人間のやることだから、ミスはある。日本の場合、いったん方向が決まると、なかなか是正できない。システムを変えないかぎり、構成員が考えをかえて、方向をかえるというのは、なかなかできない。というか、不可能ともみえる。
自民党執行部は、政権奪取のこと以外は、何の関心もない。そして、政権奪取ができたとして、あとは、官僚まるなげにするしか、能がない。
官僚は、自己保身と、既得権益の確保だけに関心があり、総合的な、政策を打ち出せる環境にはない。
自前の考えをもち、どのように、生きていくのか、その方向性を、探求し、議論して、ものごとをすすめるというシステムは、広く国民的な、論議がなければ、誰か一人のアイデアマンがいれば、事足りる、とはいかない。
資料の提供、研究、・・・個別の努力はもちろん、政界のあり方についても、今のような、単純な図式では、およそ、非能率な状況から、脱皮することはできない。石原クンの主張は、常に、協力するといいいながら、政権を立ち往生させることしか考えていないだけだから、ブレナイ。ぶれない、というのは、イイこととは限らない例証である。
こんなことでは、いつまで経っても、ものごとは、改善されない。技術の進歩の他に、深めた議論のなかで、論理が通る仕組みを作らなければならない。常識化されなければならない。道理が通る世界にしなければならない。
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