去る8月30日(金)に、飯田線と、中央本線の辰野支線に乗ってきました。
日が経ってしまったけれど、以下、そのときに写してきた画像を貼りまくりま~す
↑飯田線は、豊橋(愛知県)~辰野(長野県)間を結ぶ全長195.7kmの線です。上の画像(路線図)には、豊橋~伊那市間が記載されています。
豊橋で東海道本線、辰野で中央本線(辰野支線)に接続するほかは、飯田線内の途中駅では他路線との接続(乗り換え駅)は一切ありません。
(あっ、豊川では名鉄線に乗り換えができるな…)
◎ いつものように、きっぷ類は旅行前日に買っておきました。
↑乗車ルートは、まず、京都から新幹線で豊橋へ行き、そこからお目当ての飯田線を走破して辰野へ至り、辰野からは中央本線で塩尻を経て名古屋へ、
最後は名古屋から京都まで新幹線で帰る…、というものです。(辰野支線に乗るぶんの乗車券は、現地で買います)
ほんまに、ただただ、飯田線に乗ってくることだけ …を目的にした乗車券です。
〝ひとふで書きルート〟には収まらないので、今回の乗車券はどうしても2枚に分かれます。
私としては、名古屋市内(名古屋)で区切って、2枚の完全に別個な乗車券にしてもらっても構わなかったんだけれど、
みどりの窓口の駅員さんが今回は「連続乗車券」の形にしてくれました。(それでも切符は2枚組になるんだけど)
↑京都から豊橋までの新幹線特急券。
乗り継ぎプランをあれこれ思案して、私は、『豊橋8時10分発、普通・天竜峡ゆき』に乗って飯田線の旅を始めることにしました。
それに間に合うように豊橋駅へ着けば良いので、この特急券に記されている通り、のぞみ102号&こだま632号のリレーで行くことにしました。
のぞみ102号は、京都駅の発車が6時48分です。
それに乗るためには、私は、自宅を5時45分に出て、近鉄電車で京都駅へ向かわないといけません。
「ほほう、5時45分に出発かぁ~ なんか、予想以上に〝早出〟やな…」
自分で立てた計画に、自分で驚く、私でありました。
頑張って、早起きしよう
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
明けて、8月30日、金曜日。
〝ハッ〟と気が付いたのは、布団の上で…、でした。
枕元の時計を見ると、午前5時51分を示していました。
ガビーーン
『ありゃりゃ… やってしまった~』
寝過ごしましたー
5時45分に家を出ようと思っていたのに、すでにその時を過ぎてしまっています
今さら、どう頑張っても、予定していた近鉄電車には間に合いません。
したがって、京都駅から乗る予定にしていた「のぞみ102号」にも、間に合いません。
ということは、つまり、乗車するつもりだった『豊橋8時10分発の飯田線(天竜峡ゆき)』にも間に合わない …ことが、フトンの上で、即・決定ー
せっかく立てた乗り継ぎプランが、一瞬にして、ドミノのように崩壊していく感じです。 ひさん…
目覚ましのセットを忘れていたわけではなく、実際、私は朝5時過ぎに、アラーム音で目を覚ました記憶があります。
その際、布団の上で一度起き上がったのだけれど、直後…、どういう手違いがあったものなのか、〝二度寝〟してしまったんやね~。(あはは)
しゃーないですね。
済んだことは、もう仕方がないですわ。
さて、これから、どうしようか…?
せっかく、切符を買い揃えてあるのだし、それを無駄にしないためにも、やっぱり、きょうは飯田線へ出かけたいです。
寝過ごしたとはいえ、まだ、朝の6時です。
当初案よりも時間を下げて、なんとか、本日、飯田線を走破したいと思います。
あっ、そうだ!
深刻に考えなくても、飯田線で特急列車(伊那路号)を利用したら、この遅れは挽回できるではないか…。
よし、そうしよう!
◎「ひかり号」の自由席で豊橋へ-!
