ヌルボ・イルボ    韓国文化の海へ

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明洞からほど近い、ソウル・南山北麓の歴史記憶エリア ②韓国統監官邸跡にできた「慰安婦記憶の場」の象徴物とその意味

2017-04-21 23:58:35 | 韓国の街ネタ、観光ポイント、店・施設等
 → <明洞からほど近い、ソウル・南山北麓の歴史記憶エリア ①韓国統監府と、KCIAと、そして・・・>


 4月9日の記事の末尾で、2016年8月29日統監官邸跡に新たに造られた「慰安婦記憶の場」(上画像)の除幕式が行われたことを続く記事の予告の意味合いで書きました。
 その後10日以上も経ってしまったのは、慰安婦関係という厄介な問題に対して、私ヌルボとしてはどう考えているのかを前提として書いておこうなどと思ったからです。ところが結局長くなりすぎ収拾がつかなくなって断念。で、とりあえずは「いわゆる「反日」でも「嫌韓」でもない」こと、また「どちらに対しても批判点、あるいは疑問に思っていることがいろいろある」ことだけを記しておきます。

 さて、「慰安婦記憶の場」ですが、除幕式のニュース記事(聯合ニュース)は→コチラで読めます。
 また、準備段階だった2015年11月に早くも青さんがすでにブログ記事(→コチラ)で取り上げているのはさすがです。また2016年6月29日の起工式のことも→コチラで取り上げていますが、そこで「その場所に象徴的な意味を込めることに、どちらかと言えば計画の主眼があるのでしょう」と記しているのは、完成後の説明記事等を見ればまさにその通りです。
 この記事の本論は見出しの通りですが、まずこの施設の概容を画像で紹介します。


 「世界のへそ」の意味は、上画像の説明を読むまでわかりませんでした。すくなくとも韓国の運動推進団体&個人にはこのようなイメージ(産婦と胎児)があることは注目すべきことだと思います。(後述の本論にも関わる。)

      
 上画像がその「世界のへそ」。韓・英・日・中4ヵ国語で「記憶されない歴史は繰り返される」と刻まれています。
 除幕式では、カリグラファー(書芸家)のカン・ビョンイン氏がこのフレーズを大きく書き、参席した人たちがそれを掲げるというパフォーマンスがありました。(右画像) ※カン・ビョンイン氏は、人気の韓国焼酎チャミスルのラベルの字を書いた人です。
 この言葉は、「畿湖(キホ)日報」の記事(→コチラ.韓国語)によると2016年「親日人名辞典」に掲載された4389人の行跡を筆写する汎国民運動を始めたソウル市議会が掲げたスローガンでもあります。そして元はというと、アウシュビッツ収容所の前に刻まれた言葉・・・といくつかの韓国記事にあるのをたよりに(かなりテマヒマかけて)探してみると、アウシュビッツ収容所第4棟の入り口に掲げられれているジョージ・サンタヤーナ(1863~1952.アメリカの哲学者)の言葉「The one who does not remember history is bound to live through it again.」であることが判明。(→コチラの記事中の画像参照。) しかし「世界のへそ」の英文は「History not remembered is repeated」だしなー。「世界のへそ」にこの言葉を刻んだ人たちは出典とかにはこだわらないということか。(わかるような気がします。) 
 ※2013年9月の「中央日報」(日本語版)のコラム<アウシュビッツの影=韓国>(→コチラ)「ポーランド語と英語で書かれたジョージ サンタヤーナの警句を見た瞬間、この名言を日本語でも記録しておけばという考えを浮かんだ。」とあるように、いろんなことが相互に結びついているように思えます。

      
 そしてこの部分が「大地の目」。なるほど、目のように見えます。
 碑面の左の方には慰安婦被害者247人の名前、中央部分には時期ごとの証言が刻まれています。

 そして右の方の絵は何かというと・・・。
      
 金順徳(1921~2004)さんが描いた「連れていかれる」という絵です。右が原画。で、この彼女の手を引っ張っているのは誰だと思いますか? いくつかの記事を比較してみると、「1937年17歳の時、日本の工場で働く女工を募集している朝鮮人の男にだまされ・・・」というのもあれば「職業紹介業者と称する日本人にだまされ」というのもあり、また「日本軍に連れられていく」というのもあります。順番に→コチラの「元慰安婦の証言の信憑性を検証する」と銘打ったブログ記事、次が「しんぶん赤旗」の記事、3つめはソウルの韓国歴史博物館で2014年に開かれた慰安婦特別展の説明文。それにしても、なんと「わかりやすい」のだろう! 「朝鮮人」で、「無理に手を引っ張って、ではない」にしても、だまして本人の意思を無視して非人間的な「仕事場」に押し込めれば十分すぎるほど問題だと思うのに・・・。(個別の「事実」を尊重しないから全体的にウソっぽく見えてしまう、ということを運動団体は考えないのだろうか?)

 さて、ここまできてやっと本論です。(ありゃりゃ)
 ・・・というのが当初の心づもりだったのですが、するとさらに延々と文章が続くし、ここまででもまあなんとか見出しを変えればそれなりにまとまっているかも、と思って方針変更。
 このシリーズの続きは(いつになるかわからない)中央情報部関係の記事にして、予定していた本論は続きは別立ての記事にします。