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世界一周、2度の離婚、事業の失敗、大地震を乗り越え、コロナ禍でもしぶとく生き抜く『老春時代』の処世術

手放す勇気

2012年12月26日 | 人間関係
大事なもの、人を一度手放してみよう。

本当に大事なもの(人)なのかわかるはずだ。


と言うことで、今までの人間関係を全て消去することにした。

リセットするといってもよいだろう。


今までのしがらみを一度全部捨て去ると、どんなにスッキリするだろうか。



所有物を全て投げ捨て、関係性を全て捨て去り、

天涯孤独の身になることは理想的姿だ。


天涯孤独の身となるI get left all alone in the world.


幸か不幸か、ボクには身寄りがない。

家族はいるが物理的にも精神的にも遠く離れている。

家族は居ても、家庭というものからは程遠い。


ボクは小さいとき、親も兄弟もいない中で育った。

だから家庭への憧れを抱いていた。


だが、いざ家庭を持ってみると

それがいかに虚構の上に成り立っているのかが分かった。


血縁という家族の絆はあっても

家庭とは所詮他人との同居にすぎない。

夫婦と言えど、所詮他人の域を出ないのだ。


歪な環境で育ったことがボクを厭世家に仕立て上げた。

だからボクの笑顔の裏には厭世観が潜んでいる。

自殺願望は常にボクの中に生息している。


それを知る人は、いないだろう。


その虚しさを噛みしめたうえでの天涯孤独。


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天涯とは、身寄りがないという意味と同時に

「遠く異郷に、独り暮らす」 という意味もある。


孤独と言うより孤高でありたいと常に思う。



だいぶ前だが、新田次郎の「孤高の人」を読んだ。




社会人登山家としての道を開拓しながら、

日本アルプスの山々をひとり疾風のように踏破していった“単独行の加藤文太郎”の物語だ。

その強烈な意志と個性により、

仕事においても独力で道を切り開き、

高等小学校卒業の学歴で造船技師にまで昇格した

加藤文太郎の交錯する愛と孤独の青春を描く長編小説だ。



これは井上靖の「氷壁」と並んで、山岳小説の双璧を成す。




これらの本は、高所恐怖症のボクを山へ挑戦させてくれた貴重な本だ。

スキーへの興味もここから来てスキーバムへと突き進んでいった。


それがペンションを知るきっかけとなったのは皮肉なことかもしれない。


いずれにせよ本は、居ながらにして人生を一変させる力を持つ。



話を戻そう。


孤独は自由と対を成す。

つまり、自由でありたいなら孤独を恐れてはならない。

集団の中にいては自由が制約されることは言うまでもない。


また、孤独とは必然的に寂しさを伴う。

それゆえ、自由もまた寂しさと同居していると言えよう。



人間とは、常に自由と不自由の狭間で揺れ動いている生き物かもしれない。


時に現代は、いかに異国の地においてもインターネットという怪物が

人とのつながりを否応なく強いる。


それは良い意味でも、悪い意味にもなる。

所詮、一匹狼(a lone wolf)を気取るのが精一杯なのだろう。



【注釈】

孤高(ここう)とは、

個人の社会生活における1つの態度を表し、

ある種の信念や美学に基づいて、

集団に属さず他者と離れることで必要以上の苦労を1人で負うような人の中長期的な行動とその様態の全般を指す。


本来は俗世間との通行を自ら断って1人で道を求める者の姿を指しており、

私利私欲を求めず他者と妥協することなく

「名誉」や「誇り」といったものを重視する姿勢から、

周囲が「気高さ」を感じるような良い意味での形容に用いられる他に、


協調性を欠いた独自の態度を軽く批判する場合にも用いられる。

迎合主義の対極に位置する。

芸術家や指導者に多く存在する。