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ダッペの悠友ライフ
相撲の神様を祭った「土師神社」;群馬の史跡情報
お相撲の神様が、群馬にいたんですって、知ってましたか!?
群馬・藤岡市の本郷にある「土師(はじ)神社」に行ってきました 昨日紹介した「本郷・埴輪窯址」のすぐ近くにあります
「土師(はじ)なんて難しい読み方はできませんでしたが、ネットで色々調べて、ようやく読み方&意味が分りました
『日本書紀』によれば、「大和朝廷・垂仁天皇」の時に、「野見宿禰(のみのすくね)」が出雲から300人余りの「土師部(はじべ)」を呼び、土で人馬やいろいろな器物を作り殉死を防いだことが記載されています
「土師部」とは古代に、土器や埴輪を作ったりした人のことで、葬儀ののしごとにも従事していたようです
この事が埴輪起源説として伝えられており、現在、「野見」や「土師」と呼ばれる地域には、埴輪を焼いた窯が多数確認されています
藤岡本郷のこの地も、古代古墳が多く造られた時代の「土師郷」地域であり、「野見宿禰」を祭神とする「土師神社」が鎮座されたものと思われます
「土師神社」は「相撲の元祖」として称えられる「野見宿禰」が、ご祭神として祀られており、摂津住吉神社と能登羽咋神社と合わせて、「日本三辻」といわれています
「相撲辻」とは、屋外で行った相撲の土俵とその場所を意味しており、土師神社境内には「土師の辻」と呼ばれる土俵があります
境内の一角にある土俵(下の写真)を見てください
土俵は一見、在地小豪族の円墳のような形で、高さ1.6m、基底部径13m、上円部径4.9mです この土俵で相撲大会が開かれ、横綱の奉納額が裏の神殿に掛けられています
なんで「野見宿禰」が、「相撲の神様」になっているのでしょう
「「野見宿禰」は出雲の国の勇士で、「垂仁天皇」の命で、「当麻蹴速」と“相撲”をとって勝った功により、「蹴速」が持っていた大和の国・当麻の地(現奈良県葛城)を与えられました
“相撲”が領土拡大になったと言うのは必死なことですね しかも、“相撲”と言っても、互いに蹴り合って、「宿禰」は相手の腰を踏み折ったというのですから、…
とにかくこの天覧相撲(こんな言葉があったかな(??))で勝った「「野見宿禰」は、「相撲の神様」になった訳です・・・負けた「蹴速」は腰を折られ、領地を削られなんとも可哀想
尚、「「野見宿禰」はこれ以後「垂仁天皇」に仕え、天皇の葬儀を司る「土師臣」の職に就いたのですが、その子孫には「菅原道真」がいます
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別の場所にある土師神社は「はじ」だったりするそうです。
地元では「土師(どし)」と呼ぶのですね
先日「流鏑馬」が、土師神社で開かれた様子をテレビでちょっと紹介してましたが、「土師(はじ)神社」と紹介していました
でも、読み方は「はじ」でも、呼び方は「どし」の方がいいのかも・・・と思っています