世界一周タビスト、かじえいせいの『旅が人生の大切なことを教えてくれた』 

世界一周、2度の離婚、事業の失敗、大地震を乗り越え、コロナ禍でもしぶとく生き抜く『老春時代』の処世術

絶望の国の幸せな国民たち

2012年02月21日 | 社会
「絶望の国の幸福な若者たち」


という本がある。



「今、ここ」


が幸せであればいい――。




W杯の深夜、

渋谷で騒ぐ若者たち。


ネット右翼の主催するデモに集まる若者たち。


そして震災を前に、

ボランティアや募金に立ち上がる若者たち。




格差社会のもと、

その「不幸」が報じられる若者たち。



だが、

2010年の時点で

20代男子の 65,9%、

20代女子の 75,2%
 が

現在の生活に「満足」している!



これまでの若者論を覆す

まったく新しい「若者論」



と本の解説にある。






すべてを


イベント化して楽しむすべを知っている。




Xデーが来るまで


だれも本気で心配なんかしない。





現実に


目の前で起こって初めて




愕然とするのだ。





地震や津波の非常訓練はできても


国が財政破たんした時を想定した



避難訓練はできない。







そもそも



財政破たんとは何なのか。





財政破たんするとどうなるのか。

(ギリシャのようになるといっても


ピンとこない)




日本が崩壊するなんて


想像できないのではないか。





ニッポン沈没ならまだわかるが。







もしそうなったとして



避難する必要があるのか。





避難するとすれば


どこへ逃げればいいのか。




難民となって


さ迷うわなければならないのか。





誰もそんなことは考えていないだろう。


(考えている人がいたら

教えてほしい)







若者に限らず





日本人全体が


案外


今の生活に


まあまあ「満足」


しているのではないだろうか。





OECDの

「国民満足度調査」



によれば


日本は



平均以下である。






政府の世論調査によると


まあまあ的な内容になっている。






デンマークがトップにあるのも


「人生にあまり期待していない」 から



という説もある。







期待が大きければ



それだけ不満も募るわけだ。







日本人も




閉塞感に慣れて




期待を抱かなくなったのかもしれない。





つまり


うがった言い方をすれば、




夢も希望も持たなければ


意外と


現状に満足してしまうのだろう。







徴兵制もなければ


戦争に行く必要もない。






災害は致し方ない。





たしかに


廻りには


老人の姿が増え、



子供の姿を見ることが少なくなっている。




人口が減少している。



失業者もいる。



心を患っている人たちも見かける。





だからといって




大半の人たちは


今すぐに


食うに困っているわけでもない。






意外と


若者と老人は


能天気なものなのだ。





最も心配しているのは



中年層かもしれない。






いたずらに


先が見えて来るだけに。







統計や


今の感情論がどうであれ






日本は




刻々と


破滅の道を歩んでいる。

2月20日(月)のつぶやき

2012年02月21日 | 結婚
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言ってごらん / “言ってごらん - かじえいせい(Tabist))の「旅が人生の大切なことを教えてくれた」ー"Back to the Forward"- ” htn.to/b2wAcZ

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最後の手紙 心を閉ざした君へ blog.goo.ne.jp/dreamincountry…

by asaykaji on Twitter

心を閉ざしてしまった君へ 最後の手紙

2012年02月20日 | 
君はすっかり



心を閉ざしてしまったね。




どうして?



ボクのせい?





かまってあげなかったから?


ごめん。






でも



いつも君のことを思っていたんだよ。







目覚めた時



一番最初に


君の顔が浮かぶ。





そして


メールをあけてみる。





「おっはよー!」



「ゲンキ―?」





その一言が


嬉しくて、




君の顔を思い浮かべながら





今日一日が



頑張れた。






そんな君を


ボクは


「早起き鳥さん」


って呼んだよね。










だけど



もう


その言葉は聞けない。







君は


貝のように



固く心を閉ざしてしまったね。





どうして?





