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『丸森の猫神さま』その2

2012-04-22 | 東北にて
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2012年 4月22日(日)09時22分18秒

>筆綾丸さん
丸森町は福島県伊達市・相馬市に隣接していて、江戸時代からの養蚕地帯なんですね。
石猫も多くは養蚕との関係によるものだそうです。
ただ、石黒伸一朗氏は次のように言われています。(『丸森の猫神さま』p21)

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 しかし、猫に関する石碑と石像がすべて養蚕と直接関係があるとは言えません。(中略)西円寺石碑群1号碑は、縞模様のある猫を線刻していますが、これは大槻旅館で飼っていた猫の供養碑と言われています。金ヶ作前石碑は宍戸家の墓地にあり、碑面いっぱいに縞模様のある猫の図像を線刻しています。これは宍戸家で飼っていた猫の供養碑と言われています。革踏石石像は、星家で飼っていた猫が長生きしなかったり、すぐに居なくなるため、行者にみてもらったところ、猫神様の石像を作って祀りなさいと言われたために立てられました。平松前A石像は、かわいがっていた猫が死んだため、供養として立てられたものと伝えられています。大張大蔵字中平の大槻末雄家で祀られている猫神の祠は、猫の病気治癒や無病息災にご利益があると信仰されていました。これらのことから、養蚕の豊作祈願とは別に、猫の供養、猫の長寿祈願、病気治癒や無病息災のために建てられた石碑や石像もあります。いずれにしても飼っていた猫を、大事にかわいがっていたということを思わせるものです。
 また、猫が死んで祟るときにも、猫神と彫った石碑を立てるという事例が筆甫にありました。しかし、実際に猫がどのように祟るのかということは良く分かりません。例えば、家族に病人や怪我人が出たとか、財産がなくなった等、悪いことを指すのでしょうか。(後略)
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>青っぽい彩色
私もこの色が気になりました。
「まるもりふるさと館」の説明はおそらく大蔵寺の寺伝の受け売りでしょうが、大蔵寺は江戸時代初期に臨済宗に変わったとのことで、古い像のことは良く分からなくなってしまっているようですね。
誰かが研究していると思いますので、もう少し調べてみます。

※筆綾丸さんの下記投稿へのレスです。

猫絵と聖徳太子 2012/04/21(土) 20:22:49
小太郎さん
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B2%A9%E6%9D%BE%E6%B0%8F
猫神は殆ど初耳なのですが、新田岩松氏の末裔に猫絵の殿様というのがいて、その絵は養蚕関係者に飛ぶように売れたというような話を聞いたことがあります。東北地方の猫神は養蚕と関係があるのかどうか。しかし、養蚕の北限は福島・山形までで、宮城以北の養蚕はあまり聞いたことがないので、猫神との関係はないのかな、とも思います。

「獣面武装菩薩像」は、アーノルド・シュワルツネッガーとの戦いに敗れたターミネーターの姿のようにも見えますね。
「大日如来」のヘアスタイルが角髪(みづら)のように見え、これは東北地方巡礼中の聖徳太子ではあるまいか、と思いました。商人のもみ手のような印相(?)と青っぽい彩色が気になりますね。
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