↑6時半すぎに自宅を発ち、近鉄電車で京都駅へ出て、京都7時29分発の「ひかり508号」に乗り込みました。
京都を出ると、米原・岐阜羽島・名古屋・豊橋の順に止まります。
乗り遅れた「のぞみ&こだま」の指定席券を流用して、ひかり号の自由席で京都から豊橋まで行きました。
自由席車内も空いていて、京都から余裕で座ることができました。
豊橋へは、8時45分ごろに着きました。
飯田線 (その1)
豊橋9時08分発→本長篠10時26分着。 515G普通
↑豊橋にて。
新幹線を降りて、跨線橋通路を通り抜け、飯田線ホームにやって来ました。
寝過ごしの影響で()、当初の予定よりも〝1時間遅れ〟で飯田線の旅を始めることになりました
豊橋9時08分発の普通・本長篠ゆきに乗り込み、飯田線に足を踏み入れます!
列車はワンマン運転で、313系の2両編成。
↑豊橋にて。飯田線の電車に乗り込んで、車内からホームを撮影。
隣りの線に停車している赤い電車は、名鉄電車です。
名鉄の豊橋駅ホームは、飯田線のホームとくっ付いています。(…っていうか、共同使用駅と言うのかな)
↑豊橋を発車。
しばらく走ったところで、東海道本線に別れを告げて(?)、飯田線の旅が始まりました。
↑豊橋から約15分で、豊川に着きました。
到着の直前に、名鉄豊川線の線路が寄り添ってきます。
豊川稲荷駅(名鉄)を横目に、こちらは豊川の駅に到着しました。(名鉄豊川稲荷駅と、飯田線の豊川駅は、隣接しています)
↑空は雲に覆われていますな…。この日の天気予報はイマイチでした。
大きく崩れなければ良いのだけれど。
↑東上(とうじょう)にて。
ホーム上に、17kmのキロポストが見えました。豊橋駅から17kmの地点-、という意味です。
何度も言うけれど、飯田線の全長(営業キロ)は195.7km 終点・辰野への道のりは、まだまだ長いです。
↑大海~鳥居間にて、…だったと思う。
新東名(高速道路)の建設現場が見えました。愛知県方面へ向かって、延伸工事が行われているんですね。
↑この313系は、セミクロスシートの車両でした。
↑運行ダイヤは順調で、定刻10時26分に本長篠へ着きました。(この電車の終点です)
↑本長篠にて。
今乗ってきた電車だけが、ぽつんと停留しています。
当駅では接続する列車が無く、この先へ乗り継ぐには、後続の列車を待つしかありません。(←それは承知でここまで来たんやけどね)
約20分の待ち合わせで特急「伊那路1号」がやってくるので、それに乗ろうと思っています。
↑本長篠の駅前。
こじんまりした駅舎があり、待合室になっていました。
駅員も居ました。
↑いま、豊橋から本長篠までやって来ました (先は、まだまだ長いぞ…)
ここからは特急「伊那路1号」に乗り、本長篠から天竜峡まで突っ走ります。
飯田線 (その2)
本長篠10時45分発→天竜峡12時24分着。21M特急
「伊那路1号」
↑本長篠駅にすべり込んでくる、特急「伊那路1号」飯田ゆき。(豊橋から走ってきた列車です)
373系特急電車の3両編成。
今年4月に身延線を訪ねたとき乗車した、特急「ふじかわ号」と同じ形式の車両です。
↑指定席券を買いたがる私も、ここでは自由席車両に乗車。(自由席2号車に乗りました)
車内は、ガラガラでした。
↑本長篠→天竜峡、自由席特急券。1,150円なり。
さきほど、本長篠駅の窓口で買いました。
これが、今朝の寝過ごしの代償、ということになるんだな…
↑本長篠から約35分、11時20分過ぎに中部天竜へ着きました。
ここで、対向列車の特急「伊那路2号」豊橋ゆきと行き違いました。
すでにずいぶん山間にまで踏み入ってきた感じがするのだけれど、意外なことに、この駅の駅名標に書かれた〝所在地(住所)〟は、
