ヌルボ・イルボ    韓国文化の海へ

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崔仁浩の小説「阿呆クラブ」 懐かしく描かれた70年代の高校生群像

2009-09-13 19:34:08 | 韓国の小説・詩・エッセイ
     
 1960年代から数多くの小説を出している韓国の代表作家の一人崔仁浩(チェ・イノ)が昨年刊行した「阿呆クラブ」を読了しました。

 崔仁浩といえば、「チャングムの誓い」「ホジュン」と並んで三大歴史ドラマとされる「商道」の原作者ですが、私ヌルボはドラマも観てないし、原作本も読んでませんです、はい。
 「鯨捕り」や「神様こんにちは」等々、彼が原作の映画はいくつか観てますが、小説は翻訳も含めてこれが初めてです。

 原題は「モジョリクラブ(머저리 크럽)」。モジョリでも<ことごとく>の方の<모조리>ではなく、こちらは<あほ、馬鹿、うすのろ>という意味の俗語だそうです。

 内容は、トンスンという少年を中心にした男子高校生グループの成長小説。時代は1970年代です。
 冒頭は、高1のクラスに最近転校してきた生徒を、「生意気だ、やっつけたろ」ということで呼び出して・・・
・・・・というハミダシ高校生によくある、というか、月並みな話から始まって、さてそれからハミダシぶりがいかに展開するのかと思ったら、逆に主人公トンスンをはじめ、どんどんマジメになっていくではないですか! 

 青春物の常で、女子高校生たちも登場して、一目惚れの相手の後をつけたり、失恋みたいなこともあったり、ツキアイも始まるのですが、どこまでも健全。男女間ではパンマル(くだけた話し方)は使われず、親しくなっても丁寧語(チョンデマル)が維持されます。何よりも、基本的にプラトニックなんですよ。

 彼らがまじめな高校生をわくをはみ出すことができないのは、大学受験勉強という宿命のレールから外れるわけにはいかないからです。

 ・・・・読んでいて、私ヌルボ自身の高校生活とずいぶん重なることが多いのに驚きました。
 ヌルボの場合は1960年代の日本。70年代の韓国とは、国の体制や社会の体制がかなり違うはずなのに、懐かしささえ感じられるほどによく似ています。
悩みながらも、時に反抗しながらも、なんのかんの言いながらも、結局は受験勉強に収斂していってしまう・・・。

 そして教養主義。
 トンスンが思い起こしたり、時に彼女への手紙に書いたりする詩の多いこと!
 詩人の名だけすべて羅列すると以下のようになります。
 趙炳華(チョ・ビョンファ)・金光林(キムグァンニム)・朴木月(パク・モグォル)・高銀(コ・ウン)・姜恩橋(カン・ウンギョ)・馬鍾基(マ・ジョンギ)・黄明杰(ファン・ミョンゴル)・鄭玄宗(チョン・ヒョンジョン)・李炯基(イ・ヒョンギ)・朴在森(パク・ジェサム)・朴成龍(パク・ソンヨン)。
 ・・・・すごいなー!

 美術館(!)で偶然会った(!)彼女に、リルケの詩(!)を暗唱したり、日記に「ヴァレリーの詩のように、「風立ちぬ。いざ生きめやも!」という詩の一説をふと思い出した」などと記す高校生は、日本では2,30年前に絶滅しているのではないかでしょうか?
※「風立ちぬ。・・・」は韓国語だと<パラミプンダ。サラヤゲッタ>、こっちがわかりやすい?

 ヌルボも、高校の時「空わたり雲は行き 野を吹きて風は過ぎ・・・」というヘッセの詩等々を暗唱してたのを思い出しましたよ、ハハハ。ただ、彼女にそれを聞かせたりはしなかったですが・・・。(注:単に彼女がいなかっただけ。)

 トンスンが読んだ小説も多いですが、コチラはほとんど洋モノ。「異邦人」「罪と罰」「風と共に去りぬ」「テス」「三国志」「嵐が丘」「若きウェルテルの悩み」・・・。懐かしいなあ・・・・
 ・・・って、おっと、「8番目の曜日」とか「エヴァンジェリン」とか「ドイツ人の愛」ってのは何だ? と思って調べると、「8番目の曜日」はポーランドの作家マレク・フラスコの小説で1959年に訳書が出てる。「エヴァンジェリン」はロングフェローの詩で、岩波文庫にあるって? あ、そう(一瞬の昭和天皇)  「ドイツ人の愛」はマックス・ミュラー、って昔「愛は永遠に」の題で角川文庫で出てたって、知りませんなー・・・。
 韓国の小説は代表的短編「にわか雨(ソナギ)」だけですか。
「エヴァンジェリン」は、内容的を見てみると、韓国の人たちには熱く受け入られる要素があるかも、と思いました。

 音楽では、異性の友人にプレゼントするレコードとして選ばれたのが「ラブストーリー」だったり・・・。街にある音楽鑑賞室(名曲喫茶のようなものだろうか?)でベートーベンを聴いたり・・・。

 このような<教養>を重要視していた当時の高校生は、考えてみれば必ずしも進学率が高くはなかった時代、多少はみ出したりすることがあったにしても、やっぱりエリート的なところがあったんでしょうね。特に名門校にあっては・・・。

 小説の運びが巧みで楽しく読めて、400ページを越える厚めの本ですが、負担なく読み通せました。少し不満があるとすれば、当時の政治・社会について何も描かれず、高校生たちの話題としても出てこないことでしょうか。

 裏表紙に俳優の安聖基(アン・ソンギ)(1952年生まれ)が「高校時代の日記帳を取り出す気分だ」とか「私の人生で一番輝いていた頃がそこにあった」と評し、金柱夏(キム・ジュハ)というMBCの女性キャスターは「この物語の中のどこかに私もいるようです」と記しています。
 日本人でも、ヌルボ以外にも同様の思いを抱く人はけっこういるでしょう。ただし50歳以上ね。

 崔仁浩は1945年生まれだから、この本に登場する高校生たちよりも10歳あまり上の世代です。経歴を見ると、ソウル中学校→ソウル高校→、延世大学校[英文科、というエリートコース一直線。さらには高校時代、韓国日報新春文芸短篇小説に当選して注目され、その後も順調に次々と作品を発表して多くの読者を得ています。

 ヌルボとしては、読んでよかったという本ですが、これは日本語訳で出しても、大量に売れるとか評論家等が好んで取り上げるとかいう類の小説ではなさそうな感じ、かな?