恋ネタ
3連チャ~ン。
人生と同じで
恋の形は
恋の数だけあるだろう。
一つとして同じものはない。
だが
誰にとっても
恋は
甘く、
ほろ苦いのではないだろうか。
つまり
恋の味は
さほど変わらない?
長年のメル友で
フリーランス・イラストレーターの
CS女史(東京在住)がいる。
彼女は
とっても
アトラクティブで、
ハイソでエレガントな女性だ。
(まだ直接会ったことはないが)
大人の絵本を書かせたら随一だ
ボクは彼女の絵の
色合いとタッチが大好きだ。
多くの男性を泣かせてきたことは
想像に難くないが、
ずっと独身だった彼女が
最近こう綴っている。
(彼女は、
詩人でもある)
「一匹オオカミ
いつもひとりで
ひとりが心地よくて
ひとりを望んでると思ってた
でも本当はそうじゃない
仲間が欲しかった
寄り添うだけでいい
触れてるだけでいい
ただそういう
心が触れ合える仲間が欲しかった
全部を敵にまわしても
その人の為なら何でも出来る
そういう気持ちを
本当は誰よりも欲しがっていた」
「恋」ですね。
いいナー、相思相愛で。
ボクは片思いなんで。
というボクのコメントに、
かじさん>>本物の 恋 ですw
と、
臆面もなく答えるあたりは
さすがァ。
彼女は
彼女自身の絵本通り
少女の心を
ずっと持ち続けている。
幸せになってほしい。
ところで
「やっぱりおおかみ」
という
佐々木マキさんの絵本がある。
この世に残された
たった一匹のオオカミの子が
仲間を探しに旅をする物語。
ウサギも
ヤギも
豚も、
鹿も
牛も
飛行船すら
仲間を見出すことはできなかった。
その都度
オオカミは
「けっ」 っと言って
離れて行く。
それは
取り方はいろいろあるだろうが、
孤独体験とか、
私とは何者かという
アイデンティティにかかわる内容になっている
ようにも取れる。
してみれば
恋っていうやつは
自分を探す
自分を決める
一種の『旅』 なのではないのか。
恋(旅) で
巡り合った相手に照らし合わせて
自分を再確認する。
相手との差異を知り、
その相手を認め、
受け入れ
恋(旅)は進化を遂げ
成就していくものではないだろうか。
それは
常に
美しい夢を伴う。
※(余談挿入)
最近
ボクは
イイ夢ばかりを見る。
目覚めた時には
まったく覚えてないけどネ。
ただ、
暖かいベッドの中に
いつも
心地よい温もりだけが残っている。
きっと
恋しているかだと思う。
さて
話を戻そう。
日常が旅であれば
なおさら
恋に飢え、
恋を求め
恋に出会う。
そして
自分が何者かを知り
孤独を噛みしめながら、
また
旅へと帰っていく。
「旅う」
と書いて
「さすらう」
と読む。
だから
旅人は
永遠の 『さすらい人』
なのかもしれない。
この絵本でも
仲間を探しす
オオカミの行動は
結局
孤独の確認のための旅になってしまう。
だが
その旅で
自分の優位性を確認し、
孤独への耐性が確立していく。
もう、
おおかみとして生きていくしかない
と気づいたとき、
「そうおもうと なんだかふしぎに
ゆかいな きもちに なってきました」
と結ばれている。
【補足】
読んでない方のために
『やっぱりおおかみ』
内容を下記しておきますね。
*注 《》()内の文は、
原文にはありません。
『二重括弧』「括弧」内が、
絵本原文にある文です。
『おおかみは もう いないと
みんな おもってますが
ほんとうは いっぴきだけ
いきのこって いたのです。
こどもの おおかみでした。
ひとりぽっちの おおかみは
なかまを さがして
まいにち うろついています』
《うさぎの町をうろつくおおかみ》
(おおかみを見て 逃げ出すうさぎたち)
「け」
(とおおかみはいいました)
《やぎの町にもやってきました》
(敬虔なやぎたちは教会へ)
《ぶたの国のバザールでは》
(家族や仲間、すごく賑やか、おおかみは羨ましそう。
おおかみをみるとそそくさと立ち去ります)
「け」
(とおおかみはいいました)
《鹿のくにの住人は、森林公園で楽しんでいます》
(おおかみは、もしかして、鹿になれたら…と考えます)
(おおかみは、遊園地にやってきました。誰も乗っていないメリーゴーランドがあるだけ。おおかみはつぶやきます。
「おれに にたこは いないかな」)
《牛の町にやってきたのは、夕方。》
(町には誰ひとり歩いていません。窓から覗いてみると、夕食時、一家団欒)
《夜になって、おおかみがやってきたのは墓地》
「おれに にたこは いないんだ」
(おおかみが墓地に寝転がっていると、幽霊が。でも幽霊でさえ仲間といっしょ)
《ビルの屋上、飛行船が繋がれています》
『やっぱり おれは おおかみだもんな。
おおかみとして いきるしかないよ』
(飛行船は誰も乗せずに飛んでいきました)
「け」
(とおおかみはいいました)
《おおかみは町全体を眺めました》
「そうおもうと なんだかふしぎに
ゆかいな きもちに なってきました」
3連チャ~ン。
人生と同じで
恋の形は
恋の数だけあるだろう。
一つとして同じものはない。
だが
誰にとっても
恋は
甘く、
ほろ苦いのではないだろうか。
つまり
恋の味は
さほど変わらない?
