世界一周タビスト、かじえいせいの『旅が人生の大切なことを教えてくれた』 

世界一周、2度の離婚、事業の失敗、大地震を乗り越え、コロナ禍でもしぶとく生き抜く『老春時代』の処世術

12月23日(日)のつぶやき

2012年12月24日 | お金

2013年はどうなる

2012年12月23日 | 人生
もう一つ、年の瀬になると気になるのが

来年はどんな年になるのだろうか、ということだ。


これには大きく分けて2つの要素が含まれる。


一つは、世の中はどうなるのか?

ということと

もう一つは、自分は来年いったいどうなるのか?

ということだ。


いずれも大きな問題だ。

世の中と一口にいっても

日本はどこへ行くのか、世界はどうなるのか、

自分の住んでいる地方、地域はどうなるのかとこれまた大きく3つの分野に分かれる。


自分個人も、

お金(金)は、仕事(稼ぎ)は、家族(人間関係)は、結婚(夫婦生活)は、健康はといろいろ気になることが多い。

いわゆる5Kだ。


これに子供の問題が入れば、6Kとなる。


大体個人的問題はこの6Kの範疇に入る。



―――――――――――――――――――――――――――

世の中にしても、

政権が自民党へとまた変わり

日本は後戻りしてさらに凋落の道を辿るのか、

それとも新生自民が文字通り生まれ変わって日本を救うのか…。


日本の景気は良くなるのかならないのか?

社会保障はどうなる?

外交問題は(主に対中国、韓国)?

地震は起きるのか?




さらに、世界の潮流はどうなっているのか。

もちろん、それは日本にも大きく影響する。


習近平政権下の中国はどう動くのか?

初の女性大統領を迎える韓国の動きは?

東南アジアの動向は?

オバマが引き継いだアメリカは?

依然として財政危機下にあるEUとユーロは?

シリア、イスラエル・パレスティナの紛争はいつまで続くのか?

アラブの春は花を咲かせることができるのか?などなど


といった課題、関心ごとの種は尽きない。



――――――――――――――――――――――――――――――

それは推測はついても結末は誰にもわからない。

いや、結末はないのかもしれない。

あれだけ大騒ぎした(?)世界の終焉も今のところなかったのだから。



だが、これだけは言える。

人任せにはしていられない、と。


政府も、自治体も、会社も、組織もあてにしてはいけない。

あるいは、最後の頼みの綱である家族だってそう言えるかもしれない。


絆を叫んだ昨年の震災後、本当に絆と呼べるものは深まったのか。


否。ますます希薄になったのではないか。

SNS(facebookなど)やLineの普及で、「浅く広く」に一層拍車がかかったのではないか。


出会いの場や機会は無限大に広がった。

婚活、友活、就活と活動は活発化しているように見える。

その実、結果はどうなのか。


まったく無意味とは言わない。

だがそれがかえって虚無感を産んではいないか。


――――――――――――――――――――――――――――

動きには功罪があり、光と影が必ず付きまとう。

それを自覚した上で、責任の所在は自分へと跳ね返ってくることを知らねばならない。


人への責任転嫁は無意味だ。

介護者に限らず、自分のケツを自分で拭けない輩が増えている。



というわけで、

2013年の標語は決まった。


一生、
「自分のケツは自分で拭こう!」


Wipe your own ass by yourself!


