年号とは何なのか。天皇制と結びついて、日本だけの習慣で、呼称されてきた。一々、西暦と変換しないと、何年経過したかがわからなくて、不便であると言う向きもある。
昭和20年の敗戦以来、日本の天皇制度は、根本的に変化した。不敬罪がなくなり、象徴天皇として、有史以来、かつてない立場の存在となった。国家の君主でなくなったわけだが、それでも、「君主的」扱いも残っている。
歴史は、こうした君主制度を、徐々になくしてきた。アジアでも、ヨーロッパでも。ロシアでは、皇族が皆殺しとなった。
いずれは、なくなる制度であることは、合理的に考えれば、そうなると思われる。人間社会が、どうしても必要とする仕組みかどうかといえば、おそらく、必須の仕組みとは思えない。
と、こういう考え方は、戦後、アメリカが注入した日本に対する「民主主義教育」の影響であることは、はっきりしている。日本の中では、こうした教育に「惑わされることなく」伝統的な大和魂を持ち続けて、いる人もいるに違いない。
それこそが日本のアイデンティティーであり、それをなくせば、日本はなくなると考えている人々だろう。だが、その勢いは、今や大勢を占めているとは、言い難い。
密かに、静かに、雌伏しているというところだろう。だが、その影響は、あらゆる分野にわたり、知らず知らずに、骨肉となっているとも思える。社会の根幹の秩序のなかに西欧とは違う価値観が、根深く存在しているとともに、実は、とっくの昔に、それらは駆逐されていて、滅びさり、残存する価値観をもつ者たちを、根底から失望させている場面もある。
これらが混在して、力のある者が、その周辺のみに、影響を与えているという現状と思われる。ともあれ、平成は、いよいよ、今日で終わりである。
どういう時代を迎えることになるのか。年号が変わることによって、大きな変化を呼ぶきっかけになるかもしれない。
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