政治家が、コロナ禍のなかで何を考えたか、考えているか、何を反省したか、それともうまく抑え込んだと自慢をするのか。現在のことはもちろんだが、落ち着いてから、彼らが何を言うか、注目しなければならない。
病院の廊下が広いのは、災害時にベッドを置けるようにしてあるのだ、と聞いたことがあるのだが、間違いだろうか。ベッドがあっても、人員がいないともいう、それは本当だろうか。医師は、常に専門家のみでやるというのはおかしい。全般的な医学的知識があるのだから、緊急時には、専門医のアドバイスを受けながらであれば、手分けをすれば、できないはずがない。というか、それは、医師しかできないことではないか。
病院でうけいれをせず、自宅で患者を死なせている現実は、医療の敗北のみならず、政治や行政や、社会の仕組みそのものがやるべきことをしていないことを意味する。病院が救急車を門前払いするのは、言語道断である。決して拒んではならない。その姿勢があって、全体の医療全体が機能する。どこもがマイペースの日常体制を崩さないのであれば、それは楽だろう。死ぬのは患者だけだ。医療はなんの不都合もない。
政府が金を出さない。これも、国債をだして国の借金にすることは、何の不都合があるというのだ。高橋洋一氏が言うように、国の借金というのは、なんの問題もない。金がいるときには、どんどん出すべきである。国の借金というのは、個人の借金と同じではない。