これで

教育問題も、高齢者問題も、財政問題も、国際問題も

一挙に解決(ケツ)する。


人に頼るな。

人任せにするな。

自分のことは自分でせよ。



これが

世の中、世界がますます、サバイバル化していく2013年を

生き抜く秘訣(ケツ)だ。。

一年の計

2012年12月22日 | 人生
「一年の計は元旦にあり(New Year's Resolution)」

誰が言ったか知らないけれど、

毎年毎年一年を振り返ると、ほとんど実現できてないことが多い。


ボクノ場合、誕生日とクリスマスとお正月が立て続けにやってくるので

慌ただしいことこの上ない。


そんな中で、一年を振り返るのはこの時期だ。

今年は出来なかった、よし来年こそは、と。

計画を立てる、あるいは浮かぶと、即スタートダッシュだ。


だから元旦では遅すぎる。

と言うか、毎年元旦は仕事で忙しい。

それが宿泊業の文字通り宿命かもしれない。


さて、折しもマヤ暦による「世界滅亡説」が不発に終わり

冬至の昨夜つらつらと今年を振り返ってみた。



例年以上に海外行脚が多かったように思う。


ベトナム、カンボジアからフィリピンへと足が伸び、

ニューヨークを挟んでベトナム、フィリピン

そして締め括りはさらにベトナム、マレイシアと活動の場は広がった。


その間、フリートークは2年目に突入。

ひとまずは打ち上げ成功から、大気圏を抜けた。

だが、常に遠隔操作を余儀なくされ予断を許さない。


ビジネスというものに安心、安定はない。

変化と競争に晒(さら)され、軌道修正を繰り返しながらの綱渡りである。


その間にも、新しいビジネスを展開すべく奔走する。


継続の中にも変化有り、成長していかなければ生き残れないサバイバル競争時代。


ベビーブーマー世代にとっては真骨頂(true waoth)といったところだろう。

そうしてひと山越えては次の頂を目指す。

チャレンジャーの性(さが)だ。

休むことは許されない。

ただ、ひと瞬(とき)の快楽を貪(むさぼ)る。



既に来年の課題は見えている。

ベトナムにカフェをオープンして、東南アジア進出の橋頭堡作りは緒に就いたばかりだ。

まずはこれを実現させなければならない。


それと同時に、出版によるベストセラーの実現だ。

ここ数年の大きな目標であったが、来年は必ずやる。


もう待ったなしなのだ。


決して順風満帆ではない。

むしろ、逆風万班でジグザグ走行を強いられてきた。

それでも、前へ前へひたすら進む。


決してあきらめない。

諦めは即、死を意味する。


こうして夢を語り、実現に向かって真っ向勝負をかける。

必要に襲い掛かる孤独の不安を愛おしみ、困難を糧にして。


チャレンジャーは、どこまでもチャレンジャーであり続けなければならない。



【補足】

想い続け、書き続け、言い続けることで

夢の実現は大幅に加速する。

国境なき意思団

2012年12月21日 | 国際
日本人は何を考えているか分からない。

なかなかものを言おうと(発言しようと)しない。

にやにや笑っているだけ。


そう言った発言が外国人から聞こえてくる。


英語が喋れない。

恥ずかしい。

間違ったらどうしよう。

人と違う意見だったらどうしよう。

こんなこと言うと笑われるかもしれない。


などと、自分で壁を作ってしまって、思っていることがなかなか表現できないでいる。




英語は、言葉で自分の意思をはっきり伝えるには便利な言語だ。

ストレートでシンプルな表現が多い。


敬語、謙譲語といった言い方が少ない。

男女、年齢差に関係なく同じ表現でもいいことが多い。

年上の人でも、名前を呼び捨てで話しかけることも多いのがいい例だ。



英語が喋れるようになると、

世界が広がるとか、可能性が大きくなるとか言われる。

そしてこれは誰しも否定はしないだろう。



だが、もう一つ大事な効用がある。

性格が変わるということだ。


性格が明るくなる。

前向きになる。

積極的になる。

声が大きくなる。

ユーモア(ジョーク)が言えるようになる。

笑顔が多くなる。

表情が豊かになる。

ジェスチャーが増える。

シャイでなくなる。

服装が明るくなる。

おしゃれになる。

マナーが良くなる。

男女平等感が強まる。

若返る。(年を取らない)

人前でしゃべれるようになる。

頭の回転が良くなる。

自分に自信がつく。

勇気が湧いてくる。

等などだ。


同時に、相手の気持ちがより分かるようになる。


日本(語)には、言わずもがな(better left unsaid),

以心伝心(tacik understanding)的なことが美徳とされるきらいがある。

「物言えば唇寒し…」などと言う俳句も生まれたくらいだから。


だが、自分の気持ちをストレートに(オブラートに包まず)伝えることで

相手の考えを知り、その違いを理解し、認め合うことができるようになる。


I love you.

I miss you.

I'm happy.

I'm proud of you.

