学問空間

『承久記』『五代帝王物語』『とはずがたり』『増鏡』『太平記』『梅松論』等を素材として中世史と中世文学を研究しています。

「編集の方」

2015-11-26 | 増鏡
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2015年11月26日(木)09時26分23秒

内容の問題ではないのですが、『歴史と哲学の対話』は少し奇妙な本ですね。
p39以下から引用してみると、

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本郷──現象学でも、やはり後世にゆだねるということになるんですか。
西──後世にゆだねる、というのは正確な言い方ではないですね。史料と史実を踏まえたより説得力のある史像がつくられるか、ということで決まる、というのがより正確です。でももしそういうものがつくられると、何か権力的な力が働かないかぎり、だんだんに認められて広がっていくと思うのですね。ですから「後世に」と言ったのですが。
──たとえば、今の清盛皇胤説ですが、この説に関しては、共通の信憑が成立する土俵はできないのではないでしょうか。そもそもが、事実として確定することができないですよね。
本郷──たしかに、史実としては確定できないものがありますね。
西──そう、まったくの思い描きですね。史実としては確定できない。
──事実として確定できないことを基盤にして史像を組み立てるのは、現象学的にはOKなんですか。そこが歴史の難しいところかな、と思いますので、お尋ねしますが。
西──そうですね。かなり無理な推論をしていると言えるかもしれません。
 しかしやはり、相手の説を打ち砕くためには、「武からする説明」のほうがより首尾一貫し、より歴史のダイナミックな動きを説明し得るということを、打ち出していかないといけないのではないでしょうかね。
──清盛皇胤説は、事実としてはどうしても確認しようのないことだから、今一つ弱いですね。
西──その点は弱いです。明らかに弱い。
──だからこれで説明できる清盛の出世の早さよりも、違うファクターで説明したほうが、より説得力があるとは言えないでしょうか。皇胤説を立てる人は、それが事実かどうかわからないけれども、これなら出世の早さなどを合理的に説明できると言うわけですよね。とすれば、こちらのほうがさらにいっそう合理的に説明できるという理論を立てられれば、そちらのほうが強いということになりますよね。
西──なります。そうだと思います。
──仮説というのは、そういうことではありませんか。要するに、理論の上での話ですから。
西──そうです、仮説の話ですね。
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ということで、明らかに本郷和人・西研氏以外の誰かが参加して相当の分量の発言をし、実質的には鼎談になっているのに、その人の名前があるべき場所には何も記されていない。
この幽霊のような存在は何かというと、p24の西氏の発言で、

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西──やっとここで歴史学に移りますが、歴史学も基本は同じです。僕も本郷さんも、編集の方も、「だれもが同一の時間・空間を生きてきたはずだ」という信憑を持っている。その信憑があるからこそ、「共通の過去」としての歴史が問題となるわけですね。
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と出てくる「編集の方」であり、「はじめに」に登場する「友人の編集者、山崎比呂志さん」なんでしょうね。
まあ、直ちに誤解を生むような書き方ではないにしても、責任の主体が不明確な発言が混在しているのは非常に気持ちが悪いですね。
p24だって、実際には「編集の方」ではなく、「山崎さん」みたいな言い方をしているはずで、「山崎さん(編集者)」てな具合に書けばいいだけじゃないですかね。
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