「浜松市天竜区」になっているじゃ、あ~りませんか
中部天竜は浜松市内にある駅なのですね。なんか、新鮮な発見 (浜松市って、結構広いんやね)
↑中部天竜を出ると、ますます山深い区間へ進んでいきました。
ちなみに、中部天竜~大嵐(おおぞれ)間は、戦後、佐久間ダムの建設に伴って飯田線の線路が大幅に付け替えられた(=ルート変更された)区間だそう。
旧線は佐久間ダムに沈んだそうなので、今ある佐久間ダム(佐久間湖)に沿うような位置関係で、もともとの飯田線は線路が敷かれていたことになります。
現在の飯田線は、佐久間ダムを避けるために、おおきく迂回して通っています。
↑車窓も、山々に囲まれた風景になってきました。
↑城西(しろにし)~向市場(むかいちば)間にある、有名な「渡らずの橋」にさしかかりました。
よっしゃ、写すでぇー
まあ…、この肝心な場面でピンボケに仕上げてみせるのが私らしいなー、と自分でも思うけれど
第六水窪川鉄橋、というのが正しい名前です。
このあたりも、佐久間ダム建設による線路付け替えで出来た区間です。
↑おっ…、これは、さっきよりも見やすく写せました
鉄橋が大きくカーブしているという、独特な形状です。
こっちの岸から鉄橋にさしかかり、あっちの岸へ渡ると見せかけて、渡りきらず、こっちの岸にまた戻ってくるという鉄橋です
それで、「渡らずの橋」と呼ばれるんやね。
川沿いの地形がとても険しいので、こういう線路の敷き方になっているようです。
↑水窪(みさくぼ)にて。伊那路号の停車駅。
↑水窪から先には、秘境駅としても知られる小和田駅などが控える〝見ておくべき〟区間が続くのですが…、ここで、わし、寝てしまった
睡魔のしわざです。スイマせん…って。(ごまかすなー)
↑ふと気が付くと、平岡に着くところでした (特急停車駅です)
(水窪→平岡間の記憶が、きれいに抜けてしまった…)
↑温田(ぬくた)。ここも特急停車駅。
↑トンネルも幾度となく通り抜けました。
本長篠で私が乗り込んだあとも、いくつか停車駅がありましたが、乗客が増えることはなく、ガラーンとした車内のままでした。
特急列車というものの、高速で駆け抜けるイメージはなく、カーブが連続する山間の線路を焦らずにこつこつと走っていく感じでした。
↑天竜峡に着きます。
到着の際、隣りのホームにちらっと見えた普通電車。
『次に乗るのは、あの電車だな…』と思いながら、私は伊那路1号を降りました。
↑天竜峡までやってきました。
営業キロでいうと、豊橋から116.2kmです。辰野まで、残り79.5km。
飯田線 (その3)
天竜峡12時35分発→辰野15時40分着。 225M普通
↑ここまで乗ってきた「伊那路1号」が発車していきます。
その隣りに、213系の「普通」が待っています。これが、天竜峡始発12時35分の普通・茅野ゆきです。(ワンマンではなく、車掌あり)
当初の乗り継ぎプランで、私が乗る予定にしていたのがこの列車です。
特急伊那路を利用したことで、今朝の寝過ごしによる遅れは、この時点で完全に取り戻せました どうも、お騒がせしました。
↑当初のプランに〝追いついた〟のはいいけれど、途中下車する暇が無くなってしまったな…
残念だけど、きょうは飯田線走破に専念しようと思います。(なにぶん、日帰りなので)
↑時又(ときまた)にて。対向列車544M、豊橋ゆきと行き違いました。
544Mは、上諏訪9時19分発→豊橋16時16分着の長時間運行の列車です。
こういう列車を選んで乗れば、途中の乗り換えなしで、飯田線を全線走破できるわけです。
(しかし、それは、体力的・精神的に、ものすごく大変なことらしい 私には、それをする勇気が無かった…)
