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『拾遺現藻和歌集』の撰者は誰なのか?(その17)

2022-09-23 | 唯善と後深草院二条

「名取河恋」、十五の頭注の解答編です。

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(1)「いへばえにいはねば胸にさはがれて心ひとつに嘆くころかな」(伊勢 三四、新勅撰 十一 恋 在原業平)
(2)「せきかへし猶もる袖の涙かなしのぶもよその心ならぬに」(続古今 十一 恋 源通具)
(3)「おもふには忍ぶることぞ負けにける逢ふにしかへばさもあらばあれ」(伊勢 六五、新古今 十三 恋 在原業平)
(4)「命やは何ぞは露のあだ物をあふにしかへば惜しからなくに」(古今 十二 恋 紀友則)
(5)「逢ふ事の絶えてしなくば中々に人をも身をも恨みざらまし」(拾遺 十一 恋 藤原朝忠)
(6)「君こふる涙しなくは唐衣むねのあたりはいろ燃えなまし」(古今 十二 恋 紀貫之)
(7)「みちのくの忍もぢずり誰ゆゑに乱れそめにし我ならなくに」(伊勢 一、古今 十四 恋 源融)
(8)「竹斑湘浦 雲凝鼓瑟之蹤 鳳去秦台 月老吹簫之地」(和朗 雑 雲 張読)
(9)「我恋は行方もしらずはてもなしあふを限と思ふばかりぞ」(古今 十二 恋 凡河内躬恒)
(10)「夕殿蛍飛思悄然 孤灯挑尽未能眠」(和朗 雑 恋 白居易)
(11)「漢家之三十六宮 澄々粉餝」(和朗 秋 十五夜 公乗億)
(12)「月みればちぢに物こそ悲しけれ我身一つの秋にはあらねど」(古今 四 秋 大江千里)
(13)「形見こそ今はあだなれこれなくは忘るる時もあらましものを」(伊勢 一一九、古今 十四 恋 読人しらず)
(14)「東路の佐野の舟橋かけてのみ思ひ渡るをしる人のなき」(後撰 十 恋 源等)
(15)「名とり川瀬々の埋木顕はればいかにせんとか逢ひみそめけむ」(古今 十三 恋 読人しらず)
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出典の重複がある場合は先の方で数えると、

『古今和歌集』5
『伊勢物語』4
『和漢朗詠集』2
『続古今』『拾遺』『後撰』各1

ですね。
次に「暁別」を見ると、

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  70 暁別〔あかつきのわかれ〕

逢〔あふ〕に別〔わかれ〕のある世とは しりがほにして しらざりけるこそ
はかなけれ <助音>暁思はで何か其〔その〕 逢〔あひ〕みる夢を憑〔たの〕
みけん (1)病鵲〔へいじやく〕のやもめがらす 稀に逢夜〔あふよ〕を驚かす
情〔なさけ〕もしらぬ狂鶏〔うかれどり〕の まだ明〔あけ〕ぬに別を催す
又いつとだにもなき中の(29睦言〔むつごと〕余波〔なごり〕おほかるに
(3)逢人〔あふひと〕からのつらさなれば 秋の夜みじかく明なんとす (4)程は
雲井にわかるとも 空ゆく月のあふ夜まで 忘るなよ契〔ちぎり〕は(5)在明
〔ありあけ〕の強〔つれな〕く見えし暁 (6)後会〔こうくわい〕其期〔そのご〕
はるかにして 袂〔たもと〕を鴻臚〔こうろ〕の露にぬらし 余波をしたふ涙さへ
とまらぬ今朝の面影 (7)一夜の夢の浮橋 とだふる峯の横雲 それさへ絶々
〔たえだえ〕立別〔たちわかれ〕て (8)鶏籠〔けいろう〕の山ぞ明〔あけ〕ぬめる
 惜からぬ命にかへてだに とめん方なき衣々の 其袖の中にやつもるらむ
もろき涙もなくなく帰る路芝の 露をたぐいにかこちても 又夕暮やたのまほし
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という具合いに分量的には「名取河恋」より少し少なくて、頭注も九箇所だけです。
それを見ると、

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(1)「可憎ノ病鵲ノヤモメガラス ヨナカヨナカニ人ヲ驚カス 薄媚トナサケナキ狂鶏ノ ウカレトリ マダアケザルニ暁ヲ唱ナフ」(朗詠九十首抄)(新朗 雑 恋 張文成)
(2)「睦言もまだ尽きなくに明けぬめりいづらは秋のながしてふ夜は」(古今 十九 雑体 凡河内躰恒)
(3)「長しとも思ひぞはてぬ昔よりあふ人からの秋の夜なれば」(同 十三 恋 凡河内躬恒)
(4)「忘るなよほどは雲ゐになりぬとも空ゆく月のめぐり逢ふまで」(伊勢一一、拾遺 八 雑 橘忠基)
(5)「有明のつれなく見えし別れより暁ばかりうきものはなし」(古今 十三 恋 壬生忠岑)
(6)「前途程遠 馳思於雁山之暮雲 後会期遥 霑纓於鴻臚之暁涙」(和朗 雑 餞別 大江朝綱)
(7)「春の夜の夢のうきはしとだえして嶺にわかるる横雲の空」(新古今 一 春 藤原定家)
(8)「僕夫待衢 鶏籠之山欲曙」(新朗 雑 酒 紀斉名)
(9)「惜しからぬ命にかへて目の前の別れをしばしとどめてしがな」(源氏 須磨 紫上)
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ということで、こちらも典拠が重複する場合は先の方で数えると、

『古今和歌集』3
『新古今和歌集』1
『伊勢物語』『源氏物語』各1
『朗詠九十首抄』『和漢朗詠集』『新撰朗詠集』各1

となります。
二条為道の和歌は「十五歳の折の「風寒き裾野のさとの夕ぐれに月待つ人やころもうつらむ」(新後撰四〇七)以下、短い生涯を通じて一貫して平明沈静な二条詠風」(井上宗雄『中世歌壇史の研究 南北朝期 改訂新版』、p52)ですが、早歌はテンポの速い曲に合わせるためか、華やかな語彙が多いですね。
和歌に比べたら比較的気楽に作っているのでしょうが、それでも田舎の人との教養の差を見せつける意図もあってか、和歌・物語・朗詠から引用した表現が盛りだくさんです。

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