などなど、日本語では表現しづらい(恥ずかしくて)言葉でも

英語ならサラリと言えてしまうのだ。


これは、英会話の妙と言えるのではないか。




もう一つ付け加えるなら、

英会話が上達するにつけ、日本語が上達するということ。

表現力が豊かになるのだ。


日本語にない英語の言い回しを覚えることによって

日本語にも応用できることが分かる。


例えば、使役の動詞の使い方だ。

日本語では、

「どうしてそんなことをしたのか」と言うところを、

What mede you do such a thing?

(何があなたをそうさせたのか)と言いあらわすこともできる。




英会話を学ぶことは、

時には癒しにもなり精神的疾患をも補う。


その証拠に、

英会話に興味を持つことで

うつ病の人や、アダルトチルドレンといった

社会適応能力に劣る人たちが多く集まり、

自分の居場所、役割を認識していくケースが多いのだ。



たかが英会話、されど英会話。


英会話は苦手だから、

嫌いだから、

英語が話せなくても生きていける、

この年になって今更遅いだろう


などと思っている人、

思い切って、少し勇気を出してフリートークの扉を開けてみたら。


性格が変わります。

性格が変われば、言動が変わる。

言動が変われば、人生が変わる。




人生を変えてみたくなったら、フリートークの門をたたこう!



【追記】

今のボクしか知らない人には信じてもらえないかもしれないが、

ボクは極度の恥ずかしがり屋だった。

今でもそうなのだが、ホントは。


特に小学校までは赤面症でもあった。

とにかく人前に出るのが恥ずかしくて嫌だった。

教室で当てられそうになると、ドキドキしてそれだけで真っ赤になる始末。

ソット影に隠れたものだった。



それが中学に入ってから少しずつ変わっていった。

積極性が出てきた。


今になって思えばだが、

それば何を隠そう、英語の授業が始まったからだ。

英語に興味をもてば、自ずと海外に関心が向く。


当時外国といえばイコールアメリカだった。

ボクにとってアメリカは憧れの国になった。

絶対に行こうと思った。

だから、英語にも自然と身が入った。


そして、外大に入ってボクの性格は別人のように豹変した。


英語以外にもスペイン語を身に着けた。

アメリカ以外にも魅力のある国が数多くあることを知った。


そしてそれは、世界一周への夢へと繋がっていった。

そして、長い年月を経て(30年も)実現した。


だから言える。

英語の力を。


英語が人生を変えることを身をもって体験した。


ベトナムにカフェ出店

2012年12月20日 | 国際
ついに、念願だった海外の拠点づくりが具体性を帯びてきた。


ベトナムのハノイにカフェを出店する。

3年ほど前から物色してきた。

これまで数回話はあったが、タイミングが合わず実現に至らなかった。



今回は、運よく2度現場を訪れることができた。

以前にも紹介したが、

http://blog.goo.ne.jp/dreamincountry/d/20121207(ベトナムの拠点づくり)


ハノイの旧市街から15キロほど北にあるHai Boiという地区だ。

ハノイの空港(Noi Bai Intenational Air port) 都のちょうど中間点にあたる。


近くには、テクノパーク(工業団地)があり、人口は多い。

当然地元客(ベトナム人)が顧客の対象だ。


実際の経営も現地のベトナム人を雇うことになる。


来年2月、開業予定だ。



だがこれはあくまでもアンテナショップの一環。

ここを拠点に東南アジア開発を目指す。

足掛かりができれば更なる進出に拍車がかかることは間違いない。


輸出入物販はもとより、ホテル、出版関係も検討中だ。

コーヒー粕バイオマス開発ビジネスというビッグプロジェクトも着々と進行中。



なお、これに伴い出資者も募集します。

そのために、一月には説明会、現地視察を行います。

詳しい日時は追って記載します。


出資者は限定5名までなので

興味のある方は早めにご連絡ください。



来年は、今年以上の飛翔の年。


まずは、東南アジア進出の夢が実現する。


夢はでっかく、

志は高く、希望に燃える

素晴らしき誕生日をありがとう!