↑路線名の由来になっている、飯田に着きました。
豊橋とを結ぶ特急伊那路が走るのは、この飯田まで。
飯田から先、辰野方面へは、1日1往復の快速列車があるほかは、すべて普通(各駅停車)列車で運行されています。
↑元善光寺にて。
対向列車1414M、天竜峡ゆきと行き違いました。
↑田んぼは、けっこう色づいていました。
うちの近所(京都南部)よりも、1か月ぐらい早いように思えました。
↑伊那大島にて。
『んっ? また行き違いか? なかなか運転本数が多いなぁ』と勝手に感心していたら、ここでは、保線作業用の車両が姿を見せました。
↑対向線の保線車両ごしに、伊那大島の駅名標を見る。
↑七久保にて。
対向列車554M、豊橋ゆきと行き違いました。
『時刻表』の記載に基づけば、中部天竜までが554Mで、中部天竜から先は554Gに変わって、そのまま豊橋まで行くみたい。
実際の列車の行先表示は、この時点ですでに「豊橋」と表示されています。
↑伊那福岡にて。
途中の駅では少しずつ乗り降りがありましたが、乗客が大きく入れ替わるような場面は見られず、終始、静かな車内でした。
↑駒ケ根(こまがね)に到着しました。
このあたりで、とうとう、雨が降り始めました…
基本的にきょうは、雨の予報が出ていたからな。仕方ないですわ。
↑こまがね、の駅名標。
良い響きの駅名だなぁと思います。
↑これも、駒ケ根にて。
私が乗ってきた列車は、駒ケ根で19分間停車しました。そういうダイヤです。ノンビリしてる
停留時間を利用して、ホームに降り、車両を写しておきました。
211系と同じ顔つきをしている、2ドア仕様の213系(5000番台)です。
もともと、関西本線の名古屋~亀山間で運用されていた形式だと思うけど、現在は関西本線にも313系が配備されて〝メンバー交代〟が行われたようで、
213系は飯田線で運用されるようになっているんやね。
↑見た目もすっきりしていて、いい感じの転換クロスシートです。
↑駒ケ根で19分間停留している最中に、対向列車216M・飯田ゆきが到着し、すぐに発車していきました。
↑電車内に掲示してあった、JR東海路線マップ。
飯田線…、駅が多い 両端の豊橋・辰野を除くと、飯田線内には92個の駅があるのです。
↑伊那市から辰野までの路線図です。
↑伊那市にて。
辰野まで、あと30分ちょっと!
↑伊那市を出ると、ここまで山間の風景が多かった車窓に、ひととき、街並みの風景が流れていきました。
↑伊那松島にて。
対向列車218M、飯田ゆきと行き違いしました。あちらも213系でした。
↑このあとの予定ですが、辰野へ着いたら、そのままこの列車に乗り続けて、岡谷まで行こうと思っています。
岡谷~辰野~塩尻をつなぐ中央本線の「辰野支線」にも、きょう、乗っておこうと思うからです。
私の手元にある乗車券から漏れる、辰野~岡谷間の往復切符を、さきほど駒ケ根での19分停車中に車掌から買っておきました。
↑伊那松島。
いよいよ辰野まで残りわずかですが、この駅で車掌が交代しました。
さっき車掌から買った往復切符にも印字されていたけれど、伊那松島運輸区っていう拠点があるんやね。
↑伊那松島を発車すると、車庫も見えました。
↑辰野駅にすべりこんでいきます
定刻15時40分に、辰野へ着きました。着いたぞー
↑辰野にて。(JR東海とJR東日本の境界駅です)
これで、きょうの目的だった、飯田線195.7kmを全線乗車したことになります。
列車はここで8分ほど停留し、ひといき入れます
先ほども書いたように、私は引き続きこの列車に乗って、岡谷まで行ってきます
