当事者には、それぞれ言い分があって、自分が間違っているとは思わないでいる。それで、どちらも引けないことになり、武器をもって殺し合いをするわけだ。
初めから、負けそうな相手には、従うほかなく、それで相手の言い分を認めて、おそらくは搾取、収奪されることになる。
それが不満なら、テロでもなんでも、となる。力の強い方が、弱者の味方となり、その身になって、事に当たることをしていれば、そこには、支配、被支配の関係ではない新たな人間的な世界が実現することとなる。
中国の支配者連中をみると、自らの子弟は、アメリカに留学させ、その財産は国外に保管しているという。中国から富裕層の連中が、大挙日本にきているが、マナーに問題ありとされている。
すべては、時代の変化のなかでの一場面にすぎないのかもしれない。まだまだ、人間社会はプロセスの段階であって、完成しているものではない。改善すべき点を、多くかかえながら、進んでいる最中なのである。
戦争のなかで、双方が自分の道理を主張するだけでは、結果的には、悲惨な事態を広げるばかりである。人間の叡智を結集して、紛争解決にあたってほしいものである。