学問空間

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0051 藤原聖子編著『日本人無宗教説』(その2)

2024-03-08 | 鈴木小太郎チャンネル「学問空間」
第51回配信です。


藤原聖子氏による「はじめに」は、その前半を「じんぶん堂」で読める。

「日本人は無宗教だ」と言うのは、誰が、いつから言い出した?――『日本人無宗教説』(藤原聖子編著)より
https://book.asahi.com/jinbun/article/14926214

「第1章 無宗教だと文明化に影響?―幕末〜明治期」の担当は木村悠之介氏


「日本人無宗教説を最初に述べたのは誰か。容易に答えがたい問題だが、現在まで系譜的につながりをたどれるような議論の場を形成していったという点では、幕末~明治期の訪日欧米人たちによる日本人への観察を画期と考えてよい」(p19)

「幕末~明治期の訪日欧米人たちによる日本人への観察」に付された注(1)には渡辺京二『逝きし世の面影』と渡辺浩『東アジアの王権と思想』が挙げられている。

渡辺京二『逝きし世の面影 日本近代素描Ⅰ』(その1)~(その9)
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/72b38232ba05b1ba00c035c645781c59
【中略】
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/5d0a0f2da2b028ff1e633554d554cc8d
渡辺京二『逝きし世の面影』の若干の問題点(その1)~(その12)
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/5bcfd449a5a474885042425d63bfd23c
【中略】
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/ea34f26b6dc10670eb6411ff825e9ec5

「Religion の不在?」(by 渡辺浩)
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/52635c996a4905b98584c8fff72f46e8
「戯言の寄せ集めが彼らの宗教、僧侶は詐欺師、寺は見栄があるから行くだけのところ」
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/4374da95a1226e9bc0ea736416ba2c70
『東アジアの王権と思想』再読
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/3bd3406a87113eb41b992b55eaa44cdf

※特に注目すべき指摘(p31以下)

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神道は「無宗教」か?

 日本人無宗教説を考えるとき、明治政府による"国家神道"が神社を非宗教だと強弁したことが日本人の無宗教意識を決定づけた、と説明されることが多い。これは、一八八二(明治一五)年以降の政策において、仏教や教派神道(黒住教や大社教などの神道系諸派)、さらに後からキリスト教が「宗教」として扱われたのに対し、神社や皇室祭祀がそれらとは異なる存在として制度的に位置づけられていったことを指す。一九〇〇年に内務省神社局と宗教局が別々に置かれたのはわかりやすい例だ。
 しかし、すでにI・バードや岩倉使節団の事例を引いたように、神道を「宗教」として認めず日本人無宗教説を生み出したのは、キリスト教を強固な基準とする「宗教」理解それ自体だった。神社非宗教という制度は少なくとも当初はこうした線引きを利用しつつ成立したものであり、その日本人無宗教説への影響力を過度に強調すると他の要因や時代的な変化を見えにくくするおそれがある。【後略】
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