日が経ってしまったけれど、以下、そのときに写してきた画像を貼りまくりま~す
↑飯田線は、豊橋(愛知県)~辰野(長野県)間を結ぶ全長195.7kmの線です。上の画像(路線図)には、豊橋~伊那市間が記載されています。
豊橋で東海道本線、辰野で中央本線(辰野支線)に接続するほかは、飯田線内の途中駅では他路線との接続(乗り換え駅)は一切ありません。
(あっ、豊川では名鉄線に乗り換えができるな…)
◎ いつものように、きっぷ類は旅行前日に買っておきました。
↑乗車ルートは、まず、京都から新幹線で豊橋へ行き、そこからお目当ての飯田線を走破して辰野へ至り、辰野からは中央本線で塩尻を経て名古屋へ、
最後は名古屋から京都まで新幹線で帰る…、というものです。(辰野支線に乗るぶんの乗車券は、現地で買います)
ほんまに、ただただ、飯田線に乗ってくることだけ …を目的にした乗車券です。
〝ひとふで書きルート〟には収まらないので、今回の乗車券はどうしても2枚に分かれます。
私としては、名古屋市内(名古屋)で区切って、2枚の完全に別個な乗車券にしてもらっても構わなかったんだけれど、
みどりの窓口の駅員さんが今回は「連続乗車券」の形にしてくれました。(それでも切符は2枚組になるんだけど)
↑京都から豊橋までの新幹線特急券。
乗り継ぎプランをあれこれ思案して、私は、『豊橋8時10分発、普通・天竜峡ゆき』に乗って飯田線の旅を始めることにしました。
それに間に合うように豊橋駅へ着けば良いので、この特急券に記されている通り、のぞみ102号&こだま632号のリレーで行くことにしました。
のぞみ102号は、京都駅の発車が6時48分です。
それに乗るためには、私は、自宅を5時45分に出て、近鉄電車で京都駅へ向かわないといけません。
「ほほう、5時45分に出発かぁ~ なんか、予想以上に〝早出〟やな…」
自分で立てた計画に、自分で驚く、私でありました。
頑張って、早起きしよう
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
明けて、8月30日、金曜日。
〝ハッ〟と気が付いたのは、布団の上で…、でした。
枕元の時計を見ると、午前5時51分を示していました。
ガビーーン
『ありゃりゃ… やってしまった~』
寝過ごしましたー
5時45分に家を出ようと思っていたのに、すでにその時を過ぎてしまっています
今さら、どう頑張っても、予定していた近鉄電車には間に合いません。
したがって、京都駅から乗る予定にしていた「のぞみ102号」にも、間に合いません。
ということは、つまり、乗車するつもりだった『豊橋8時10分発の飯田線(天竜峡ゆき)』にも間に合わない …ことが、フトンの上で、即・決定ー
せっかく立てた乗り継ぎプランが、一瞬にして、ドミノのように崩壊していく感じです。 ひさん…
目覚ましのセットを忘れていたわけではなく、実際、私は朝5時過ぎに、アラーム音で目を覚ました記憶があります。
その際、布団の上で一度起き上がったのだけれど、直後…、どういう手違いがあったものなのか、〝二度寝〟してしまったんやね~。(あはは)
しゃーないですね。
済んだことは、もう仕方がないですわ。
さて、これから、どうしようか…?
せっかく、切符を買い揃えてあるのだし、それを無駄にしないためにも、やっぱり、きょうは飯田線へ出かけたいです。
寝過ごしたとはいえ、まだ、朝の6時です。
当初案よりも時間を下げて、なんとか、本日、飯田線を走破したいと思います。
あっ、そうだ!
深刻に考えなくても、飯田線で特急列車(伊那路号)を利用したら、この遅れは挽回できるではないか…。
よし、そうしよう!
◎「ひかり号」の自由席で豊橋へ-!