長年のメル友で
フリーランス・イラストレーターの
CS女史(東京在住)がいる。
彼女は
とっても
アトラクティブで、
ハイソでエレガントな女性だ。
(まだ直接会ったことはないが)
大人の絵本を書かせたら随一だ
ボクは彼女の絵の
色合いとタッチが大好きだ。
多くの男性を泣かせてきたことは
想像に難くないが、
ずっと独身だった彼女が
最近こう綴っている。
(彼女は、
詩人でもある)
「一匹オオカミ
いつもひとりで
ひとりが心地よくて
ひとりを望んでると思ってた
でも本当はそうじゃない
仲間が欲しかった
寄り添うだけでいい
触れてるだけでいい
ただそういう
心が触れ合える仲間が欲しかった
全部を敵にまわしても
その人の為なら何でも出来る
そういう気持ちを
本当は誰よりも欲しがっていた」
「恋」ですね。
いいナー、相思相愛で。
ボクは片思いなんで。
というボクのコメントに、
かじさん>>本物の 恋 ですw
と、
臆面もなく答えるあたりは
さすがァ。
彼女は
彼女自身の絵本通り
少女の心を
ずっと持ち続けている。
幸せになってほしい。
ところで
「やっぱりおおかみ」
という
佐々木マキさんの絵本がある。
この世に残された
たった一匹のオオカミの子が
仲間を探しに旅をする物語。
ウサギも
ヤギも
豚も、
鹿も
牛も
飛行船すら
仲間を見出すことはできなかった。
その都度
オオカミは
「けっ」 っと言って
離れて行く。
それは
取り方はいろいろあるだろうが、
孤独体験とか、
私とは何者かという
アイデンティティにかかわる内容になっている
ようにも取れる。
してみれば
恋っていうやつは
自分を探す
自分を決める
一種の『旅』 なのではないのか。
恋(旅) で
巡り合った相手に照らし合わせて
自分を再確認する。
相手との差異を知り、
その相手を認め、
受け入れ
恋(旅)は進化を遂げ
成就していくものではないだろうか。
それは
常に
美しい夢を伴う。
※(余談挿入)
最近
ボクは
イイ夢ばかりを見る。
目覚めた時には
まったく覚えてないけどネ。
ただ、
暖かいベッドの中に
いつも
心地よい温もりだけが残っている。
きっと
恋しているかだと思う。
さて
話を戻そう。
日常が旅であれば
なおさら
恋に飢え、
恋を求め
恋に出会う。
そして
自分が何者かを知り
孤独を噛みしめながら、
また
旅へと帰っていく。
「旅う」
と書いて
「さすらう」
と読む。
だから
旅人は
永遠の 『さすらい人』
なのかもしれない。
この絵本でも
仲間を探しす
オオカミの行動は
結局
孤独の確認のための旅になってしまう。
だが
その旅で
自分の優位性を確認し、
孤独への耐性が確立していく。
もう、
おおかみとして生きていくしかない
と気づいたとき、
「そうおもうと なんだかふしぎに
ゆかいな きもちに なってきました」
と結ばれている。
【補足】
読んでない方のために
『やっぱりおおかみ』
内容を下記しておきますね。
*注 《》()内の文は、
原文にはありません。
『二重括弧』「括弧」内が、
絵本原文にある文です。
『おおかみは もう いないと
みんな おもってますが
ほんとうは いっぴきだけ
いきのこって いたのです。
こどもの おおかみでした。
ひとりぽっちの おおかみは
なかまを さがして
まいにち うろついています』
《うさぎの町をうろつくおおかみ》
(おおかみを見て 逃げ出すうさぎたち)
「け」
(とおおかみはいいました)
《やぎの町にもやってきました》
(敬虔なやぎたちは教会へ)
《ぶたの国のバザールでは》
(家族や仲間、すごく賑やか、おおかみは羨ましそう。
おおかみをみるとそそくさと立ち去ります)
「け」
(とおおかみはいいました)
《鹿のくにの住人は、森林公園で楽しんでいます》
(おおかみは、もしかして、鹿になれたら…と考えます)
(おおかみは、遊園地にやってきました。誰も乗っていないメリーゴーランドがあるだけ。おおかみはつぶやきます。
「おれに にたこは いないかな」)
《牛の町にやってきたのは、夕方。》
(町には誰ひとり歩いていません。窓から覗いてみると、夕食時、一家団欒)
《夜になって、おおかみがやってきたのは墓地》
「おれに にたこは いないんだ」
(おおかみが墓地に寝転がっていると、幽霊が。でも幽霊でさえ仲間といっしょ)
《ビルの屋上、飛行船が繋がれています》
『やっぱり おれは おおかみだもんな。
おおかみとして いきるしかないよ』
(飛行船は誰も乗せずに飛んでいきました)
「け」
(とおおかみはいいました)
《おおかみは町全体を眺めました》
「そうおもうと なんだかふしぎに
ゆかいな きもちに なってきました」