日々の雑感記によるヘボ・マイ趣味紹介です。
ダッペの悠友ライフ
柿の木の話・・・渋さと甘さの味
寒の里山で、赤く熟した柿の実が沢山生っているのを見つけました
「柿」というと秋の味覚の代表果実ですが、寒くなってきた今頃に柿の実が生っている風景は平和な季節感を醸しています
今生っている柿は、「冬柿」という言葉があるのかどうかしれませんが、イメージとして合うような気がします
「柿」はもともとは中国が原産で、国内では「古事記」や「日本書紀」に「柿」の名前が記されていることから、少なくとも奈良時代には渡来していたようです
カキノキ(柿の木)は、カキノキ科の1種の落葉樹ですが、品種は多く3000種位あるのではといわれているようですが、そんなに…とびっくりです
柿は学名で『KAKI』と日本名で記されるほど、世界において日本を代表する果物として知られていますが、原産地は日本かというとはっきりしてはいないようです
日本での歴史を探ると、縄文時代以前の遺跡からは柿は見つかっておらず、野生種は中国で見つかっているだけで国内では見当たらないことから、中国から渡来してきたと見るのが有力なようです
柿は大別すると、甘柿、渋柿の二種類ありますが、甘柿は渋柿の突然変異のようです

ところで甘柿は種から蒔いて育てると、渋柿だというのを知ってますか
私は庭に、食べておいしい果物があると蒔いてみる癖があります
芽が出て、もしかして、いつか実が生って食べられたら楽しいだろうし、昔の田舎暮らしでは自給自足の生活が自然であったはずだしなんて考えていました
蒔いてから、5~6年で生りだしました(桃栗三年、柿八年といわれますが、樹にもよりやや早いようです)
今3~4種類の柿が毎年実をつけます
生りだして、4~5年経ちますが、甘柿のはずがみんな渋柿で、これはきっと食べた柿が、渋柿の木に甘柿を継いだためなんだろうと思っていました
ところが昨年は何故か一本の柿の木が、甘柿になりました
昨夏は猛暑だったし、乾燥もしたりで、自然のショックが柿に変化をもたらしたのでしょうか!?
聞くところによると、柿はいじめると、甘くなると昔から言われているのだそうです
そんな事があるのでしょうか…でも現実甘柿ができたのです
渋柿を干し柿にすると、とても甘い柿になります
渋柿を焼酎をつけて保管すると、あの渋が抜けます
樹の中でそんな自然現象が自然に起こっているようです
昨年はちょっと科学を感じた年でした
丘陵で生っている赤い実を見て、ヒヨドリは渋いのを感じないのかななんて妙な事を思っていました
アップした「冬柿」
昔は柿の木はどこでも見られるくらいに、よく見ました
生活によほど密着していたのですかね
こんな句を見つけました
「 里古(ふ)りて 柿の木持たぬ 家もなし 」 ( 芭蕉 )
柿と人間の関係のいかに密接だったかは、「柿の木問答」というのがあり、それによると…芭蕉の句もよくよく理解できます
どういうことかというと、こんな話を知りました
「昔は嫁入りの際、実家から柿の木の苗(接ぎ穂)を持ってきて、それを嫁ぎ先の庭の柿の木に接ぎ木する習慣があったそうです
嫁はやがて子を産み、子を育て、そして生涯を終えると、嫁ぐときに持ってきた柿の枝が伐られ、火葬の薪やお骨を拾う箸にされました」
それゆえ「芭蕉」が詠んでいるように、昔はどこの家にも柿の木があったのです
古い農家などに今も残っている大きな柿の木があれば、そんなふうにして代々の女性たちが残したものかもしれません
また娘が嫁ぐときに持参した柿の接ぎ穂が、嫁ぎ先の木に接がれるということは、そこで男女が結ばれることをも意味しています
「 渋かろか しらねど柿の 初ちぎり 」 ( 加賀の千代女 )
この句は男女の契りの風習・しきたりを残していたことを物語っているのだそうです
更に結婚式のしきたりは、“柿の木問答”と呼ばれる物で語られています…この問答は、新郎新婦が床入りする時の作法だそうです
「あたなの家には、柿の木がありますか」
「はい、あります」
「私が登って食ってもよいか」
「はい、どうぞ食べてください」
こういう会話のあと、夫婦は初めて“契り”を交わしむすばれたそうです
今もこの風習がまさか残ってはいないでしょうけど、あまりにあわただしい世の中になって、なにか忘れ物をしてきたように思えます
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