↑6時半すぎに自宅を発ち、近鉄電車で京都駅へ出て、京都7時29分発の「ひかり508号」に乗り込みました。
京都を出ると、米原・岐阜羽島・名古屋・豊橋の順に止まります。
乗り遅れた「のぞみ&こだま」の指定席券を流用して、ひかり号の自由席で京都から豊橋まで行きました。
自由席車内も空いていて、京都から余裕で座ることができました。
豊橋へは、8時45分ごろに着きました。
飯田線 (その1)
豊橋9時08分発→本長篠10時26分着。 515G普通
↑豊橋にて。
新幹線を降りて、跨線橋通路を通り抜け、飯田線ホームにやって来ました。
寝過ごしの影響で()、当初の予定よりも〝1時間遅れ〟で飯田線の旅を始めることになりました
豊橋9時08分発の普通・本長篠ゆきに乗り込み、飯田線に足を踏み入れます!
列車はワンマン運転で、313系の2両編成。
↑豊橋にて。飯田線の電車に乗り込んで、車内からホームを撮影。
隣りの線に停車している赤い電車は、名鉄電車です。
名鉄の豊橋駅ホームは、飯田線のホームとくっ付いています。(…っていうか、共同使用駅と言うのかな)
↑豊橋を発車。
しばらく走ったところで、東海道本線に別れを告げて(?)、飯田線の旅が始まりました。
↑豊橋から約15分で、豊川に着きました。
到着の直前に、名鉄豊川線の線路が寄り添ってきます。
豊川稲荷駅(名鉄)を横目に、こちらは豊川の駅に到着しました。(名鉄豊川稲荷駅と、飯田線の豊川駅は、隣接しています)
↑空は雲に覆われていますな…。この日の天気予報はイマイチでした。
大きく崩れなければ良いのだけれど。
↑東上(とうじょう)にて。
ホーム上に、17kmのキロポストが見えました。豊橋駅から17kmの地点-、という意味です。
何度も言うけれど、飯田線の全長(営業キロ)は195.7km 終点・辰野への道のりは、まだまだ長いです。
↑大海~鳥居間にて、…だったと思う。
新東名(高速道路)の建設現場が見えました。愛知県方面へ向かって、延伸工事が行われているんですね。
↑この313系は、セミクロスシートの車両でした。
↑運行ダイヤは順調で、定刻10時26分に本長篠へ着きました。(この電車の終点です)
↑本長篠にて。
今乗ってきた電車だけが、ぽつんと停留しています。
当駅では接続する列車が無く、この先へ乗り継ぐには、後続の列車を待つしかありません。(←それは承知でここまで来たんやけどね)
約20分の待ち合わせで特急「伊那路1号」がやってくるので、それに乗ろうと思っています。
↑本長篠の駅前。
こじんまりした駅舎があり、待合室になっていました。
駅員も居ました。
↑いま、豊橋から本長篠までやって来ました (先は、まだまだ長いぞ…)
ここからは特急「伊那路1号」に乗り、本長篠から天竜峡まで突っ走ります。
飯田線 (その2)
本長篠10時45分発→天竜峡12時24分着。21M特急
「伊那路1号」
↑本長篠駅にすべり込んでくる、特急「伊那路1号」飯田ゆき。(豊橋から走ってきた列車です)
373系特急電車の3両編成。
今年4月に身延線を訪ねたとき乗車した、特急「ふじかわ号」と同じ形式の車両です。
↑指定席券を買いたがる私も、ここでは自由席車両に乗車。(自由席2号車に乗りました)
車内は、ガラガラでした。
↑本長篠→天竜峡、自由席特急券。1,150円なり。
さきほど、本長篠駅の窓口で買いました。
これが、今朝の寝過ごしの代償、ということになるんだな…
↑本長篠から約35分、11時20分過ぎに中部天竜へ着きました。
ここで、対向列車の特急「伊那路2号」豊橋ゆきと行き違いました。
すでにずいぶん山間にまで踏み入ってきた感じがするのだけれど、意外なことに、この駅の駅名標に書かれた〝所在地(住所)〟は、