2012年12月19日 | 人生
ここ数年、「一人きりのバースデイ」が続いていた。

だが、去年、今年と思いがけなく温かい祝福を受け

賑やかなバースデイを送ることが出来ました。





昨年の誕生日には、長女家族が東京リゾートに招待してくれました。


そして、昨夜は松岡氏の主宰する「英語でしゃべり隊」の2周年となるイベントと重なりました。

そこで思ってもいなかった皆さんの祝福を受けることができたのです。


MIKIちゃんがボクの大好きな生クリームタップリのシフォンケーキを作って持ってきてくれました。




「英語でしゃべり隊」の参加者にもお裾分け。




プレゼントもいただきました。

ありがとう!




そして、お勉強会の後は、お決まりの会食。




平日にもかかわらず、深夜12時までみなさんと楽しいひと時を過ごさせていただきました。

「英語でしゃべり隊」の仲間たちに心から感謝です。



ヤッパリ、「向学心」、「好奇心」旺盛な人たちは明るくイイ人ばかり。

英会話や海外旅行はその両方を満たしてくれますからね。


フリートークファミリーをはじめとするこうした仲間たちに囲まれ、

数え切れないほどの祝福のメッセージや素敵な写真、イラストを戴いて

ボクは最高に幸せ者です。


ベッドに入ってからも余りの嬉しさで涙が止まりませんでした。(ホント)

枕がグショグショです。(チョッとオーバー)