今だって


いつだって





こうして


君のことを想っているのに。






「心にもないことを」


って


君は言うかもしれない。







だけど





お願いだから


もう一度



鳴いておくれ。



「オッハヨ~!」

って。













早起き鳥から


貝になってしまった君へ、




最後に捧げる

ボクの気持ち。

言ってごらん

2012年02月20日 | 苦境
一人で悩まないでいいんだよ。




そんなに


強がらなくていいんだよ。



意地を張らなくてもいいんだよ。






誰かに



言ってごらん。


話してごらん。





自分の


今の気持ちを。






言葉に


飾りなんていらない。





気負う必要なんてない。




格好つけなくっていい。









さ・し・す・せ・そ




爽やかに



正直に



素直に



誠実に



率直に





語ればいいんだ。







もし








もしも









誰も


聞いてくれる人がいなかったら





山に向かって叫んでごらん。



海に向かって



つぶやいてごらん。





空に向かって


語りかけてごらん。







きっと


誰かが聞いてるから。






そして


誰かが




答えてくれる。





そっと


手を握ってくれる。





一緒に


涙を流してくれる。







一緒に



歩いてくれる








そのとき


気付くんだ、





一人じゃない


ってことを。








一人で悩まなくてもいいんだよ。




そんなに


強がらなくても


いいんだよ。





意地を張らなくても



いいんだよ。












PS.



