大阪市を無くそうと、多大なエネルギーをかけ、脅かしのなかで、公務員を動かし、蠢いてきた維新。なんとか反対が多数を占めたが、もう少しで、彼らの思惑通りになるところであった。公費を100億円も使ったと聞く。
もしか、賛成票が多数を占めたなら、彼らはどう動いたのだろうか。支持をうけたとして、反対意見は無視し、堂々と大阪市を解体し、資源の棚卸をして、自分たちの支配下でどれだけのことができるか、さっそく動き出したことだろう。
その方向は、一人ひとりの市民のためにという視線はない。公務員を締め上げ、労働条件の一層のしめつけを強め、貧富の格差をさらに拡大させていく政策を次々と打ち出すことだろう。
大規模な賭博場を作る。そこには、どんな哲学があるのだろうか。憲法をかえて、戦争だってできる一人前の国となり、核兵器だってもって、どうだ、この兵器はお互い使えんやろう、と言いたいらしい。そうでなければ、核兵器を持つ国とは交渉もできないだろうという理屈だ。
この方向はいいのだろうか。彼らは、国民をみくびっている風がある。大阪都構想の本質は、彼らの支配体制のための道具であり、手段である。当初は、有利な世論構成とみられたために、事の本質を隠ぺいし、公費をふんだんにつぎ込み、「メリットを宣伝」静かに、住民投票になだれこもうとしていた。
反対派は、出遅れたけれども、ギリギリ間に合った。公明党の創価学会しめつけがもう少し強ければ、あぶないところだった。賛成票が前回よりも相当増えている。この党の危うさが侮りがたいことを見せた。右向け右の怖さである。
これからの時代、一人ひとりの力量が大事になってくる。政治家が、なにを企図しているか見極め、本当に人々のためになる政策を実行させるようにさせなければならない。
隠されたり、ムードで煽ったり、彼らの「得体のしれないロマン」などに乗せられてはならない。彼らは雄弁であり、オットコマエだから、ついつい騙されそうになる。本音を見抜かなければならない。
本当は政治なんて嫌いなんだと言い始めている。結構無責任でもある。政治の世界は、国民がキチンと見る目をもたなければ危うい。いつ、どこからなにが始まるかわからない。
こちらの価値観が健康で、真っ当なものであるか、常に自己研鑽をつみながら、お互い助け合っていける考え方を堅持しているかどうかが試される。