これからも、残り少ない生涯をみなさんのために文字通り粉骨砕身捧げます。


頼みごとは、断らない、拒まない、困らないがモットーです。

一期一会の精神で、来るものは拒みません。

清濁併せのむ覚悟で命を賭してすべてを受け入れる所存です。


至らないボクですが、これから一年もどうかよろしくお願いいたします。

感謝 & 合掌

右肩上がりの人生

2012年12月18日 | 人生
人生を春夏秋冬、四季に例えることはよくあることだ。


五木寛之は「林住期」という著書の中で書いている。

「林住期」こそ人生のピークであるという考えは無謀だろうか。

私はそうは思わない。

前半の五十年は、世のため人のために働いた。

五十歳から七十五歳までの二十五年間、

後半生こそ人間が真に人間らしく、みずからの生き甲斐を求めて生きる季節ではないのか―。

林住期こそジャンプの季節、人生のクライマックスである。 と。




古代インドでは、

人生を学生(がくしょう)・家住(かじゅう)・林住(りんじゅう)・遊行(ゆぎょう)の四期に分けていた。


師についてヴェーダを学び、

家に住んで家族を養い、

出家して林に住み、

独りになって旅に出る――という。



――――――――――――――――――――――――――

ボクの考えは少し違う。

生涯現役とか、生涯青春とかいうように

死ぬまで勉強し、死ぬまで働き続けたい。


結果、死ぬまで成長し続けたいのだ。


人生の前半は、自分のため、家族のために脇目も振らずに働いた。

それは自分のためでもあった。


家族を連れて世界一周したのも、

ある意味自分の夢を叶えるためだった。


今一人で旅を続けるのも、見聞を広げるためなのは言うまでもないが

それは人のために尽くそうという目的が根底にある。



話を戻せば、家住期と林住期を同時にこなしたことになる。

森に棲んで家族を養った。

今、学生期に戻って遊行期に至っているう。


引退はもとより、隠居や老後といった感覚は毛頭ない。



日本経済が右肩上がりの時代はとうに終わった。

だが、自分の中では常に右肩上がりでいつづけたいと思っている。


五木寛之の言葉を借りれば、

いつ死んでも、その時点が自分の人生でピークである状態でいたいと思うことは無謀だろうか。


正直でいることは求めても

マジメであることには程遠い人生。


むしろ、不真面目人生をこのまま歩み続けるだろう。

どう転がっても「なんとかなるさ」の精神で。



【追記】

誕生日に際し、つらつら考えてみた。


沢山のおめでとうのメッセージを戴いた。

お一人おひとりに感謝の気持ちをお伝えすべきですが

この場を借りて御礼申し上げます。

本当にありがとうございます。


今後ともご教授、ご鞭撻、そして叱咤とともによろしくお願いしたします。




ノマドライフの実態とは

2012年12月17日 | ライフスタイル
ノマドライフスタイルへの憧れを抱く人は多い。

ノマド(Nomadの意味は遊牧民であるが


ノマドワーカーといったときに、大きく分けて二つのタイプがあると言える。


一つは、国内において会社や自宅などのオフィスを持たず

喫茶店やファーストフード店を転々としながらラップトップやタブレット型端末を使い

主にインターネットを駆使して仕事をこなす国内型タイプ。


もう一つは、国内外問わず数カ所のオフィスを持ちながら

それらを動きながら仕事をこなす海外型タイプ。


この場合もPCやタブレット、スマホを持ち歩き、

主にインターネットを使うことには変わりはない。



また、オフィスのあるなしにかかわらず、

国内外を流浪するスタイルは共通しており、

手段としてインターネットを利用することも同じである。


だから、インターネット環境の無いところではこの手法は使えないことになる。


逆に言えばインターネット環境さえあるところであれば

何処でも仕事ができるということになる。




また、何処へ行っても仕事ができるということは、

裏返せば、何処へでも仕事が付きまとう、ってことだ。


つまり、どこへ行っても仕事がついて回る。

仕事から解放されないことを意味する。


だから、仕事から解放されたければ

インターネット環境の無いところへ行くか、

自分の意志で繋がらなくしなければならない。



ところがところが、

ノマドライフ志向者は、意外とワーカホリック(仕事中毒者)が多い。


というか、インターネットがつながらないと不安で仕方なくなるのだ。


常にメールをチェックしなければ気が収まらない、

facebookのメッセージやタイムラインへの投稿、いいねの数などが気になって仕方がない。


Skype や Line でのチャット、電話がいつ入るか気になるので、

常につなげる状態にしておかなければならない。


つまり、ノマド生活者にとってはインターネットが命の綱であり、

スピード感を要求される仕事が多いのである。


つまり、繋がらないことは言うまでもなく、

返事が一瞬足りでも遅れることが命取りになるのだ。


そもそもフリーランスタイプ(独立起業家)なので

収入が一定せず、常に不安を抱えていることが多いのも特徴の一つだ。




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もう一つ、ノマドライフ愛好家は、旅好きである。

いや、旅好きでなければ勤まらない。


旅好きとはどういうことか。

当然、動くことが苦にならず、

食べ物に好き嫌いがなく、

どんな条件の元でも睡眠がとれることを意味する。


そして、飽くなき好奇心に満ち溢れていなければならない。

もう一つ付け加えるなら、

英語が堪能であればなおさら良い。


これは、海外派のノマドライファーの場合であるが。


それだけにワークライフバランスに気を付ける必要がある。



ノマドライファーは、時間と場所を気にする生き物である。

そして組織からも脚力自由であろうと勤める。

一匹狼型が多いのも頷ける。


組織になった時点で自由度が喪失するからだ。

ノマドワーカーはそれぞれが独立しているが

情報交換などで連携を深め、協力関係をいかに築くかが重要となってくる。



ノマドワーカーは、

遊牧民が水場を求めて彷徨うように

Wi-Fiの飛んでいるオアシスを求めてうろつく習性をもつ。



そもそも旅は日常からの逃避の一環だった。

そこは非日常の世界が広がっていた。


ところが、ノマドワーカーにとっては、

非日常が日常となってしまうきらいがある。


つまり、仕事も遊びも、趣味も息抜きもすべての境界線が無くなってしまうのだ。

行ってみれば、家庭人には不向きなのかもしれない。


家庭も組織の一つであって、ノマドライファーにとっては

自由を奪う足枷の何物でもないからだ。


ただし、出会いが多く、社交性が豊かであるからして、

恋をする機会は多くなるだろう。


バイタリティーがあり、エネルギッシュでありアグレッシブであるし、

想像力と創造力を同時に兼ね備えている。


健康的で人間的にも魅力的でなければならない。


こうしてみれば、

体力と知力、勇気と行動力、自信と謙虚さ、

愛と教養に恵まれていなければ勤まらないだろう。


一種の憧れは抱いても、ノマドを極めるに幾多の経験値を積まなければならない。