少なくとも



ボクは



聞いてるよ。





君の声を。

思考というフルマラソン

2012年02月19日 | スポーツ




旅が人生に例えられるのと同じくらい




マラソンもまた


人生の縮図として語られる。







競技として


人との争いをする




ランナーはもちろん




市民ランナーにとっても





真に競う相手は




自分自身
だ。







限界への挑戦という



スポーツでありながら





思考し続けるという意味でも



稀有な競技であろう。







むしろ


思考せざるを得ないのだ。







隔絶された状況を作り出し



移りゆく風景の中で





苦しみながら




自分との孤独な対話を続ける。







「孤独感こそ



世の中で唯一の誠実さであり


現実であり、



けっして変わることがないという実感」








『長距離ランナーの孤独』


はいう。






時に


ゆっくりとした思考さえもできにくい



あわただしい現代であればこそ





こういう形で



自らを





孤独の谷間に追い込むのも


一つの手段かもしれない。






「人生とは簡単だ。



苦しむか




苦しまないかの選択だから」 




ともいわれる。







ただ



臨むと望まないにかかわらず





人生は



苦しみの連続である。










そして



人生のゴールは



一人の例外もなく







『死』


である。







42,195キロのマラソンと違い





人生のマラソンでは


距離を自分で決めることはできない。









伴走者や



沿道の応援も





あるやなしや。







もし仮に



人生の距離が




100キロであるとするなら





ボクは今



62,195キロあたりを走っているのだろう。






ユックリ、ユックリと。







過去にいた


伴走者は




ふと気が付けば


離れていってしまっていた。







幸い


今は



自由と孤独



たしなむ境地。








沿道の応援者は



ちらりほらり。








孤独な長距離ランナー



それでも




自ら選んだ


その孤独を味わいつつ





自由という空間を漂いながら





ひたすら




というゴールに向かって



走り続ける。





空しい思考を



繰り返しながら。








【追記】



先ほど



熊本城マラソンの号砲が鳴った。






スタート地点にほど近い


誰もいないマンションの一室で




このブログを記している。






隔絶された空間で



思考を巡らしながら。






人生のマラソンの現実とは



こうしたものなのだ。

出会いのスパイラル

2012年02月18日 | 人生
人生が



ドンドン加速していく


エネルギーを感じる。




いろんな人との縁が


加速度的に広がっていくのだ。




その都度


新しいイベントの企画が


湧き上っている。




昨日の

「フリートーク」における




初の『友活サロン』で知り合った方と



いきなり


イベントを組むことに。





話の内容に

イイなと


ピンときたら



即具体的に話す。


まず日付。



それ逆のぼって


予算や場所など

具体的に決めていく。










ということで、




3月3日のひな祭りにちなんで





 『お姫様ウィーク

(別名、シンデレラウィーク)』 



と称するイベントをすることに。






なんと


ボクにピッタリの名(??)の企画ではないか。




内容とう詳しくは


後日発表いたします。







それからそれから


昨日は



「フリートーク」の仕事を終え、


急きょ


夜遅くなって



阿蘇・西原村の

『ドゥリーミン カントリー』に帰った。




水の凍結が心配だったからだ。







その途中、


深夜までこうこうと灯りがついている建物があった。





たぶん


彼らがいるはずだと


立ち寄った。





そこでは


案の定


つい2日前に知り合ったばかりの


仲間たちが



ミーティングを開いていた。






ご存知の方も多い、


昨年末


期間限定でオープンした




『星空カフェ』


仕掛け人(NPO)たちだ。






実は


彼らとも



4月に


西原村で


フリーマーケットを開くことになっている。






夜の11時半ごろ


いきなり入っていったボクに


みんなビックリ。




だって



西原村で

ボクの経営する


コンドミニアム・ホテル

『ドゥリーミン カントリー』から



歩いて行ける距離にあるのだから。





彼らには


ツリーハウスを造る計画も


持ちかけている。






「フリートーク」から



「ドゥリーミン カントリー」へ。





「ドゥリーミン カントリー」から



「フリートーク」へと




活動と


出会いの場が広がる。





点から線へ



線から面へと



確実に広がっている。





面が


立体になる時


それは




形を現す。






そして




いつしか


時を超えて



人々の心へ届いていくのだ。








何かが起きる時は



決まって


幾つもの偶然が重なるものだ







やりたいと思ったことが


無理せず



まるで


背中を押されるように


進んでいく。





ケインズ風に言えば、





天からの


見えざる手


ボクを



そして廻りの環境を


ソット押してくれているかのように。







すべての夢の実現は


そうして



叶えられてきた







まさに


想いのエネルギー




突き動かしていく。






その動きを察知し、


掴み、



流れに乗ることが肝心なのだ。






もちろん


そこからも



いろんな困難が待ち受けていることは


間違いない。





スムーズにいくことは


まず、ない。







夢を叶える女神様は


いたずらが好きなのだ。





いろんな障害を作り

どうやってそれを乗り越えていくかを




見るのがお好きなようだ。





すんなりとは


なかなか行かせてくれない。







その時は


小学生の


障害物競走のときに戻って




こちらも

楽しめばいいだけのことだ。





なにも

一等賞になる必要はない。





ただ


楽しく



一つ一つをこなしていけばいいだけの話だ。




泥んこになり、


擦り傷だらけになっても




笑って


ゴールに走りこめばいい。




両手を大きく広げて。





そこには




拍手しながら




笑顔で迎えてくれる


仲間たちが待っているから。









【追記】



思うようにならないのが



人生。





だが


なるようになるのも



また



人生かな

飲む、語る、夜

2012年02月17日 | 人生
先日


親しいお客様(友達)と




午前3時まで飲み、


語った。





     怪しげな男達の背中に真剣さが滲む!??






商社時代から



ビジネスは


夜生まれる


と信じている。






日中は



事務的処理をこなした入り、


移動の時間に使ったり。






会議室のミーティングや


来客の対応も




通り一遍のものが多い。





そこから


生まれるものも



得るものも


少なかった。







アイデアは


トイレ、

ベッド、


お風呂




などリラックス


弛緩した時



に生まれやすいという。


だから


メモを置いている。






夜もまた然り。





アイデアの源である


アルファー波がでる。







頭をマヒさせる


ドラッグは違法だが




アルコールは合法だ。





幻想、


妄想を誘う。




その中から


何かが生まれる。





そして



友とは



本音で語リ合う。








素面(しらふ)