「浜松市天竜区」になっているじゃ、あ~りませんか
中部天竜は浜松市内にある駅なのですね。なんか、新鮮な発見 (浜松市って、結構広いんやね)
↑中部天竜を出ると、ますます山深い区間へ進んでいきました。
ちなみに、中部天竜~大嵐(おおぞれ)間は、戦後、佐久間ダムの建設に伴って飯田線の線路が大幅に付け替えられた(=ルート変更された)区間だそう。
旧線は佐久間ダムに沈んだそうなので、今ある佐久間ダム(佐久間湖)に沿うような位置関係で、もともとの飯田線は線路が敷かれていたことになります。
現在の飯田線は、佐久間ダムを避けるために、おおきく迂回して通っています。
↑車窓も、山々に囲まれた風景になってきました。
↑城西(しろにし)~向市場(むかいちば)間にある、有名な「渡らずの橋」にさしかかりました。
よっしゃ、写すでぇー
まあ…、この肝心な場面でピンボケに仕上げてみせるのが私らしいなー、と自分でも思うけれど
第六水窪川鉄橋、というのが正しい名前です。
このあたりも、佐久間ダム建設による線路付け替えで出来た区間です。
↑おっ…、これは、さっきよりも見やすく写せました
鉄橋が大きくカーブしているという、独特な形状です。
こっちの岸から鉄橋にさしかかり、あっちの岸へ渡ると見せかけて、渡りきらず、こっちの岸にまた戻ってくるという鉄橋です
それで、「渡らずの橋」と呼ばれるんやね。
川沿いの地形がとても険しいので、こういう線路の敷き方になっているようです。
↑水窪(みさくぼ)にて。伊那路号の停車駅。
↑水窪から先には、秘境駅としても知られる小和田駅などが控える〝見ておくべき〟区間が続くのですが…、ここで、わし、寝てしまった
睡魔のしわざです。スイマせん…って。(ごまかすなー)
↑ふと気が付くと、平岡に着くところでした (特急停車駅です)
(水窪→平岡間の記憶が、きれいに抜けてしまった…)
↑温田(ぬくた)。ここも特急停車駅。
↑トンネルも幾度となく通り抜けました。
本長篠で私が乗り込んだあとも、いくつか停車駅がありましたが、乗客が増えることはなく、ガラーンとした車内のままでした。
特急列車というものの、高速で駆け抜けるイメージはなく、カーブが連続する山間の線路を焦らずにこつこつと走っていく感じでした。
↑天竜峡に着きます。
到着の際、隣りのホームにちらっと見えた普通電車。
『次に乗るのは、あの電車だな…』と思いながら、私は伊那路1号を降りました。
↑天竜峡までやってきました。
営業キロでいうと、豊橋から116.2kmです。辰野まで、残り79.5km。
飯田線 (その3)
天竜峡12時35分発→辰野15時40分着。 225M普通
↑ここまで乗ってきた「伊那路1号」が発車していきます。
その隣りに、213系の「普通」が待っています。これが、天竜峡始発12時35分の普通・茅野ゆきです。(ワンマンではなく、車掌あり)
当初の乗り継ぎプランで、私が乗る予定にしていたのがこの列車です。
特急伊那路を利用したことで、今朝の寝過ごしによる遅れは、この時点で完全に取り戻せました どうも、お騒がせしました。
↑当初のプランに〝追いついた〟のはいいけれど、途中下車する暇が無くなってしまったな…
残念だけど、きょうは飯田線走破に専念しようと思います。(なにぶん、日帰りなので)
↑時又(ときまた)にて。対向列車544M、豊橋ゆきと行き違いました。
544Mは、上諏訪9時19分発→豊橋16時16分着の長時間運行の列車です。
こういう列車を選んで乗れば、途中の乗り換えなしで、飯田線を全線走破できるわけです。
