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『拾遺現藻和歌集』の撰者は誰なのか?(その1)

2022-09-08 | 唯善と後深草院二条
それでは「昭慶門院二条」を探究すべく、小川剛生氏の『拾遺現藻和歌集 本文と研究』(三弥井書店、1996)を見て行くことにします。

https://www.miyaishoten.co.jp/main/003/3-11/syuigenso.htm

同書は大きく翻刻と「『拾遺現藻和歌集』の研究」に分かれていますが、まずは概要を把握するため、後者の「はじめに」を引用します。(p131以下)

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 鎌倉時代末期成立の私撰和歌集『拾遺現藻和歌集』は、現在のところ田中穣氏旧蔵、国立歴史民俗博物館現蔵の一本が知られるのみである。既に川瀬一馬氏編『田中教忠蔵書目録』(自家版 昭57・11)に於いて、
  拾遺現藻和歌集   一冊。室町末期寫。巻首端少々損缼。「山科蔵書」朱印記を捺す。裏打、大本。
と紹介されているが、その内容につき言及した文献はこれまでなかったようである。ここでは、書誌・部立・入集歌人・撰集資料・特色・撰者・意義といった基礎的な事項につき順に解説していくことにしたい。
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「書誌」を見ると、室町後期の写本で、「山科蔵書」の朱印が押されていて、これは山科忠言(1762-1833)のものだそうです。
ただ、

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田中本の内には同じ「山科蔵書」の印記を持つ歌書が他にも何点か含まれている。それらは戦国期の同家当主、権大納言言継(一五〇七~七九)の書写にかかるものが多いが、『拾遺現藻和歌集』の筆跡は言継、あるいはその父言綱・息言経らとも異なっており、今の所、忠言以前の伝来は未詳とせざるを得ない。
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とのことです。(p132)
ついで「部立」に入ると、「 『拾遺現藻和歌集』は冒頭に仮名序を置き、全十巻、八二六首から成る。別に詞書に含まれる歌が三首ある。部立と歌数は次のようになっている」(同)とのことで、巻一から順番に、春歌(80首)、夏歌(54)、秋歌(133)、冬歌(78)、賀(32)、離別羇旅(36)、恋歌上(114)、恋歌下(90)、雑歌上(99)、雑歌下(110)だそうです。
そして、

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巻九は雑の四季詠、哀傷・釈教・神祇は巻十に含まれる。底本は破損による判読不能箇所が多く、また誤写誤読も少なからず見受けられるが、内容的に最も問題となるのは巻七恋上の次の歌群であろう(破損は□で示した。〔 〕内は推定、以下同じ)。
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との指摘の後、556~562番の歌が掲出されていて、558~561が「明らかに異質」なので、「別の文献から纔入したものと見るべき」(p133)だそうです。
「平貞時朝臣すゝめ侍ける三嶋社十首哥に」は553番なので、その直後に「別の文献から纔入したものと見るべき」部分があることから、小林一彦氏は、

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先に記した通り、17は『拾遺現藻集』では作者名の記載がなかった。同集は歴史民俗博物館蔵本のみの孤本で、一部に類題集などが竄入したかと思われる痕跡も存し、その本文は必ずしも良質とは言えないようである。現時点では、可能性を指摘するに留めておきたいと思う。

https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/b48d539ba45bd1c2ba1a6516376b834b

と判断されたようですが、556番までの流れは自然なので、553番の作者を552番と同じく「昭慶門院二条」の作品と考えて無理はないと思われます。
この点、後で改めて検討します。
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