昼間の話は



どうしても


建前的


事務的




にならざるを得ない。







酒を酌み交わしながら


語るとき、




不思議な連帯感が生まれ


日頃の想いが



一気に吹き出る。





そこに


本音が現れ



本心が見える。










正直言って



彼とは


真逆な考え方だ。






だが


自分と意見が違うからと言って


否定してばかりいては



何も生まれない。





「あー、そんな考え方もあるのか」


「そんな風に考える人もいるんだ」





と捉え



建設的な意見は



参考にする。





そして


取り入れる。






むしろ


真逆の人と話をする方が


ためになるものだ。







人の話を聞くときは


素直さと


謙虚
さが必要だ。





そして


先入観、



思い込み、


決めつけは捨てる。





白無垢を着て臨む心構え。






最初から


あいつとは考え方が違う


という姿勢で接すると




せっかくの貴重な意見も


右から左へと抜けていく。







ボクのことを思ってくれるからこそ


辛口の意見も出るのだ。





本来


お世辞しか言わない


お客様であればなおのこと




貴重な意見として


受け入れなければならない。






そして


即実行。




聞いただけでは


何の意味もない。






貴重な意見をくれた彼には



即報告。



そして感謝を示す。






実にありがたいことだ。









そのためにも



やっぱり


飲まなきゃね。






で、


今日もまた


飲む



呑む




ノム、ムムムムム。

胎動

2012年02月16日 | 人生
何かが聞こえる。


何かを感じる。





自分の中で


蠢(ウゴメ)くものがある。



熱いものがある。




こんな時は


何かが起こる。






予感がする。


直観がある。







直観を大事にしよう。



直観に従おう。



直観を信じよう。





天からのテレパシー。





それを


書き留めている。




今朝は


まとまりがつかない。




それほどにまで


激しい直観に襲われている。





頭に浮かぶ


すべてのことを



文字にし、

絵にして



ノートに


PCに落としていく。




そうしなければ


逃げていく。



消えていく。



この感覚を逃さない。





これこそが



胎動なのだ。










今日のブログは


抽象的で


とりとめがないのは分かっている。




それが


今のボクの頭の状態だから。




ただ


書き留めただけ。




これから



グチャグチャの頭の中を


整理し、




あす以降


辻褄と


具体性を持たせていく。






気がふれたのかもしれない。


狂っている。





だが


それこそ



何かが


降りてきた証左なのだ。





それすら


何か分からない。




何かが


降りてきた。




今は

ただそれだけ。






それだけに


酔っている。




その感覚が


ここと心地良い。




その感覚が


好きだ。




その感覚を

待っていた。




今は

ただ



それだけ……。

失敗に寛容であれ

2012年02月15日 | 人生
日本人の生真面目さが



裏目に出ている。





他の国に比べ



日本人の良いところに




真面目で


几帳面で



勤勉であるからして





正確さや



清潔さ、


きめ細やかさを



必要以上に


求める傾向にある。





それ自体は


イイことだが




必要以上となると


話は変わってくる。




特に


グローバル時代においては。







極端な言い方をすれば


他の国は



実に


いい加減である。





日本人は


機械は壊れてはならない


という観念の上で



製造し、


販売し、



購入する。





グローバル・スィンキングにおいては


壊れることを


前提に置く。




壊れても


責任は負いません。




それでも良ければ


買ってください。




あとは


自己責任ですよ、と。







失敗を許さない国民性で


損をしていることが多い。




英会話もそうだ。




文法を中心とした勉強法を


頭から叩き込まれるて育つ。





これでは


頭が硬直してしまい、



しゃべりたくても


間違ったらどうしようと




怖くて言葉が


口から出てこないのは


当然だ。






これも極端な言い方だが


世界でしゃべられる英語は





実にいい加減だ。



アメリカにおいてさえそうである。






相手が


間違った変な英語を使っても



意に介さない。





ましてや


自分の英語がどうであろうと



通じればイイ、


といった感覚だけで




臆面もなく


流暢に(?)




英語が口をつく。








なにかと


傍目を気にする


日本人の性格も




また


柔軟性を妨げる。





人と違うと


笑われることを極端に嫌う傾向にある。








間違って


どこが悪い、




人と違って


どこが悪い





というくらいの


気概(開き直り)と





相手に対する


寛大さが



日本人に備わらないと




とても


世界で世渡りするには




困難なものとなるだろう。


(もう既になっているが)





現状では



日本国が


日本村と言われても



仕方のないことかもしれない。






日本は世界から見れば


村社会なのだ。







これからの産業





医療機器や



ロボット産業においても



同様のことが言えやしまいか。







もっと


寛容になろう。





間違ったって


いいじゃないか、





いい加減でも


イイじゃないか。






笑って済ませられるものは



笑い飛ばせばいいだけのことだ。






ワッハッハッハ!! とね。