(しかし、それは、体力的・精神的に、ものすごく大変なことらしい 私には、それをする勇気が無かった…)
↑路線名の由来になっている、飯田に着きました。
豊橋とを結ぶ特急伊那路が走るのは、この飯田まで。
飯田から先、辰野方面へは、1日1往復の快速列車があるほかは、すべて普通(各駅停車)列車で運行されています。
↑元善光寺にて。
対向列車1414M、天竜峡ゆきと行き違いました。
↑田んぼは、けっこう色づいていました。
うちの近所(京都南部)よりも、1か月ぐらい早いように思えました。
↑伊那大島にて。
『んっ? また行き違いか? なかなか運転本数が多いなぁ』と勝手に感心していたら、ここでは、保線作業用の車両が姿を見せました。
↑対向線の保線車両ごしに、伊那大島の駅名標を見る。
↑七久保にて。
対向列車554M、豊橋ゆきと行き違いました。
『時刻表』の記載に基づけば、中部天竜までが554Mで、中部天竜から先は554Gに変わって、そのまま豊橋まで行くみたい。
実際の列車の行先表示は、この時点ですでに「豊橋」と表示されています。
↑伊那福岡にて。
途中の駅では少しずつ乗り降りがありましたが、乗客が大きく入れ替わるような場面は見られず、終始、静かな車内でした。
↑駒ケ根(こまがね)に到着しました。
このあたりで、とうとう、雨が降り始めました…
基本的にきょうは、雨の予報が出ていたからな。仕方ないですわ。
↑こまがね、の駅名標。
良い響きの駅名だなぁと思います。
↑これも、駒ケ根にて。
私が乗ってきた列車は、駒ケ根で19分間停車しました。そういうダイヤです。ノンビリしてる
停留時間を利用して、ホームに降り、車両を写しておきました。
211系と同じ顔つきをしている、2ドア仕様の213系(5000番台)です。
もともと、関西本線の名古屋~亀山間で運用されていた形式だと思うけど、現在は関西本線にも313系が配備されて〝メンバー交代〟が行われたようで、
213系は飯田線で運用されるようになっているんやね。
↑見た目もすっきりしていて、いい感じの転換クロスシートです。
↑駒ケ根で19分間停留している最中に、対向列車216M・飯田ゆきが到着し、すぐに発車していきました。
↑電車内に掲示してあった、JR東海路線マップ。
飯田線…、駅が多い 両端の豊橋・辰野を除くと、飯田線内には92個の駅があるのです。
↑伊那市から辰野までの路線図です。
↑伊那市にて。
辰野まで、あと30分ちょっと!
↑伊那市を出ると、ここまで山間の風景が多かった車窓に、ひととき、街並みの風景が流れていきました。
↑伊那松島にて。
対向列車218M、飯田ゆきと行き違いしました。あちらも213系でした。
↑このあとの予定ですが、辰野へ着いたら、そのままこの列車に乗り続けて、岡谷まで行こうと思っています。
岡谷~辰野~塩尻をつなぐ中央本線の「辰野支線」にも、きょう、乗っておこうと思うからです。
私の手元にある乗車券から漏れる、辰野~岡谷間の往復切符を、さきほど駒ケ根での19分停車中に車掌から買っておきました。
↑伊那松島。
いよいよ辰野まで残りわずかですが、この駅で車掌が交代しました。
さっき車掌から買った往復切符にも印字されていたけれど、伊那松島運輸区っていう拠点があるんやね。
↑伊那松島を発車すると、車庫も見えました。
↑辰野駅にすべりこんでいきます
定刻15時40分に、辰野へ着きました。着いたぞー
↑辰野にて。(JR東海とJR東日本の境界駅です)
これで、きょうの目的だった、飯田線195.7kmを全線乗車したことになります。
列車はここで8分ほど停留し、ひといき入れます
先ほども書いたように、私は引き続きこの列車に乗って、岡谷まで行ってきます