真似てようやく解答できた水準であり、今後は、単位認定テストに向けて、どれだけ実力をつけていくかである。
理系肌目でね、と言いながら、文系でブイブイ言わせている人がいるが、いさぎいいようにみえるが、要するに、人生の非常に面白く、大切なところをすっとばしている人だと思う。
この理系の苦労を知らずして、やれ、理系は情緒がない、人見知りする、リーダーとしての才能がない、などと簡単に、いうけれども、理系こそ本質にふれている人々であり、もっと尊重しなければならないのではないか。
数学は、知らないといって、理系の人を、不器用だとか、真面目なだけで、面白みがないとか、軽い扱いをして、自信満々でいる人をみると、ちょっと間違ってんじゃないのといいたくなる。
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