学問空間

『承久記』『五代帝王物語』『とはずがたり』『増鏡』『太平記』『梅松論』等を素材として中世史と中世文学を研究しています。

松村敏「大正中期、諏訪製糸業における女工生活史の一断面」(その1)

2018-11-09 | 松沢裕作『生きづらい明治社会』
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2018年11月 9日(金)11時15分32秒

松村敏氏(神奈川大学教授、1955生)には『戦間期日本蚕糸業史研究 片倉製糸を中心に』(東京大学出版会、1992)という著書があって、諏訪製糸の経営者側の事情に非常に詳しい方ですね。

経済学部経済学科 松村 教授(神奈川大学サイト内)
http://professor.kanagawa-u.ac.jp/econ/economics/prof13.html

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戦間期日本製糸業のトップメーカー片倉製糸の,購繭・生糸生産,販売,利潤獲得面での経営特質と,片倉の地方財閥としての展開を,未公刊の経営資料にもとづき,初めて実証的に分析.蚕種業等関連部門の変容を含めた日本蚕糸業の構造変化,諸特質を展望する.

http://www.utp.or.jp/book/b299607.html

松村氏の「大正中期、諏訪製糸業における女工生活史の一断面─合資岡谷製糸会社の一、二の資料から─」(神奈川大学経済学会『商経論叢』35巻2号、1999)はPDFで全文が読めますが、参照の便宜のために少し転載してみます。

http://klibredb.lib.kanagawa-u.ac.jp/dspace/bitstream/10487/2885/1/35-2P229-262.pdf

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Ⅰ.はじめに

 山本茂実の名著『あゝ野麦峠』刊行以来、製糸女子労働史、とりわけ諏訪の「製糸女工哀史」は一般にも有名になった。それに関する学問的研究も進展し、労働条件、賃金制度や製糸同盟の機能などに関する分厚い研究の蓄積がなされてきた。にもかかわらず、「劣悪な労働条件」を強調する研究が多く重ねられてきた一方で、「女工哀史」批判を主張する人々も少なくない。歴史研究者の間でも、戦前期の製糸女工(さらに他産業の女工)のイメージはまだ確定されているとはいえないと筆者は考えている。すなわち、制度面での研究は進んでも、彼女らの生活・就業スタイル、意識、行動などについては意外に研究が少なく不明な点が多いのであり、それが製糸女工像を不鮮明にしている点があるように思われる。
 本稿は、戦前期諏訪製糸業における代表的な製糸経営の1つであった合資岡谷製糸会社の大正中期の「中途退場」に関する2つの資料から、この時期の諏訪製糸業の女工の就業実態、行動様式の具体相を可能な限り読み取ろうとする試みである。すなわち従来の研究では、女工の就業に関して勤続年数や次年度残留率などはさかんに論じられてきたが、当初の農閑余業的な操業の中での「牧歌的な」就業のあり方から通年操業的に移行していくにつれ、女工が工場により拘束的になっていく過程については、あまり関心がもたれることがなかった。このため器械製糸女工は、あたかもこんにちの工場労働者のように、操業中は原則として通年(春挽から年末閉業時まで)就業していたかのような錯覚に陥りやすい。しかし実際には本稿で明らかにするように、大正中期の大規模器械製糸工場でも通年就業などというイメージとはかなり異なったものであったのである。ではどのような理由で、どの程度の女工たちが「中途退場」し、その後どう行動したのか、そこから何が読み込めるか、これが本稿の課題であり、そこから女工のリアルな姿を浮かび上がらせてみたいと考える。
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「器械製糸女工は、あたかもこんにちの工場労働者のように、操業中は原則として通年(春挽から年末閉業時まで)就業していたかのような錯覚に陥りやすい」とありますが、松沢裕作氏の『生きづらい明治社会』は、この種の「錯覚」の典型例ですね。
松沢氏は「労働時間は長く、提供される食事は貧しく、そして彼女たちは寄宿舎に閉じ込められて生活して」いたことの参考資料として「明治三十年六月二日」付の「製糸工女約定書」を挙げているのですが、これは明らかに春挽には出ず、夏挽だけ働いた人の例ですね。
おそらく印刷された統一書式の契約書なので「明治三十年三月より同年十二月まで、製糸開業中就業の約定致し」云々となっているだけだと思います。
「長池村」ならぬ「長地村」の人なので、通勤工女の可能性が高く、「寄宿舎に閉じ込められて生活して」いた訳でもなさそうなことは既に述べました。
ついでにいうと、この人は十八歳ですから、工女としての勤務を十二・三歳で始める人の多い当時としてはおそらく相当経験豊富な人であり、また「約定金」の五円は有能と評価されている証拠ですから、「百円工女」クラスの高給取りの可能性も高いですね。
ま、松沢氏は特に深く考えることもなく、中村政則『労働者と農民』を鵜呑みにしているだけでしょうが。

松沢裕作『生きづらい明治社会』(その5)~(その7)
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/4c2cc27e21e877f5c7b3716704059bb1
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/516947ede8681179b3deb52958e7f303
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/fc41bdd5e500d67043621a5114e098a3
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