ダンポポの種

備忘録です

18200系 (昭和41年)

2007年12月06日 19時13分29秒 | 近鉄特急
車両系式:18200系
登場初年:昭和41年(1966年)
特急引退年:平成元年(1989年)→特急用途を外れ、団体車両「あおぞらⅡ」に転用。
全廃車年:平成18年(2006年)
製造両数:10両(2連×5本)
※昭和42年「ブルーリボン賞」受賞車両(近鉄第3号)


 東海道新幹線の開業にあわせて誕生した「近鉄京都線の特急」は、当初、一般型車両を改造して出来た〝異端の特急車〟680系(昭和39年。先述)によって運行が始まりました。1年後には18000系(昭和40年。先述)が戦列に加わりましたが、この系式も、廃車流用品を盛り込んで造られた〝変わり種〟車両でした。
「京都線の特急」の使命であり戦略でもある〝新幹線接続〟という大きな役割を持ちながら、運行開始当初のそれは、旧型車の寄せ集め的なやりくりの中から歩みを始めたのでした。

 そのような〝序章〟を踏まえたうえで、昭和41年(1966年)に、京都線の特急車としては初の新製車両となる「18200系」が登場しました。2両編成×5編成(計10両)がお目見えし、京都線特急の近代化が図られたのです。


 18200系は、当時、架線電圧と車両限界の違いから直通運転が不可能だった、

「京都・橿原線から大阪線への乗り入れ」(京都~伊勢間の直通運転)

を実現させるべく製造された車両です。

 車体は、車両限界が小さかった京都線に寸法を合わせつつ大阪線でも使用できる構造とし、架線電圧についても、京都線(600ボルト)・大阪線(1500ボルト)の両方に対応できる「複電圧車両」となったことが特筆できます。また、モーター出力も、大阪線の連続勾配区間を走破できるパワーが備えられました。
 異なる車両限界、異なる架線電圧、を克服した意欲作として評価されたのか、18200系は、昭和42年に近鉄電車では3度目となる「ブルーリボン賞」に輝きました。優秀な車両です。

 18200系の登場によって、京都駅発着の特急列車は運転区間が拡大し、京都~宇治山田間(当時)の直通運転が可能になりました。現在は賢島まで走っている〝京伊特急〟の始まりです。

 18200系は新製車両として登場しましたが、車体幅が抑えられたこともあって寸法的に「回転クロスシート」の装備が難しく、客室座席には「転換クロスシート」が採用されました。
 その後、近鉄特急の装備は「リクライニング式・回転クロスシート」が主流に移ってゆきますが、18200系はリクライニングシートへの取り替えを受けることもなく、最後まで転換クロスシートのままでした。

 登場から二十数年を経た平成元年より特急運用を外れ、改造を受けたのち、団体専用車「あおぞらⅡ」として〝第二の人生〟を歩みました。ちょうど、20100系「あおぞら」号が引退期を迎えていた頃で、後継の団体専用車両として18200系が転用された格好です。
 特急運用で活躍していた頃は、連日あたり前のように京都線を走っていた18200系ですが、定期運用がない「あおぞらⅡ」になってからは姿を見せる機会が減り、京都線でも時折目にする程度でした。

  ◇    ◇    ◇    ◇    ◇

 私は、「あおぞらⅡ」に乗ったことはありませんが、特急運用時代の18200系には何度か乗ったことがあります。ちょうど、昭和60年から平成元年にかけての時期です。今から思えば、18200系が特急運用で活躍した最後の時期ということになります。
 ブルーリボン賞に輝いた車両とはいえ、同じ特急料金を支払って乗るのにリクライニングシートではなくて転換クロスシートというのは、なんだか損をした気分になったものです。
『車内の雰囲気も…、6300系(阪急)のほうが上品ではないか?』と、勝手なことを思ったりもして。

 30000系や12600系(後述)も発着していた京都駅のホームに、18200系が入ってくるのを見ると、正直、『こいつはボロだな…』と思いました。
 18200系が単独で任務に就く「2両編成の特急」も走っていた頃でした。
 それがまた〝賢島行き〟に充てられている日があったりして…。
『こいつが、2両で賢島まで走る気かー!』って。

今となっては、懐かしい記憶です。




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